【今回の歌】

西行法師(86番)『千載集』恋・926

嘆けとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな

昨日(14日)は、赤穂浪士が吉良邸へ討ち入りをした日でした。元禄12(1702)年12月14日、大雪の降る深夜。江戸は本所松坂町(現在の東京都墨田区両国)の吉良邸を襲撃した赤穂四十七士は、見事主君の敵、吉良上野介の首を挙げ、その足で泉岳寺にある浅野内匠頭の墓前に供えたのでした。

さて今年は赤穂浪士討ち入りから300年目。それを記念して講演やお祭りなども催されるようです。お芝居で有名な討ち入りですが、近松門左衛門が「碁盤太平記」を書いたのが4年後の1706年。「仮名手本忠臣蔵」が世に出るのは42年後の1748年です。しかしこれほど有名になり、300年も語り継がれるとは、よほど当時の人々にとってはショッキングな出来事だったのでしょうね。

さて、平安貴族の作者が多い百人一首ですが、今回ご紹介するのは鎌倉武士から出家し、諸国を遊行。天性の才能を謳われた漂泊の歌人です。


●現代語訳

「嘆け」と言って、月が私を物思いにふけらせようとするのだろうか? いや、そうではない。(恋の悩みだというのに)月のせいだとばかりに流れる私の涙なのだよ。


●ことば

【嘆けとて】
「とて」は「~と言って」という意味の格助詞で、「月が私に嘆けと言って」という意味です。月を人のように表す擬人法が使われています。

【月やはものを】
「やは」は反語を表す複合の係助詞です。下の「する」が結びで、「~するのだろうか? いやそうではない」と訳します。

【思はする】
「する」は使役の助動詞「す」の連体形で「やは」の結びです。「月が物思いにふけらせるのだろうか? いやそうではない」という意味になります。

【かこち顔なる】
「かこち顔」は「かこつ」からきた言葉で「かこつける」、つまり他人(ここでは月)のせいにする、という意味です。

【わが涙かな】
「かな」は詠嘆の終助詞です。


●作者

西行法師(さいぎょうほうし。1118~1190)

俗名を佐藤義清(のりきよ)。鳥羽上皇に北面の武士として仕えていましたが、23歳の時に家庭と職を捨てて出家、京都・嵯峨のあたりに庵をかまえ西行と号しました。出家後は、陸奥(東北地方)や四国・中国などを旅して数々の歌を詠み、漂泊の歌人として知られます。歌集に「山家集」があり、また彼の一生は「西行物語」に詳しく語られています。


●鑑賞

西行はお坊さんでしたが、月と花を好んで歌に詠み、恋歌が多いことで知られます。旅人の自由な心がそうさせたのか、闊達で大胆な歌が多く、現代でも通じるようなさっぱりとした心が感じられます。
願わくば 花の下にて春死なむ その如月の望月(もちづき)のころ
このようにひきこまれるような魅力があり、非常に人気の高い大歌人です。

この歌は「月前の恋」という題を与えられて詠んだ題詠です。月を見ると、自然に涙が流れてくる。恋の悩みなのに月が嘆けと言っているようだ。そんな月のせいにして、うらめしげに流れる我が涙だなあ、というほどの意味でしょうか。昔から、月は物思いにふけらせ、悲しみにくれさせてしまう何かがあるようです。日本ではお月見という行事がある一方で、月を見ることは忌むべきことだとの考え方もありました。英語でも「ルナティック」は「気がふれた」という意味ですし、満月になると変身するオオカミ男の伝説もあります。時には青く輝き、怪しい雰囲気をかもし出す月。放浪を続けた西行は、そんな月を愛して月の歌を多く詠みました。鳥羽天皇の北面の武士(天皇を護る近衛兵)というエリート職を捨て、俗世を捨てた自分。それと日の光を見ることなく、いつも暗い夜空に輝いている月に相通じるものを感じたのかもしれません。鳥羽天皇に出家を願い出る時には、こんな歌を詠んでいます。
をしむとて をしまれぬべき この世かは 身をすててこそ 身をもたすけめ

西行は諸国を旅した人ですが、陸奥を旅した時にこんな歌を詠んでいます。
あはれいかに 草葉の露の こぼるらん 秋風立ちぬ 宮城野の原
宮城野は、現在の宮城県仙台市の仙台駅の東から仙台港へ通じる市の北東部にあたります。今の時期の仙台市はちょっと寒いかもしれませんが、今年から「SENDAI光のページェント」と題して、青葉通と定禅寺通のケヤキの木にイルミネーションが施されているそうです。JR東北線仙台駅下車です。