【今回の歌】

権中納言定頼(64番)『千載集』冬・419

朝ぼらけ宇治(うぢ)の川霧(かはぎり)たえだえに あらはれわたる瀬々(せぜ)の網代木(あじろぎ)

いよいよ冬。朝の冷え込みが厳しい毎日ですが、冴え冴えとした朝にかかる霧の深さは、ある種の趣きを感じさせます。川面にかかる霧の印象はまた格別でしょう。今回の歌は、そんな冬の京都の宇治川にかかる朝霧をうたったものです。


●現代語訳

明け方、あたりが徐々に明るくなってくる頃、宇治川の川面にかかる朝霧も薄らいできた。その霧がきれてきたところから現れてきたのが、川瀬に打ち込まれた網代木だよ。


●ことば

【朝ぼらけ】
夜明け、あたりがほのぼのと明るくなる頃。

【宇治の川霧】
宇治川は京都南部を流れる川。琵琶湖の南から流れはじめる瀬田川の下流、京都府に入る手前から桂川・木津川と合流して淀川となる大山崎の辺りまでをいいます。

【たえだえに】
とぎれとぎれに。この場合は、川霧がきれぎれに薄れていき、晴れてくる様子を表しています。

【あらはれわたる】
あちこちに表れてくる、という意味。

【瀬々の】
瀬は川の浅いところの意味です。

【網代木(あじろぎ)】
「網代(あじろ)」は、冬に氷魚(ひお、鮎の稚魚のこと)を取る仕掛けです。川の浅瀬に杭を打ち、「簀(す)」という竹や木で編んだざるを仕掛けるもので、当時(平安時代)の宇治川の風物詩でした。「網代木(あじろぎ)」は網代の杭のことです。


●作者

権中納言定頼(ごんちゅうなごんさだより。995~1045)

藤原定頼。四条大納言公任(きんとう、百人一首55番に収載)の長男。書や管弦が上手い趣味人で、正二位権中納言にまでなった。百人一首60番の小式部内侍(こしきぶのないし)の歌は、定頼にからかわれた内侍が詠んでへこましたもの。


●鑑賞

宇治茶で有名な京都・宇治。宇治川のあたりは、この歌が詠まれた平安時代には、貴族の別荘が多く建てられ、リゾート地として有名な場所でした。この歌に出てくる「網代」は、宇治川の冬の風物で、藤原道綱母の「蜻蛉(かげろう)日記」や菅原孝標女(たかすえのむすめ)の「更級(さらしな)日記」などにも登場します。都の貴族には川の浅瀬に沿って、ずらりと並ぶ網代木(杭)の情景が、美しくも面白いものに映ったのでしょう。

歌は、美しい風景を歌った典型的な「叙景歌(じょけいか)」です。冬の夜明け頃、目を覚まして外を眺めてみた。すると夜闇がうっすらと明けてくるとともに、川霧が徐々に薄らいでいき、宇治川でしか見られない網代木の列が見え始めてきたあ。とても絵になる風景で、旅に出て変わった情景を眺めた時の楽しさが感じられます。

平等院などでも有名な宇治市のあたりは、京都、もしくは奈良から行くなら、JR奈良線の宇治駅、京阪電鉄のけいはんうじ駅などで下車します。古くからの景勝地であり、特に宇治川の川霧は、紫式部の「源氏物語」の「宇治十帖」(うじじゅうじょう。光源氏の息子の薫や匂宮を主人公にした、続編に当たるパート)で語られてから非常に有名になりました。だから平安後期の歌には、宇治の川霧をテーマにしたものが数多く見られます。