【今回の歌】

紀友則(33番)『古今集』春下・84

ひさかたの光のどけき春の日に 静心(しづごころ)なく花の散るらむ

今年は4月に入ったというのに雪が降ったりして寒かったですね。寒波のせいか、今年の桜は1週間ほど開花が早かったようです。もう花見には行かれましたか?さすがにこの頃は、春らしい暖かい風が吹くようになってきました。桜も終わりのようで、風に吹かれて花びらが舞い散っています。そんな光景を描いた一首をご紹介しましょう。


●現代語訳

こんなに日の光がのどかに射している春の日に、なぜ桜の花は落ち着かなげに散っているのだろうか。


●ことば

【ひさかたの】
日・月・空などにかかる枕詞です。ここでは「(日の)光」にかかっています。

【光のどけき】
「日の光が穏やか」という意味です。「のどけし」には、のんびりとしているな、などというほどの意味もあります。

【静心なく】
「静心(しづごころ)」は「落ち着いた心」という意味です。「落ち着いた心がなく」という意味で、散る桜の花を人間のように見立てる擬人法を使っています。

【花の】
花はもちろん桜のことです。

【散るらむ】
「らむ」は目に見えるところでの推量の助動詞で、「どうして~だろう」という意味です。どうして、心静めずに桜は散っているのだろうか、というような意味になります。


●作者

紀友則(きのとものり。?~905)

「土佐日記」の作者で百人一首にも歌がある紀貫之(きのつらゆき)のいとこ。宮内権少輔有友(ごんのしょうありとも)の息子。40歳くらいまで無官だったが、その後土佐掾、大内記に昇進しました。古今集の選者で、三十六歌仙の一人。


●鑑賞

柔らかな春の日差しの中を、桜の花びらが散っていく。こんなにのどかな春の一日なのに、花びらはどうしてこんなにあわただしく散っていくのか、静める心はないのか、という歌です。とても日本的で美しい光景。そんな桜の美しさが匂うような歌といえるでしょう。情景が目に浮かぶ、非常に視覚的で華やかな歌でありながら、同時に散り行く桜の哀愁もどことなく感じられます。紀友則は古今集の撰者でしたが、この歌は、古今集の中でも特に名歌とされていました。

さて、今年は早い桜のシーズンですが、京都の桜の名所といえば、左京区にある「哲学の道」でしょうか。約2kmの道沿いに、ずっとソメイヨシノの並木が続いています。散歩がてらの花見としゃれこんで、恋人や奥さん・ご主人と一緒に出かけてみるのもいいかも。京都駅から市営バスに乗り、銀閣寺道バス停で降りればすぐです。