【今回の歌】

藤原基俊(75番)『千載集』雑・1023

(ちぎ)りおきしさせもが露(つゆ)命にて あはれ今年の秋も去(い)ぬめり

ついこの間まで夏みたいな暑さだったかと思えば、昨今は急に冷え込んできました。風邪をひいた方も多いのではないでしょうか。富士山はすでに美しい冠雪に覆われているようです。あなたのお住まいの地方の名山はどうでしょうか。通りを歩く人の服装も厚着になり、秋から冬へと季節の移り変わりが感じられます。

ところで、大学医学部の裏口入学などが時々問題になったりします。名門幼稚園や小学校へのお受験競争なども話題になりました。息子の出世を願うのは、いつの時代の親でも同じですが、行き過ぎるとろくなことがありません。今回の歌は、詩人・大岡信が「平安朝の親ばかの歌」とした変わりダネの一首です。


●現代語訳

お約束してくださいました、よもぎ草の露のようなありがたい言葉を頼みにしておりましたのに、ああ、今年の秋もむなしく過ぎていくようです。


●ことば

【契(ちぎ)りおきし】
「契りおき」は「約束しておく」意味の動詞の連用形で、「おく」は露の縁語です。「約束しておいた」という意味です。

【させもが露】
「させも草」は、平安時代の万能薬だったヨモギのこと。「露」は恵みの露という意味で、作者が息子のことを頼んだ藤原忠通が「まかせておけ」とほのめかしたことを指します。

【命にて】
「たのみにして」という意味です。

【あはれ】
「ああ」、と感情をこめて洩らす感動詞です。

【秋もいぬめり】
「往ぬ」は「過ぎる」でナ変動詞の終止形です。「めり」は推量の助動詞で「秋も過ぎ去ってしまうことだろう」という意味です。


●作者

藤原基俊(ふじわらのもととし。1056~1142)

和歌や漢詩の才能に優れ、名家の出身でしたが、才能を鼻にかけるくせがあったようで官位は従五位上・左衛門佐(さえもんのすけ)に止まっています。源俊頼(百人一首74番)のライバルで当時の歌壇の重鎮でした。若い頃の藤原俊成が入門しています。


●鑑賞

この歌は、詠まれた状況を説明しないと分からないでしょう。作者の藤原基俊の息子は、奈良の大きなお寺・興福寺のお坊さん光覚(こうかく)でした。興福寺では10月10日から16日まで維摩経(ゆいまきょう)を教える維摩講が行われますが、この名誉ある講師に光覚を、と前の太政大臣・藤原忠通にたびたび頼んでいました。

熱心な頼みに忠通は「しめぢが原」と答えます。古今集にある清水観音の歌に
なほ頼め しめぢが原の さしも草 われ世の中に あらむ限りは
(私を一心に頼りなさい。たとえあなたがしめじが原のヨモギのように思い悩んでいても)
というものがあり、「大丈夫だ、私に任せておけ」との意味ですが、その年も息子・光覚は講師に選ばれませんでした。だからその恨みをこめ、作者は「約束したのに、ああ、今年の秋も過ぎていくのか」と嘆いてみたのです。今も昔も、親ばかに変わりはないものですね。

奈良の興福寺は国宝の五重塔や八角形をした南円堂、また凛とした顔立ちの阿修羅像などで知られています。近鉄・奈良駅より歩いて5分ほどですので、行かれてみてはいかがでしょうか。近くの奈良国立博物館では、毎年秋恒例の「正倉院展」が11月11日まで開催されています。