洗心言

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平成二十四年 初夏の号

平安の色

平安の色【萌黄】
  【萌黄】

その名の通り、萌え出でたばかりの草木の芽を表わした萌黄(もえぎ)。襲の色目として、特に若い貴族に好まれました。

歴史をつくった絆物語

人と人とが出逢い、触れあい、ときにぶつかりあいながら固く結ばれてゆく絆。先人が築き上げてきた歴史を振り返ると、そこにはさまざまな絆のかたちを見つけることができます。
今回の「歴史をつくった絆物語」は、大化の改新をもたらした、中臣鎌足と中大兄皇子との絆についてのお話しです。


「この国を造った運命的な出逢い」


 日本がまだ、倭国(わこく)と呼ばれていた七世紀の中ごろ、この国は動乱の真っ只中にありました。当時の先進国、隋にならって朝廷を中心とした国造りを推し進めた聖徳太子が亡くなり、この国はふたたび豪族たちが群雄割拠する時代へと逆戻りしはじめたのです。最大の力を誇る蘇我氏は、自分たちの思惑どおりに天皇を即位させることで、より強大な権力を掌握。政治の実権を朝廷から奪い取るほどの勢いを見せていました。
  そのようななかで、蘇我氏打倒に動きはじめたのが中臣鎌足(なかとみのかまたり)。神職として代々、天皇家に仕える家系にあった鎌足は太子の志を受け継ぎ、新しい国造りに取り組むことを決意します。そんな鎌足とともに改革を目指すのが、天皇家に生まれ、後に天智天皇となる中大兄皇子(なかのおおえのおう じ)。日本史に燦然と輝く二人の絆は、偶然の出逢いによって結ばれました。

 飛鳥寺の境内で蹴鞠会(けまりえ)が開かれていたときのこと。鞠を蹴った中大兄皇子の履(くつ)が脱げ、鎌足がそれを拾って捧げました。すると皇子は、自分よりも身分が下の鎌足に対して横柄に接することなく、丁寧に礼を述べました。その振る舞いに誠実な人間性を感じた鎌足は、皇子こそが自分の探し求めていた人、ともに改革を推し進めることのできる人物と考えたのです。
  二人の年齢は十以上も離れていました。しかし鎌足と皇子はすぐに打ち解け、この国の行く末について来る日も来る日も語りあいながら、やがて心をひとつにします。そして迎えた六四五年の六月十二日、二人は蘇我入鹿(いるか)を討伐。その出来事は今日、年号にちなんで「乙巳(いっし)の変」と呼ばれています。

 年が明けると、朝廷は「大化の改新の詔(みことのり)」を発表し、いよいよ二人が理想とした国造りがはじまります。しかし朝廷内で謀反が相次ぎ、さらに友好関係にあった隣国、百済の崩壊などもあり、この国は以後も長らく混迷から抜け出せずにいました。その間に中大兄皇子は天智天皇となりますが、鎌足はつねにその政を支えました。そして六六九年に鎌足が死去すると、天皇は朝廷の最高位である大織冠(だいしょくかん)と藤原姓を授与。その三年後に天智天皇も崩御します。
  改革は、これで潰えたかのようにみえました。しかし、後に即位した天武天皇が新政策を推進。頑固なまでに、新しい国造りを志した二人の想いがついに実を結び、この国は「日本」という名の律令国家として、未来への歩みをはじめたのです。


京のかたち

京都ならではの伝統性をご紹介する「京のかたち」。
今回は、京料理をテーマにお話しを進めてまいります。


「さまざまな料理が出逢って生まれた美味」


 じつは、「これが京料理」というはっきりとした定義はないそうです。一般に、京都で発達したさまざまな手法や作法を採り入れた「京都らしい料理」が、京料理と考えられているようです。
  たとえば、有職(ゆうそく)料理の手法や作法。平安時代から都が置かれた京都では、天皇や貴族の口を満たすべく調理に工夫が凝らされるとともに、宮廷の儀式にのっとった作法が考案されてきました。また、寺院が多いことから肉を使うことなく、野菜や豆類を巧みに用いて美味しくいただく精進料理が発達。さらに京都では、茶の湯をもとに、味はもちろん料理の彩りや器の趣きで客人をもてなす懐石料理が好まれました。その一方、京都の家々では古くから、日常的な料理としておばんざいが食されてきました。おばんざいとは、ニシンと茄子、ジャコと唐辛子のように、旬の素材を上手に組み合わせてつくる惣菜のことです。
  京料理は、有職料理から庶民のおばんざいまで、さまざまな料理が出逢うことでできあがったといわれています。もちろん、京料理を語るときに自然の幸を外すことはできません。聖護院(しょうごいん)だいこんや壬生(みぶ)菜、鹿ケ谷(ししがたに)かぼちゃなど、京都では多彩な種類の野菜が育てられてきました。これは栽培条件に恵まれていたことに加え、精進料理で多くの野菜が必要とされたため。さらに、京都は良質の地下水に恵まれ、それは昆布のうま味を引き出すことでいい出汁をもたらしました。
  逆に不利な条件から名物になったものもあり、その一例が鱧(はも)。輸送手段が整っていなかったむかし、海に面していない京都に魚介類を運ぶのにたいへんな時間がかかりました。そのため生命力の強い鱧が重宝され、いつしか京料理の代表的な食材のひとつとなったのです。ちなみに、鱧は「梅雨の水を飲んで育つ」といわれ、もうしばらくしたら旬のはじまり。コンチキチンの祇園囃子の聞こえるころが、いちばんの食べごろです。さまざまな料理が出逢って生まれた美味京都名物のひとつとして、誰もが思い浮かべる京料理。
しかし、それがどのような料理なのか知らない方も多いのでは。

鱧は硬い小骨がとても多い魚。
食べやすくするためには
骨切りという高度な技術が必要。
「鱧」


百人一首 四季の趣景

季節感あふれる歌をご紹介する「百人一首 四季の趣景」。
初夏の一首は、後徳大寺左大臣の名歌です。

 ほととぎす
    鳴きつる方を
       ながむれば

    ただ有明の
       月ぞ残れる

             後徳大寺左大臣
後徳大寺左大臣
ほととぎすが鳴いたその方角の空をじっと見つめてみると、もう姿はなく、ただ有明の月が沈みもせずに残っていることだ。

 ホトトギスは五月の中ごろに中国などから日本にやってくる渡り鳥。大きさは鳩より少し小ぶりで、頭や背は灰色、翼や尾は黒褐色で、白い腹に黒い斑を持つのが特徴です。「テッペンカケタカ」という一風変わった鳴き声は、万葉の昔から夏の訪れを告げる風物詩として人々に愛され、多くの歌に詠まれてきました。
  平安貴族たちも、ホトトギスの忍音(しのびね)(初音)を聴くのをたいへん風流なことと考えていました。ホトトギスは夜や明け方に鳴くという習性を持つことから、忍音を聴くために夜を徹することもしばしばだったそうで、その様子は『枕草子』にも描かれているほどです。後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)の第八十一番も、おそらく同様の状況で詠まれた一首。明け方になってようやく鳴いたホトトギスの姿を見ようと、声のした方へ素早く目を向けても、暁の空には月が浮かんでいるだけ。そんな初夏の情景が、とても素直な調子で歌われています。
  ちなみに時鳥、不如帰、杜鵑、郭公、子規など、ホトトギスはじつに多くの漢字名を持ち、それも特徴のひとつとなっています。

  後徳大寺左大臣は、平安時代の末期を生きた公卿の藤原実定(さねさだ)のこと。同じく左大臣であった祖父の実能(さねよし)が徳大寺左大臣と称されたので、祖父と区別するために後徳大寺と呼ばれるようになりました。『小倉百人一首』の撰者、藤原定家は従兄弟にあたります。
  公卿として優秀であった実定は、和歌はもとより管弦にたいへん優れ、文化人としても名を馳せたといいます。その一方で、ある歌会で出された「無明(むみょう)の酒(煩悩を酒にたとえた言葉)」というお題を、「無名の酒」と勘違いしたことから、「名無しの大将軍」という不名誉なあだ名をつけられたというエピソードが伝えられています。

 
小倉山荘 店主より

感謝のこころ
 

東日本大震災を契機に、多くの人の口から上った「絆」という言葉。かつての日本は、地域でも家族間でも、人間関係が息苦しいほど濃厚でしたが、戦後は、暮らしが豊かになるにつれ、家族愛や地域の結びつきが薄くなってきたといえます。豊かなのに幸せ度は必ずしも高まったとはいえず、そのようななかで、絆の大切さを見直そうということになったのではないでしょうか。
  絆とは、人と人との繋がりです。それは相手のために何ができるかを思い続け、人の役に立つことで、自分の存在価値を知ることかもしれません。相手を思いやり、感謝の心を大切にし、いつも暖かい愛情をもって接していけたら、どんなに幸せでしょう。もし、家族や友人、地域との絆を感じられないのなら、その人たちがいて当たり前になっているからではないでしょうか。
  自分一人で生きていける人間など、一人もいません。誰かのおかげで不自由なく生活することができる。そのことに気づけば、感謝の心や人を思いやる気持ちが生まれ、その結果が絆となるのではないでしょうか。



報恩感謝 主人 山本雄吉