【今回の歌】

殷富門院大輔(90番)『千載集』恋・884

見せばやな雄島(をじま)の蜑(あま)袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変はらず

1月も下旬。お正月気分もさすがに抜けてしまった頃です。今は暦でいうと一年で一番寒い「大寒(だいかん)」にあたります。夜は本当に冷え込みが厳しいですが、昼は意外に好天が続いています。冬の晴れ間は貴重です。太陽の位置が低いので、住宅が密集しているところでは、昼を過ぎるともう建物の影になって陽が射さなくなる家もあるでしょう。午前中から布団や洗濯物を干して、きっちり乾かしておきましょう。うちは乾燥機があるから、なんて言わないで。太陽の光の殺菌効果は非常に高いですし、何より日光で乾かした洗濯物は干し草のように爽やかでほのかに甘い匂いがします。ただし中には、ためた洗濯物をたまーに洗ったら必ずその日雨が降るなんていう、しょうがない人もいるでしょうけれども。

天気の話をしたからではないですが、今回は泣きすぎて袖が乾かず、ついには血の涙を流すという強烈な一首です。


●現代語訳

あなたに見せたいものです。松島にある雄島の漁師の袖でさえ、波をかぶって濡れに濡れても色は変わらないというのに。(私は涙を流しすぎて血の涙が出て、涙を拭く袖の色が変わってしまいました)


●ことば

【見せばやな】
「ばや」は願望の終助詞で、「な」は詠嘆の終助詞です。「見せたいものだ」という意味になります。

【雄島(をじま)の蜑(あま)の】
「雄島(をじま)」は、歌枕としても有名な陸奥国(現在の宮城県)の松島にある島のひとつです。「蜑(あま)」は漁師のことで、海女と違い男女どちらでもこう言います。

【袖だにも】
「だに」は「~でさえ」という意味の副助詞です。「袖でさえ」という意味になります。

【濡れにぞ濡れし】
格助詞「に」は同じ動詞を繰り返して、意味を強める時に使われます。「ぞ」は係結びになる係助詞で、過去の助動詞「き」の連体形「し」が結びになります。

【色は変はらず】
袖の色が変わるのは、泣きすぎて涙が枯れ、ついには血の涙が流れるためです。中国の故事によります。


●作者

殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ。1131頃~1200頃)

従五位下・藤原信成(のぶなり)の娘で、後白河天皇の第一皇女、亮子(りょうし)内親王(式子内親王の姉で、後の殷富門院)に仕えました。当時は、小侍従(こじじゅう)と並ぶ女房の歌人として有名でした。非常にたくさんの歌を詠み、「千首大輔」と言われています。建久3(1192)年に殷富門院に従って出家し、尼となっています。


●鑑賞

この歌は百人一首にも登場する源重之(みなもとのしげゆき)が作った
松島や 雄島の磯にあさりせし あまの袖こそ かくは濡れしか
という歌を本歌(ほんか)にした「本歌取り」の歌です。本歌取りというのは、昔の有名な歌の一部を引用したりさまざまにアレンジして新しい歌を作る、和歌の技法のひとつです。

重之の歌は「(つらい恋で涙を流し)松島の雄島の漁師の袖くらいだろう、私の袖のように濡れているのは」と詠っています。大輔は、重之に答えて(返歌)「私の袖こそ見せたいものです。涙も枯れて血の涙が流れ、色が変わってしまったのですから。松島の雄島の漁師の袖でもこうはならないでしょう」と詠ったのです。辛い恋で泣き続ける女性の激情を詠った一首ですが、あたかも重之と時代を超えて歌で恋の問答をしているようですね。本歌取りは、百人一首の撰者、藤原定家の時代に流行ったものですが、なかなか粋なテクニックだと感じられます。

この歌は「袖の色が変わる」と語って、涙が枯れて血の涙が出るほど激しく泣いたことを暗示しています。ちなみに「血涙」というのは、中国の古典から来た言葉です。韓非子によると「ある農夫が畑で玉(ぎょく=宝石の一種)の巨大な原石を見つけた。王に2度献上したが磨いても石のままだったので、両足を切られてしまった。そこで農夫は激しく泣いて血の涙を流した。結局3度目に玉が磨き出され、農夫はやっと称えられた」という話などが元です。なげく心を(やや大げさに)表現した言葉としてよく使われます。

この歌に登場する松島は、日本三景のひとつで古くから歌枕として知られる観光地、宮城県の松島です。JR東北本線松島駅で下車します。湾に約260もの島が浮かび、海水によって奇妙な形に削られた島々とそこに生える松の風景が絶妙です。また、坂上田村麻呂が807年に建立した五大堂や、伊達政宗の甲冑を納めた青龍殿や瑞巌寺などの歴史ある建物も数多くあります。さらに松尾芭蕉をはじめ、西行法師ゆかりの「行戻しの松」など名所も多く、観光にはもってこいでしょう。