【今回の歌】

三条右大臣(25番)『後撰集』恋・701

名にし負(お)はば逢坂山(あふさかやま)さねかづら 人に知られでくるよしもがな

昨日はクリスマスイブでした。あなたはどんなイブを迎えましたか?子供とケーキのろうそくを吹き消してパーティをして、サンタの代わりに枕元にプレゼントを置きました?恋人と待ち合わせをして、食事をして楽しく話をして、イブを人生の思い出にした?相手もいないので、ひとりで仕事をしてた。いつか恋人と語らう日を夢見ながら。ちょっと寂しい気もしますが、案外そういう人が多いんですよ。勇気を出して声をかけて、来年は暖かいクリスマスを2人で過ごしてみては。

今回は、さねかずらのつたをたぐってあなたを連れ出したい、という密かな恋を歌った一首です。


●現代語訳

恋しい人に逢える「逢坂山」、一緒にひと夜を過ごせる「小寝葛(さねかずら)」その名前にそむかないならば、逢坂山のさねかずらをたぐり寄せるように、誰にも知られずあなたを連れ出す方法があればいいのに。


●ことば

【名にし負(お)はば】
「名に負(お)ふ」は「~という名前をもつ」という意味です。「し」は強意の副助詞で、動詞「負(お)ふ」の未然形に接続助詞「ば」がつき仮定を示します。「名に背かぬなら」という意味になります。

【逢坂山(あふさかやま)】
山城国(現在の京都府)と近江国(現在の滋賀県)の国境にあった山で関所がありました。「逢ふ」との掛詞になっています。

【さねかずら】
つる性の植物で、「五味子(ごみし)」とも言います。「小寝(さね=一緒に寝ること)」との掛詞です。

【人に知られで】
「で」は打消の接続助詞で、「人」は「他の人」という意味です。「他人に知られないで」という意味になります。

【くるよしもがな】
「くる」は「来る」と「繰る」の掛詞です。「繰る」は「たぐり寄せる」という意味です。「よし」は「方法」などの意味で、「もがな」は願望の終助詞になります。「あなたを連れて来る手だてが欲しいよ」という意味になります。


●作者

三条右大臣(さんじょうのうだいじん。873~932)

内大臣・藤原高藤(たかふじ)の次男、藤原定方(さだかた)のことです。藤原兼輔(かねすけ)のいとこで、醍醐天皇時代には兼輔とならぶ和歌の中心的存在でした。息子は藤原朝忠です。


●鑑賞

この歌は、人目を忍ぶ恋を詠んだ歌です。この歌の道具立てのひとつになっているのは「さねかずら」。もくれんの仲間のつる草で、昔は茎を煮て整髪料を作ったといいます。そのため、美男葛(びなんかずら)と呼ばれていました。さねかずらは「小寝(さね)」、一緒に寝て愛し合うことに掛けられた言葉です。また、「繰る」も「来る」と掛けられた、さねかずらの縁語です。操り人形のように、逢坂山に生えているさねかずらのつるを巻き取って引っ張れば、ツタの先に恋しいあの人がついてきたらなあ、と歌っています。

誰にも知られないように、恋しい相手と連絡を取る方法が欲しいというわけです。恋愛の歌というのは、苦しい心のうちを語るものが多いのですが、これなども典型のひとつでしょう。近江から京へ上る途中にある逢坂山で、木々にからまるつたを見て、ため息をついている作者の姿が目に浮かぶようです。歌の中には「逢う」と「逢坂」、「さねかずら」と「小寝(さね)」、「来る」と「繰る」などの掛詞や縁語がたくさんちりばめられています。技巧も含めて、この歌の面白さを味わってみましょう。

この歌の舞台になっている「逢坂山」は、今の京都府と滋賀県大津市の境になっている坂道です。付近に高速道路が通り、同じ百人一首にある、蝉丸の「これやこの 行くも帰るもわかれては知るも知らぬも逢坂の関」の歌碑が建っていたりします。逢坂の関は、ここで何回もご紹介しましたが、作者・三条右大臣の墓は、京都市山科の勧修寺にあります。900年に醍醐天皇の手によって建立されたもので、それこそ作者の生きた時代に建てられたのです。境内には、平安時代の風情を保つ庭園などありますので、散策を楽しめるでしょう。市営地下鉄小野駅で下車します。