【今回の歌】

安倍仲麿(7番)『古今集』羇旅・406

天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に(い)でし月かも

明けましておめでとうございます。本年も弊社をよろしくお引き立てのほど、お願い申し上げます。

お正月といえば、一家揃って百人一首のかるたを楽しむご家庭も多いことでしょう。取り札には下の句しか書かれていないので、運動神経の良い子供さんより、歌に慣れ親しんでいるおばあさんの方が取る数が多いなどということもしばしば。老若男女みんなに好まれるのも頷けますね。

中でも安倍仲麿のこの歌は、歴史の教科書にもよく引用され、子供でもよく知っている有名な歌です。


●現代語訳

天を仰いではるか遠くを眺めれば、月が昇っている。あの月は奈良の春日にある、三笠山に昇っていたのと同じ月なのだなあ。


●ことば

【天の原】
大空のこと。「原」は、「海原」と同じく、大きく広がっている様子を表す時に使われます。

【ふりさけ見れば】
遠くを眺めれば、という意味。「ふりさけ見る」の已然形に、確定条件を表す接続助詞「ば」がついたものです。

【春日なる】
現在の奈良市春日野町あたりの土地で、奈良公園から春日大社までの土地。遣唐使の出発に際しては、春日神社で旅の無事を祈ったといわれます。

【三笠の山】
春日大社後方、春日山原始林の手前にある山。若草山と高円(たかまど)山の間にあります。御笠山とも御蓋山とも書きます。

【出(い)でし月かも】
「かも」は奈良時代に使われた詠嘆の終助詞です。かつて見た三笠山の上に昇る月を表しながら、唐の地で今見ている月を重ねています。


●作者

安倍仲麿(あべのなかまろ。698~770)

19歳の頃、遣唐使として中国の唐へ渡った留学生の一人。時の玄宗皇帝に気に入られ、中国名「朝衡(ちょうこう)」として50年以上仕えた。一度帰国を許されたが、途中で船が難破して引き返し、結局帰れぬまま唐の地で没す。盛唐の大詩人である李白や王維とも親交があった。


●鑑賞

作者紹介にあるように、安倍仲麿は遣唐使として唐に渡り、そこで驚くような秀才ぶりを発揮して玄宗皇帝のお気に入りとして高位の役人になった人です。しかし、あまりに気に入られたため、日本に帰ることを許してもらえませんでした。唐にいて望郷の思いがつのる仲麿でしたが、30年を経てようやく帰国を許され、明州(現在の寧波(ニンポー)市)で送別の宴が催された時に詠まれたのが、この歌でした。

天を見ると美しい月が昇っている。あの月は、遠い昔、遣唐使に出かける時に祈りを捧げた春日大社のある三笠山に昇っているのと同じ月なのだ。ようやく帰れるのだなあ。

現在と違い、奈良時代には船で中国から日本へ帰るのは、それこそ命がけの大事業でした。仲麿の思いもかくやですが、残念ながら船は難破し、結局戻った中国で54年暮らして、72歳でその生涯を閉じます。仲麿が逝去した時は、あの中国の大詩人・李白も悲しみ、「晁卿衡(ちょうけいこう。仲麿のこと)を哭す」という詩を作っています。

この歌で仲麿が懐かしんだ春日大社の周辺は、奈良でも一番の観光名所。奈良駅から表参道を上り、興福寺や東大寺大仏殿など、数多くの観光スポットをたどりながら歩くと到着するのが、春日大社です。三笠山は春日大社の後方にある標高283mの山。万葉の舞台となった古(いにしえ)の名勝です。お正月の初詣に、一度は訪れてみたい場所ではないでしょうか。