【今回の歌】

紫式部(57番)『新古今集』雑上・1499

めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし夜半(よは)の月かな

今回は、「源氏物語」で有名な紫式部の歌を取り上げました。友とのあわただしい再会を月に託して惜しんだ歌です。


●現代語訳

せっかく久しぶりに逢えたのに、それが貴女だと分かるかどうかのわずかな間にあわただしく帰ってしまわれた。まるで雲間にさっと隠れてしまう夜半の月のように。


●ことば

【めぐり逢ひて】
月に託して、幼友達と巡り逢ったことを言っています。「月」と「めぐる」は「縁語」です。縁語は関係が深くよく一緒に使われる言葉のことです。

【見しやそれとも】
見たのが「それ」かどうかも、意味。「それ」は表向きは月のことですが、友達のことを指しています。

【わかぬ間に】
見分けがつかないうちに、という意味です。

【雲隠れにし】
月が雲に隠れてしまったことですが、友達が見えなくなってしまったことも含んでいます。

【夜半の月かな】
「夜半(よは)」は夜中・夜更けの意味。最後の「かな」は、詠嘆の終助詞ですが、「新古今集」や百人一首の古い写本では、「月影」になっています。


●作者

紫式部(むらさきしきぶ。970?~1041?諸説あり)

文章生(当時の文学研究者)出身の藤原為時の娘。大弐三位の母。夫に先立たれた後、一条天皇の中宮彰子に出仕。その傍ら「源氏物語」五十四帖や「紫式部日記」を記した。


●鑑賞

「新古今集」には、幼友達と久しぶりに逢ったが、ほんのわずかの時間しかとれず、月と競うように帰ったので詠んだ、と本人が書いています。そうしたことから雲間にすぐ隠れてしまう月になぞらえ、再会した幼友達とつもる話もできずに帰られてしまった寂しさを詠んだ歌です。

紫式部は、お父さんの藤原為時が越前(今の福井県)に赴任したため、20代の半ばに地方で暮らしました。しかし、雪国での厳しい生活が辛かったのか、1年ほどで都に戻っています。今のように交通も発達しておらず、電話もテレビもない平安時代。都を離れて遠国の越前で暮らすのは、相当な淋しさがあったのでしょう。幼い頃、兄が読んでいた「史記」(中国の歴史書)をたちまち暗記し、兄の間違いまで指摘してしまったほどの才女ですから、その思いはひとしおだったに違いありません。この歌にはそうした背景があります。

歴史に残る越前の国は、今の福井県東北部。東を加賀の国と接しており、古くから開けた土地です。紫式部の父、藤原為時が赴任したのは、現在の武生市。越前富士とも呼ばれる霊峰・日野山や日野川などの景観で有名で、紫式部をしのび広さ3000坪の寝殿造りの庭園「紫式部公園」が設けられています。日本最大の女流作家の意外な地方生活時代に思いをはせ、一度訪れてみてはいかがでしょうか?