【今回の歌】

文屋康秀(22番)『古今集』秋下・249

吹くからに秋の草木(くさき)しをるれば むべ山風を嵐といふらむ

秋が深まる頃になると、秋風が渺々(びょうびょう)と吹きはじめるようになります。山沿いの土地では、斜面から降りてくる山風。まるで嵐のように激しく吹き荒れ、冬の到来を予感させますね。昔は夜になると、縁側の戸板ごしに大風が吹き荒れている様が聞こえてきたものです。見えないとその凄さはよりいっそう激しく感じられるのでした。今回紹介する一首は、そんな秋の嵐を詠んだ名句です。


●現代語訳

山から秋風が吹くと、たちまち秋の草木がしおれはじめる。なるほど、だから山風のことを「嵐(荒らし)」と言うのだなあ。


●ことば

【吹くからに】
「吹くとすぐに」という意味です。「からに」は複合の接続助詞で、「~するとすぐに」という意味を表します。

【しをるれば】
「しをる」は草木が色あせてしおれる意味の動詞で、その已然形に原因・理由を表す接続助詞「ば」が付いています。

【むべ】
「なるほど」と言う意味の副詞。上の句で示された根拠を踏まえ「なるほど、だから山風を嵐と言うのか」と理由を推理して納得しています。

【山風】
山から降りてくる強い風で、晩秋に吹き、冬を予感させます。

【嵐といふらむ】
「らむ」は推量の助動詞で、「嵐と言うのだろう」という意味になります。「嵐」は「荒らし」との掛詞で、秋の草木を荒らして枯れさせるので「アラシ」と言うのだろうなあ、という意味があります。また「山」と「風」の漢字2文字を合わせれば「嵐」になるという遊びも盛り込まれています。


●作者

文屋康秀(ふんやのやすひで。生没年不明)

9世紀頃の平安初期の歌人で、別称・文琳(ぶんりん)。形部中判事、三河掾(みかわのじょう)、縫殿助(ぬいどののすけ)など官職は低かったのですが、六歌仙の一人で歌人としては有名でした。三河掾になって三河国(現在の愛知県東部)に下るときに小野小町を任地へ誘った話が有名です。


●鑑賞

漢字の「山」と「風」を組み合わせると「嵐」になりますね。この歌はそうした漢字遊びを取り入れながら、山を転がり落ちてくる晩秋の激しい風の様子を詠んだ歌でもあります。「古今集」の詞書には「是貞(これさだ)の親王(みこ)の家の歌合の歌」とあります。漢字遊びを取り入れたところが、歌会にふさわしくトリッキーな感じで、康秀の機知に皆はさぞかし感心したことでしょう。

山から秋風が吹き降りてくれば、とたんに次々と草木が枯れ萎えてしまう。なるほど、だから山風のことを草木を荒らす「荒らし」「嵐」と言うのか。秋の夜に吹き荒れる激しい風の音を聞き、茶色く枯れしおれていく野の草に、冬の到来を感じながら、康秀はこの「嵐」の歌を詠んだのでしょうか。機知や言葉遊びというと軽い感じがしますが、この歌にはどこか荒涼とした嵐に、激しいイメージが喚起されます。

ところで文屋康秀という人は、小野小町の恋人の一人だったようで、三河掾に任命されて三河国に向かう時、小野小町に「一緒に来てくれないか」と誘ったそうです。それに対して小町は、

わびぬれば 身を浮草の 根を絶えて 誘う水あらば いなむとぞ思ふ
(落ちぶれていますので、この身を浮き草として根を断ち切って誘い流してくれる水があるなら、ついて行こうと思います)

と答えています。はたして、小野小町はついていったのでしょうか。

康秀の赴任した三河国、といっても広いですが、中でも岡崎市は徳川家康の出身地として有名です。中でも岡崎城のある岡崎公園は一番の見所。家康の住んだ岡崎城の他、三河武士の絵図や文献などが見られる「三河武士のやかた家康館」、龍城神社、二の丸能楽堂などを見物することができます。桜の名所としても知られています。訪れる場合は、名鉄名古屋本線に乗り、東岡崎駅で下車して徒歩15分の距離にあります。