【今回の歌】

藤原清輔朝臣(84番)『新古今集』雑・1843

(なが)らへばまたこの頃(ごろ)しのばれむ (う)しと見し世ぞ今は恋(こひ)しき

相変わらず12月並みの寒さが続く今日この頃。寒さをまぎらわすには、やっぱりこたつの上のガスコンロを置いて、あったかーい鍋料理でしょうか。11月末といえば、スーパーでは冬のゴボウが旬です。長くて太くて土がいっぱい付いたゴボウを買って、ささがきにして牛肉と一緒に煮込んで卵を溶いて、「柳川風なべ」なんかもいいですね。かつて柳川といえば、ゴボウとドジョウを入れたもの、と相場が決まっていました。しかし、ドジョウは昨今珍しい上に不人気だそうで、本家本元の福岡県柳川でもドジョウの柳川鍋の店は数少ないといいます。

さて、寒い冬が過ぎればまた暖かくなります。長く生きていればきっと良いこともあるでしょう。というような歌を今回はご紹介します。


●現代語訳

この先もっと長く生きていれば、辛いと思っている今この時もまた懐かしく思い出されてくるのだろうか。辛く苦しいと思っていた昔の日々も、今となっては恋しく思い出されるのだから。


●ことば

【永(なが)らへば】
動詞「ながらふ」の未然形に接続助詞「ば」がついて、「もし~なら」という仮定を示します。「この世に生き長らえるなら」という意味です。

【またこの頃(ごろ)や しのばれむ】
「や」は疑問の係助詞です。「しのば」は動詞「しのぶ」の未然形で、「懐かしく思い出す」という意味。「れ」は自発の助動詞「る」の未然形で、「む」は推量の助動詞「む」の連体形です。

【憂(う)しと見し世ぞ 今は恋しき】
「憂(う)し」は形容詞の終止形で「辛い、苦しい」という意味です。「見し」の「し」は過去の助動詞「き」(実際の体験の回想)の連体形です。「恋しき」は形容詞「恋し」の連体形で、係助詞「ぞ」の係り結びです。全体では「辛いと思っていたあの当時も今では恋しく思い出されるなあ」という意味です。


●作者

藤原清輔朝臣(ふじわらのきよすけあそん。1104~1177)

百人一首79番の藤原顕輔(あきすけ)の次男でしたが、父とはずっと仲が悪く、若い頃は不遇で位も正四位下・太皇太后大進にとどまりました。中年になってからは評価が非常に高くなり、博学で歌学(和歌の研究)に優れて、王朝歌学の大成者と言われています。二条院に重用され、「続詞華集」の撰者となりましたが、院が死去したため、勅撰集にはなりませんでした。


●鑑賞

仲が悪かった父と子というと、自動車王ヘンリー・フォードとフォード2世が有名です。フォード2世は父譲りの有能な働き者でしたが、なんと実の父フォードが激しく嫉妬し、2世は報われないまま早逝してしまいます。清輔と父親・顕輔も仲の悪い親子だったようで、息子・清輔は才能に恵まれながらも、何かと挫折の多い人生を経験しました。正四位という意外な位の低さも、父親の横やりのようです。

この歌は、過去の辛かった思い出も今は懐かしいのだから、きっと今の辛さも将来懐かしく思えることがあるだろう、という内容の歌。原典は中国の詩人・白楽天の詩集「白氏文集(はくしもんじゅう)」の「老色日上面 歓情日去心 今既不如昔 後当不如今」ではないかと言われています。この歌の持つどことない諦めの感覚は、父との争いに疲れ切った清輔の心境を表しているようです。定家がこの歌を選んだのも清輔のいる環境をよくわかっていたからかもしれません。ただ、その清輔も40代を過ぎてからは二条院に深く信頼され、重く用いられました。歌の通り、辛い時代を懐かしく思い出せる日がきたのでしょう。

作者・藤原清輔は多彩な作風で知られた人で、ももつての波路に秋やたちぬらん瀬戸の汐風袂すずしもなどの歌もあります。冬近い、寒い毎日が続く昨今、暖かい瀬戸内海沿岸は、旅をするのにもってこいかもしれません。今は四国八十八カ所めぐりが静かなブームですので、巡ってみられるのもいいかも。八十八カ所は、徳島県鳴門市にある霊山寺が一番札所です。JR高徳線坂東駅から700mの距離にあります。あなたもチャレンジしてみてはいかがでしょうか。