【今回の歌】

坂上是則(31番)『古今集』冬・332

朝ぼらけ有明の月とみるまでに 吉野の里にふれる白雪

12月も半ばを過ぎると、そろそろあちこちから雪のたよりが聞こえてきます。雪の朝というのは、硬い冷気の中に深閑とした静があって、気持ちの良いものです。そんな朝の風景を歌った歌を紹介しましょう。


●現代語訳

明け方、空がほのかに明るくなってきた頃、有明の月かと思うほど明るく、吉野の里に白々と雪が降っていることだよ。


●ことば

【朝ぼらけ】
夜が明けてきて、ほのかにあたりが明るくなってくる頃。

【有明の月】
夜明けの空に残って、明るく光っている月。

【みるまでに】
この「みる」は、「見る」ではなく、「思う」とか「判断する」という意味。「まで」は極端な程度を表す副助詞で、「思うばかりに」というほどの意味になります。

【吉野の里】
吉野は、大和国(現在の奈良県吉野郡)吉野のあたり一帯。平安時代には、春は桜、冬は雪の名所として知られる山里でした。

【ふれる白雪】
「る」は、継続を示す助動詞「り」の連体形で、雪が降り続いているという意味です。「体言止め」が使われています。


●作者

坂上是則(さかのうえのこれのり。?~930)

征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の子孫、坂上好蔭(よしかげ)の子という説があります。大和権少掾(やまとのごんのしょうじょう)などを経て、従五位下・加賀介(かがのすけ)に出世しました。三十六歌仙の一人です。


●鑑賞

坂上是則は、世に名高い三十六歌仙の一人です。三十六歌仙とは11世紀に藤原公任が選んだと言われる和歌の名手36人のこと。是則の他に、小野小町や在原業平、紀貫之などが名を連ねています。

そんな是則が、大和権少掾に任ぜられて大和に赴いた延喜六年(908年)の冬のこと。吉野の山の近くにある宿に泊まった夜明けにふと目を覚ますと、表がとても明るいようです。「夜明け方(有明)の月だろうか?」底冷えのする寒さの中、外を見てみると、雪が降っていました。吉野の名所に降る雪明かり。月の白い光を雪や霜に見立てるのは中国の漢詩でよく行われていた比喩です。中国の大詩人・李白の作った「静夜思」にも「牀前看月光、疑是地上霜」の一節があります。

奈良県吉野郡の吉野周辺は、吉野熊野国立公園に指定されているように、自然の美しい土地で、万葉の昔からたくさんの歌に詠まれてきました。雪をかぶった山々の美しさもさることながら、春には花園山、船岡山、温泉谷のあたりが桜の名所として有名です。レジャーに訪れる場合には、近鉄吉野線の終着駅で下車します。