【今回の歌】

壬生忠見(41番)『拾遺集』恋一・621

恋すてふ(ちょう)わが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか

「あの子、××さんのこと、ときどきじーっと見てない?」「好きなんだよ、きっと」よくあるパターンの他愛ない噂話ですが、結構これが当たってたりするんですよね。場合によっては、本人同士が気付いてないっていうのに、噂だけが先行する時があります。急に綺麗になったり、仕事に対する意気込みが変わってきたり、立ち居振る舞いに強さが現れたり。恋の兆しって思いがけなく現れるものです。でも、あまり噂ばかりしないように。恋は壊れやすいものだから、大切に見守ってあげましょう。今回はそんな秘めた恋の歌です。


●現代語訳

「恋している」という私の噂がもう立ってしまった。誰にも知られないように、心ひそかに思いはじめたばかりなのに。


●ことば

【恋すてふ】
「てふ」は「といふ」がつづまった形で、「チョウ」と発音します。「恋しているという」という意味です。

【わが名はまだき】
「名」は世間の噂や評判を意味しています。「まだき」は「早くも」という意味の副詞です。「私の噂がもう」という意味になります。

【立ちにけり】
「立ち」は動詞「立つ」の連用形で、「けり」は今初めて気付いた感動を表す助動詞です。「立ってしまっていた」という意味でここまでで「恋しているという私の噂が早くも立ってしまっていた」という意味になります。

【人知れずこそ思ひそめしか】
「知れ」は動詞「知る」の未然形で、「知られる」の意味になります。「思ひ初(そ)め」は、「恋はまだはじまったばかり」という意味です。「しか」は過去の助動詞「き」の已然形ですが、係助詞「こそ」の下に已然形が続く場合は、「…だけれども」という逆接になります。よって全体で「他人に知られないよう、密かに思いはじめたばかりなのに」という意味です。


●作者

壬生忠見(みぶのただみ。生没年未詳、10世紀半ば)

百人一首にも歌が残る壬生忠岑(みぶのただみね)の子供で、平安時代に栄華を誇った村上天皇の時代に活躍した歌人です。御厨子所(みずしどころ・定外膳部)で働き、後に摂津大目(だいさかん)となりました。


●鑑賞

「あの人、恋してるよ」「誰か好きな人がいるんじゃない?」などと人々が噂しているようだ。もう私の噂が立ってしまったのか。誰にもさとられないよう、想いはじめたばかりだというのに。

恋する気持ちは、とても繊細なものなので、はじめは誰にもさとられたくないものですよね。「言い出せなくて」とか「わざと冷たくあたったり」など、音楽の歌詞にもよくでてきますが、恋心というものは、なかなか微妙なものなのです。けれど、女性などは特にそうですが恋しはじめると急に綺麗になったり、時々ぼーっと物想いにふけったり、きざしみたいなものは、第三者の目から見ればよくわかるものなのです。この歌は、素直な詠みぶりで、恋を見抜かれてしまった驚きや恋心に揺れる微妙な心理が、倒置法などさりげない技巧で的確に表現されています。

ところで、この歌とよく似ているのが、当メルマガの17号で紹介した同じ百人一首の平兼盛の歌。
しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで
似ているどころか、この2つの歌は、村上天皇が主催した天徳4(960)年の「天徳内裏歌合」で、「忍ぶ恋」の題でどちらが優れているか競ったものなのです。どちらも名歌なので、判定が決まらず困っていたところ、帝が「しのぶれど」の歌を口ずさんだことから、平兼盛の勝ちとなったというエピソードが伝えられています。しかし負けた壬生忠見は平静ではいられませんでした。落胆のあまり食欲がなくなり、今で言う拒食症になってついには亡くなってしまった、という話が伝わっていますが、これは大げさな作り話のようです。しかし、それほどの名勝負として後世に伝えられたのでした。

壬生忠見は、長く摂津国(現在の大阪府北部と兵庫県の一部)に住み、その後宮廷に出仕するようになります。さて。摂津国の歴史をたどるには、今年11月3日に新規オープンした大阪歴史博物館へ行くのがベストでしょう。大阪歴史博物館はNHK大阪に隣接する、13階建ての高層ビル。11階から6階まで、古代からの大阪の歴史をじっくり見て楽しむことができます。近隣には大阪城もありますので、歴史散策には最適。開館時間は9時30分~17時まで。入場料は常設展で一般600円。電車で行く場合は、JR大阪駅から梅田の地下鉄谷町線に乗り換え、谷町四丁目駅で下車してください。ラグビーボール型のツインビルの低い方です。