洗心言

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平成二十七年 仲春の号

四季の文

四季の文【桜】
  【桜】

古くから日本に自生していた桜。国風文化が華開いた平安時代より、唐風の梅に変わって花の代名詞となりました。


花鳥風月雨雪

日本が世界に誇る文化や芸術。その礎には、この国ならではの季節感や自然観があるといわれています。
四季が豊かな国に生きることで育まれ、受け継がれてきた独特の感性をご紹介する「花鳥風月雨雪」。第一回は、花にまつわるお話しです。


「華やぎの裏に、儚さを想う心」


 色とりどりに咲く四季の花。それは長い歴史のなかで、ひとの心の動きの現れである創作に大きな影響を与えてきました。いにしえの文学作品をひもとくと、その一端を垣間みることができます。たとえば『源氏物語』には百を超える草花が登場しますが、それらは王朝絵巻に彩りを添えるだけに終わらず、日本人の美意識を表していることがわかります。
 物語では、女性が多彩な花にたとえられています。艶やかな玉鬘(たまかずら)は夕陽に輝く八重山吹に、可憐な明石の君は藤にたとえられ、紅花の雅称である末摘花(すえつむはな)という名は、彼女の鼻の頭が赤かったことにちなむもの。数多い花のなかで、ひときわ印象的なのが桜。光源氏がもっとも愛した紫の上は、樺桜(かばざくら)にたとえられています。

 ひとの容姿を直接的に表現するのではなく、花をはじめとする自然の趣に重ねて表す。これは日本人が古くから持ちあわせてきた、美的理念の現れといわれています。
野に咲く花は華やかであり、儚いものです。咲いたと思えばしおれ、色褪せ、やがて散る花にたとえることで、美しさの裏にひそむ悲しみや苦悩をほのめかせ、登場人物の運命を暗示する。作り手のそんなたくらみを、読み手も細やかに感じ取ることで、物語の世界をより味わい深く楽しんできたのです。
このようなことができたのも、いにしえの人々は自然と深く関わることで、いのちの永らえない寂しさを思いやる心を豊かに培ってきたからでしょう。

 残念なことに、現代の暮らしでは自然と関わる機会は少なく、先人が持ちあわせた繊細な美意識は薄れつつあります。
しかし、私たちは四季のなかで生きています。どれだけ時代が変わろうとも春が訪れない年などなく、春になれば多くの花が咲き、そして散ります。そのことを思えば、いにしえの人々と心を通わせることは、そんなに難しいことではないのかもしれません。
今年も春が近づいてきました。忙しい日常のなかに少し時間をつくり、いまを盛りと咲く花のいのちに、想いを寄せてみてはいかがでしょうか。



京の顔あれこれ

日本だけでなく、世界が注目する古都の知っているようでよく知らないいろいろな「顔」をご紹介する「京の顔あれこれ」。
第一回は、大学生についてのお話しです。


「いまも、むかしも、学生さんのまち」


 春になれば、京都に多くなるものといえば? 桜をはじめとする花。東山にかかる霞。花街のをどり(おどり)。答えはいろいろありそうですが、大学の新入生もそのひとつ。
 京都市内には、国公立・私立をあわせて四十ちかいキャンパスがあります。大学などの数においては一位の東京都区部に大きく離されて、二位に甘んじています。しかし、人口に対する学生数の割合においては京都市が日本一を誇ります。
 京都市で学ぶ学生の数は、およそ十三万六千人(平成二十四年時点)。人口のほぼ一割が学生という都市は、日本広しといえども京都市だけ。最近では市外にキャンパスを移していた大学の市内回帰も盛んということで、学生の数はさらに増えるかもしれません。
 むかしから、学生のまちと呼ばれてきた京都市。その理由は、全国的に名の知られた大学が多いから、文化的な都市だから、京都とゆかりの深いノーベル賞受賞者が多いから、といった漠然としたものではなく、数字ではっきりと示すことができるのです。
 古都である京都市には歴史のある大学が多く、なかには平安時代の天長五年(八二八)に弘法大師空海が創設した私学、綜藝種智院(しゅげいしゅちいん)を起源とする大学もあります。このほかにも伝統ある仏教系大学が多いのも、各宗派の本山をたくさん抱える京都市ならではといえるでしょう。
 若い大学生が集まることは、まちに活気が生まれるということ。少子化という逆風をはねのけて、これからも、いつまでも、学生さんのまちでありつづけてほしいものです。

鴨川名物といえば床と等間隔に座るカップル。これも学生のまちならではの風景

鴨川名物といえば床と等間隔に座るカップル。これも学生のまちならではの風景


百人一首 千年の景

名歌に詠われた情景をご紹介する「百人一首 千年の景」。
初回の一首は、大中臣能宣朝臣の第四十九番です。

 みかきもり
    衛士のたく火の
       夜は燃え
    昼は消えつつ
       物をこそ思へ

                 大中臣能宣朝臣
大中臣能宣朝臣
宮中の門を守る衛士の焚くかがり火が、夜は赤々と燃え、昼は消えるように、私の心も夜は恋こがれ、昼は心も消え入るほどに、物思いにしずんでしまう。

宮中の門を守る衛士の焚くかがり火が、夜は赤々と燃え、昼は消えるように、私の心も夜は恋こがれ、昼は心も消え入るほどに、物思いにしずんでしまう。

 衛士(えじ)とは諸国から都に集められ、おもに宮中の警護にあたった兵士のことで、意味はみかきもり(御垣守)と同じです。
この歌は、衛士が夜な夜な焚くかがり火に、身を焦がすような恋の物思いがたとえられたもの。平安時代の結婚は、男性が晩に女性のもとを訪ねて一夜をともにし、朝になると自分の家に帰るという通い婚が一般的でした。そのため互いにどれだけ深く愛しあっていても、ふたたび夜のとばりが降りるまで逢うことはできませんでした。
作者は、誰かと恋に落ちていたのでしょうか。静寂な闇の中でぱちぱちと音をたてて揺らめく炎に、逢瀬を前にして燃えあがるような情念を重ね、昼には消えて灰となってしまう火に、逢えない辛さに沈む気持ちを重ねています。
昼と夜、さらに炎と灰との対比により、官能と喪心という対照的な心のあり方を表すことで、恋のただ中に生きるがゆえの苦悩が鮮やかに詠まれた名歌といえるでしょう。
大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶあそん)は、平安時代の中ごろを生きた人。代々神職の家に生まれ、能宣自身も伊勢神宮の祭主をつとめました。歌人としても名を馳せ、村上天皇の命により宮中に置かれた和歌所(勅撰和歌集をつくるための役所)の中心人物として活躍。息子の輔親(すけちか)も優れた歌人であり、孫の伊勢大輔(いせのたいふ)は第六十一番の作者としてその名を知られています。
一説に、この歌は能宣の作ではないといわれています。しかし誰が詠んだものであろうと、心に響く歌であることに変わりはありません。


 
小倉山荘 店主より

人間、志を立てるのに遅すぎるということはない
 

 かつて英国の首相を務めたボールドウィンは、四十歳で亡父の後を継ぐべく議員に立候補したとき、「遅すぎる」と忠告する人たちに、このように言ったそうです。
 志というと大きな夢や野望を連想し、どこか若者にしか似あわないような印象を受けますが、要は「自分はこうありたい」という希望なのだと思います。
 ならばボールドウィンの言葉通り、志を立てるのに遅すぎるということはありません。年齢に関係なく、人にはそれぞれなりたい自分があるはずです。むしろ歳を重ねているほうが自らを深く見つめ直すことができ、「こうありたい」と思う自分を具体的にイメージできるのではないでしょうか。
 春、はじまりの季節です。これからも続く道に向けて、新しい志を立ててみるのも一興です。たとえ小さな目標でも、それは大きな生き甲斐となるはずです。



報恩感謝 主人 山本雄吉