洗心言

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平成十五年 仲春の号
伝承の花

椿   【 芍薬 】

「立てば芍薬、座れば牡丹」というように、美人の代名詞とされてきた芍薬。艶やかに咲く花は、華やかな人生を願う吉祥として、古くから高貴な女性たちに愛されたと伝わります。



自然の恩恵 共存の知恵

 日本を代表するビジネス街、東京は丸の内に新しく生まれ変わった高層ビルが、大きな話題を呼んでいます。オフィスのほか商業施設や飲食店が数多く入居し、連日たくさんの人で賑わうこのビルの建築には最先端の技術が集約されましたが、なかでも注目を集めているのが画期的な耐震構造です。
  人と自然とがひとつになることで生まれ出ずる、本当の豊かさをご紹介する「自然の恩恵 共存の知恵」。今回は、次世代の技に息づく、先人たちの知恵について話を進めてまいります。

揺れを柳に風と受け流す、
法隆寺、五重塔の「柔構造」。

【最古の塔を千三百年間支え続けてきた心柱(しんばしら)】
 万葉の里、奈良は斑鳩(いかるが)の法隆寺。聖徳太子にゆかり深い伽藍(がらん)がいくつも甍(いらか)を並べるなかで、ひときわ目を惹くのが約三十二メートルの高さを誇る五重塔です。この、わが国最古の五重塔が築かれたのは今から約千三百年前のこと。地震国、日本において、高層の木造建築物がこのような長きにわたって偉容を保ち続けてきたのは、実に驚くべきことといえるでしょう。
  その秘密は、地震の揺れを柳に風と受け流す独特な構造にあります。五重塔のそれぞれの層は固く繋ぎあわされておらず、ゆえに地震が起きても各層が互い違いに振動して、揺れを分散します。さらに塔の真ん中を貫く心柱が波のようにゆっくりと動き、各層の振動を減衰させていくのです。

【震度七を想定した次世代の耐震構造】
 三十七の階が地上に積み重ねられた丸の内の高層ビル。その中央部分には約百八十メートルの高さを貫く心柱が通されています。心柱と各階床との間には緩衝材が設けられており、万が一地震が起こったときには各階がバランスよく振動して、揺れを分散。そして五重塔と同じく、心柱がゆっくりと揺れながら振動を弱めていくのです。
  震度七クラスの揺れに耐えることを目標にしたという、次世代の耐震構造。そのヒントは、はるかいにしえの飛鳥時代に築かれた建物から得たものなのです。

【技術革新の土台は先人たちの知恵と技】
 暮らしを、社会を、より快適で安全なものにかえていく最先端技術。それは先人たちの偉業があればこそ生まれ出ずることを、五重塔の話はあたかも教えてくれているかのようです。
 地震をはじめとする自然災害に繰り返し見舞われ、ときに大切なものを失いながらも決してくじけることなく、先人たちは安泰に生きていくための知恵と技を数多く編み出してきました。それらは今なお輝きを失うことなく、私たちに大きな気付きと勇気を与え続けてくれているのです。その気付きや勇気を糧としてよりよい暮らしや社会をつくり、未来に繋いでいくことが、先人たちへの何よりの恩返しとなるのではないでしょうか。



平安の遊・藝

【 雛(ひいな)遊び 】
桃の花が薫る、春三月の風物詩、雛祭り。
可愛いらしくも華やかな人形が飾られ
女の子のすこやかな成長を願う
このお祝いごとのルーツをさかのぼると、
平安時代の宮中に辿り着きます。

【おままごと遊びを楽しむ紫の上】
 「雛」とは元来、宮中において、「小さい」とか「可愛い」といった意味で使われていた言葉。雛遊びとはその名が示す通り、小さな男女一対の紙人形を使ったおままごとのような遊びだったようです。 その様は『源氏物語』の紫の上の巻にも描かれており、小さな厨子に食器を並べたり、御殿の中に人形を飾ったりして遊び楽しむ幼い紫の上の姿を見つけることができます。

【雛遊びと流し雛とが結ばれ雛祭りに】
 同じく平安時代に、流し雛という陰陽道(おんみょうどう)に由来する風習があったと伝えられます。「ひとがた」と呼ばれる紙や草でつくった人形で体をなでて災いや穢れを祓(はら)い、その人形を川や海に流すというもので、三月最初の巳の日、上巳(じょうし)に行われていたそうです。『源氏物語』の須磨の巻には、光源氏が海辺で陰陽師(おんみょうじ)にお祓いをさせた後、ひとがたを舟に乗せて流すくだりがあります。
 諸説紛々ですが、雛祭りは雛遊びと流し雛とが結びついて生まれたものとされています。上巳が三月三日に定着し、雛祭りが今日のように女児の出産と無事成長を祈る節供になったのは、室町時代から江戸時代初期にかけてのことなのだそうです。

【一輪の桃の花に明日の幸せを祈る】
 さて、桃の節供ともいわれる雛祭りに欠かせないのが、桃の花のお飾りです。これは、桃花に邪気を祓う力があると信じられたことから受け継がれてきたもの。住宅事情などから、昔のように雛祭りを祝うことが困難となっている昨今。ならば一輪の花に、わが子のすこやかな未来への、さらには家族全員の無病息災への願いを託してみてはいかがでしょう。
  大切なのは、なにも華やかさを誇ることではなく、ありのままの心で幸せを祈ることなのですから。




百人一首逍遙

名歌故地探訪〜奈良・吉野〜
『小倉百人一首』に撰された歌にゆかり深い地をご紹介する「名歌故地探訪」。
第一回目は奈良、春日を訪ねました。




天の原
 ふりさけ見れば
  春日なる
   三笠の山に
     出でし月かも

             安倍仲麿



坂上是則
大空を仰ぎ見ると、月が見える。
春日の三笠の山に、かつて出ていたのと同じ月であろうか。

 春日は現在の奈良市東部。藤原氏の氏神を祀った春日大社と、その周辺の地。三笠山(みかさやま)は春日大社の後ろにそびえる山で、御笠山や御蓋山と書くこともあります。その姿が天皇に差しかける絹張りの笠、衣笠に似ていることからこの名が付けられたのだとか。当山一帯は、春日大社の神域として八四一年に狩猟と伐採が禁止されて以来、手つかずのままの林が受け継がれ、大社とともに世界遺産に指定されています。
 現在の春日大社周辺は奈良公園と呼ばれ、山焼きで名高い若草山や飛火野(とぶひの)、東大寺や興福寺などの名刹(世界遺産)を擁する名勝地となっています。四季折々に美しい風景のなかで、草を食(は)む神鹿(しんろく)の姿を見つけることができるのは、この地ならではの趣といえるでしょう。



 安倍仲麿がこの一首を詠んだのは、春日よりはるか遠く離れた唐の国であったと伝えられます。七一七年に遣唐留学生としてかの国に渡った仲麿は、後に科挙の試験に合格。玄宗(げんそう)皇帝に仕え、朝衡(ちょうこう)という名を授かり、李白(りはく)や王維(おうい)といった唐代を代表する詩人たちと親交を深めたといわれています。そして、三十五年間の留学生生活を終えて帰国の途に就く際のこと。遣唐使船の発着港であった明州(ミンシュウ)(現在の寧波(ニンポー))の海辺で唐の人々が別れの宴を催したとき、空に浮かんだ月を仰ぎ見、ふと望郷の念に駆られてこの歌を詠んだといいます。
 しかし、仲麿は帰国の志を果たすことができませんでした。日本を目指した船は猛り狂う波風にもてあそばれた挙げ句、ついには安南(アンナン)(現在のベトナム)に漂着。再び唐に戻った仲麿は七七○年、その都、長安に没します。故国の山にかかる月を二度と見ることのなかった仲麿の心を思うと、読むほどに悲しさが募る一首といえないでしょうか。



小倉山荘 店主より

再び巡り来た春のよろこび
 
 標題は、いのちを真摯に見つめ続けた詩人、相田みつをの言葉です。幸せや不幸せは、他から与えられるのではなく、人生に対する自らの心構えによって決まるもの。そんな理(ことわ)りを、心にしみいるように優しく教えてくれる一言といえます。
 文豪ゲーテも「我々は、現在の境遇を神や悪魔のせいにする。しかし、それは的外れである。その謎は我々自身のなかにある」と述べています。
 人は生きていくなかで、ものの見方や考え方、価値観、いわば人生に対する思想や哲学を身に付け、それらを糧としてさらなる長旅を歩んでいくものです。その思想や哲学の持ち方いかんによって、人生の栄枯盛衰が決まるといっても過言ではありません。
 だからこそ、たとえどんなに苦しい立場に置かれても、ひた向きさと前向きさを忘れずに、そして順風満帆なときにも決しておごることなく、真実を見据えて、歩みを続けてまいりたいものです。

報恩感謝 主人 山本雄吉