【今回の歌】

柿本人麿(3番)『拾遺集』恋3・773

あしびきの山鳥(やまどり)の尾のしだり尾の 長々し夜をひとりかも寝む

9月になりました。秋の到来です。秋といえば、虫の声の響く長い長い秋の夜長。気候も良いので読書などをしてひとりじっくり思索してみるのに最適な季節です。けれど、届かぬ恋をしてひとり思い悩むなら、秋の夜長は永遠と思えるほどさびしい時間かもしれません。

そんな独り寝の寂しさを、山鳥の長い尾で表現し、ダイナミックに音を楽しむ歌が、今回紹介する一首です。


●現代語訳

山鳥の尾の、長く長く垂れ下がった尾っぽのように長い夜を(想い人にも逢えないで)独りさびしく寝ることだろうか。


●ことば

【あしびきの】
山に関係した言葉にかかる枕詞で、ここでは「山鳥」にかかっています。

【山鳥の尾の】
「山鳥」はキジ科の鳥で雄の尾が非常に長いと言われます。そのため「長いこと」を表す時に使われます。「の」は連体格助詞で「…で」や「…であって」の意味です。全体で「山鳥の尾であって」のような意味になります。

【しだり尾の】
「しだる」は「下に垂れる」という意味の動詞で、連用形「しだり」に「尾」が付いた名詞です。「の」は「のような」の意味の格助詞で「下に垂れる尾のような」の意味。最初からここまでが、「長々し夜」を導き出す序詞になります。

【長々し夜を】
長い長い夜のこと。「長し」を重ねることで強調しています。

【ひとりかも寝む】
「(逢いたい人にも逢えないで)ひとり(寂しく)寝ることでだろうかなあ」という意味。「ひとり」は名詞ではなく、「ひとりで」という意味の副詞です。「か」は疑問の係助詞、「も」は強意の係助詞、「む」は推量の助動詞です。


●作者

柿本人麿(かきのもとひとまろ。不明~709?)

持統天皇の頃の宮廷歌人で、三十六歌仙の一人。下級官吏で710年ごろに石見国(現在の島根県益田市)で死んだといわれます。万葉集の代表的歌人の一人で、長歌20首、短歌75首が収められています。


●鑑賞

秋の夜は長い。長くて長くて時間を持て余す。考えるのは、あの日出会った美しいあなたのこと。いったいあなたは今ごろ何を考えているのだろう。他の誰かと閨をともにしているんじゃないだろうか。夜は長く、いつまでも明けない。長~い長~い、山鳥の雄のように長い夜。今夜もひとり寂しく眠るのだろうか。

「秋の夜長」はずいぶん昔から日本人の共通概念だったようです。万葉の昔からすでにこんな歌があったのですね。秋の夜長を表すのによく使われる恋歌です。山鳥は日本の山にいる野鳥ですが、雄の尻尾が長いので、「長い」ことを表すのに使われます。また山鳥は、昼は雄雌一緒にいて、夜は別々に分かれて峰を隔てて眠るという伝承があるので、ひとり寝を表す時にも使われます。

つれない異性を想って一人過ごす夜の長いこと。また、秋は気候がだんだん涼しくなってくるので寂しさがいっそうつのるのでしょう。そういえばこの歌は、上の句すべてが「長々し」にかかる序詞になっています。この序詞もまたとっても長いもので、歌にひっかけてあるのかもしれません。「山鳥の尾の しだり尾の」と語尾を合わせることで、音感の面白さも特筆される印象深い名歌です。

この歌の作者、柿本人麿は、705年ごろに石見の国司として赴任し、そこで亡くなったといわれています。石見の国は現在の島根県の西の端、益田市にあります。益田市は、中世の豪族益田氏の本拠となったところ。山陰の小京都として有名な津和野町に隣接し、史跡や名所が数多く残されています。柿本人麿ゆかりの柿本神社があるのはJR益田駅の西ですが、近辺には雪舟の郷記念館や雪舟庭園(万福寺)、県立万葉公園などもあります。津和野なども一緒に訪れれば、いい旅になることうけあいでしょう。