【今回の歌】

伊勢大輔(61番)『詞花集』春・29

いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな

いよいよ桜の季節の到来です。万葉の昔から、もちろん百人一首にも数多く歌われている日本の春の象徴。桜はまたはかなく散ってしまうため、出会いと別れの象徴でもありますね。まず今回は、華やかな桜のイメージが際立つ歌をご紹介しましょう。


●現代語訳

いにしえの昔の、奈良の都の八重桜が、今日は九重の宮中で、ひときわ美しく咲き誇っております。


●ことば

【いにしへの奈良の都】
「いにしへ」は「古き遠い時代」の意味。この歌が詠まれた時、すでに奈良の都は元明天皇から光仁天皇までのほぼ70年間にわたって都があった古都のイメージがありました。

【八重桜】
桜の品種のひとつで、花弁がたくさん重なり合う大きな花をつけます。この歌は当時京都では珍しかった八重桜が奈良から京都の宮中へ献上されるときに歌われたものです。

【けふ】
「今日」という意味で、「いにしへ」に照応しています。

【九重に】
「宮中」の意味で、昔中国で王宮を九重の門で囲ったことからこう言われています。「八重桜」に照応した言葉です。

【にほひぬるかな】
「色美しく咲く」の意味で、「にほひ」といっても香りではなく見た目の美しさを表します。「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形で、「かな」は詠嘆の終助詞。


●作者

伊勢大輔(いせのたいふ。11世紀前半の人)

正三位神祇伯・大中臣輔親(おおなかとみのすけちか)の娘。中宮定子のいとこ・高階成順(なりのぶ)と結婚し、勅撰歌人の康資王母(やすすけおうのはは)などを産みました。上東門院彰子(もと中宮)に仕え、紫式部や和泉式部とも親しい間柄でした。


●鑑賞

この歌の詞書には、「一条院の御時、奈良の八重桜を、人の奉りて侍りけるを、そのおり、御前に侍りければ、その花をたまひて(題材にして)、「歌詠め」と仰せ言ありければ(読める)」とあります。作者の伊勢は、奈良から宮中に届けられた八重桜の献上品を、宮中で受け取る役に抜擢されました。その時、藤原道長から急に即興で詠めと言われ、即座に返したのがこの歌です。「いにしえの古都、奈良の都の八重桜が、九重の宮中で見事に咲き誇っていますよ」すなわち、「かつての奈良の栄華をしのばせる豪勢な八重桜だけど、今の帝の御世はさらにいっそう美しく咲き誇っているようだよ」と花に託して、今の宮中の栄華ぶりをほめたたえる、まことに見事な歌だといえるでしょう。

伊勢はこの時、紫式部からこの役を譲られたばかりで、宮中では新参者でした。とっさに歌を振られてさぞ緊張したことだと思いますし、周囲も才女中の才女・紫式部の後釜が、どの程度の力量の持ち主か図るつもりもあったのでしょう。そこで、伊勢はこのスケールたっぷりのこの歌を披露し、面目を立てたのでした。

この歌の舞台は奈良ですが、奈良にお花見に行くなら、奈良公園と吉野山でしょう。奈良公園では4700本の山桜をはじめ、八重桜なども1800本見ることができます。また6万本の桜があるという吉野山は、ふもとから下千本、中千本、上千本、奥千本と開花時期が順になっています。今年の吉野の桜は、例年より1週間ほど開花が早く、
        開花予想日    満開予想日
●下千本  4月4~5日ごろ  11日ごろ
●中千本   7~8日ごろ  14日ごろ
●上千本   10~11日ごろ  17日ごろ
●奥千本   17~18日ごろ  24日ごろ
だそうです。交通はJR奈良線吉野口から近鉄に乗り換え吉野駅下車。一度、本格的なお花見にひたってみるのもいかがでしょうか。