【今回の歌】

権中納言定家(97番)『新勅撰集』巻13・恋3・849

来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩(もしほ)身もこがれつつ

今回は、第1回ということもあり、小倉百人一首の選者である権中納言定家(藤原定家)の歌をご紹介します。


●現代語訳

松帆の浦の夕なぎの時に焼いている藻塩のように、私の身は来てはくれない人を想って、恋い焦がれているのです。


●ことば

【まつほの浦】
兵庫県淡路島北端にある海岸の地名です。松帆浦の「松」と、「待つ」が掛詞になっています。

【藻塩(もしお)】
海藻から採る塩のこと。古い製法で、海藻に海水をかけて干し乾いたところで焼いて水に溶かし、さらに煮詰めて塩を精製しました。「焼く」や「藻塩」は「こがれ」と縁語で、和歌ではセットで使われます。「まつほ~藻塩の」は、「こがれ」を導き出す序詞(じょことば)です。

【夕なぎ】
夕凪と書き、夕方、風が止んで海が静かになった状態のことです。山と海の温度が、朝と夕方にはほぼ同じになるので、こういう状態になります。

【身もこがれつつ】
火の中で燃えて身を焦がす海藻(藻塩)の姿と、恋人を待ちこがれる少女の姿を重ねた言葉。昔も今も、恋する女の子の気持ちは変わらないことがよく分かりますよね。


●作者

権中納言定家(ごんちゅうなごんさだいえ=藤原定家。1162~1241年)

平安末期の大歌人藤原俊成の子として生まれ、正二位・権中納言まで出世しました。新古今集、新勅撰集の選者として有名ですが、何よりこの「小倉百人一首」を選んだ人として知られています。この歌のように叙情的な作品を得意とし、「有心体(うしんたい)」という表現スタイルを作りました。


●鑑賞

この歌の主人公は、海に入ってあわびなどの海産物を採る海乙女(あまおとめ)の少女です。いつまでたっても来てはくれない、つれない恋人を待って身を焦がす少女。やるせなく、いらだつ心を抱くその姿を、松帆の浦で夕なぎ時に焼く藻塩と重ねて表しています。煙がたなびく夕方の海辺の景色と、初々しい女の子の心の揺れが読み手に伝わる、とても繊細でロマンチックな名歌といえるでしょう。

定家は、日本の代表的歌集「新古今和歌集」の選者の一人でもありました。新古今集は、人の気持ちを風景などに託して描く「象徴的な心象表現」が特徴。素朴でストレートな万葉集や、テクニックをこらして言葉の遊びを楽しむ古今集よりぐっと「大人っぽい」味わいを持ちます。この歌にも、新古今を編んだ定家らしい心象表現が感じられます。

この歌は万葉集の
「…淡路島 松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに 藻塩焼きつつ 海人娘人(あまおとめ)…」
を元の歌(本歌)として作られました。この歌にもあるように、「松帆浦」は兵庫県の淡路島の北の端にある、淡路町松帆崎の海岸を指しています。松帆崎は明石海峡に面した、本州にもっとも近い岬。磯に打ち寄せる波の向こうに明石市を望むことができます。これまでは、明石フェリーが就航し、淡路と本州を結んでいましたが、98年4月からは明石海峡大橋が開通したので、自動車でこの近辺を通ることができるようになりました。かねてより瀬戸内海国立公園に指定され、美しい風景を誇る土地ですが、大橋開通に合わせて「兵庫県立淡路島公園ハイウェイオアシス」などができ、観光を楽しめる設備が整備されつつあります。