洗心言

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平成二十四年 新春の号

四季彩の紋

四季彩の紋【梅】
  【梅】

奈良時代の宮廷人に好まれ、『万葉集』には梅の歌が百十九首。平安貴族の菅原道真が愛したことでも知られています。

森羅万象  和のこころ


「花の懐、祖霊の心に触れる春」


日本が世界に誇る伝統文化には、日本独特の自然観が息づいています。それは、ありのままの自然が織りなす趣きを楽しもうとした、この国ならではの美意識。
自然を畏れ敬うことで、素晴らしい文化を生み出した先人のこころをご紹介する「春夏秋冬 楽然・楽趣」。今回は花見についてのお話しです。

 そろそろ、梅のたよりが届くころとなりました。冷たい風が吹くなか、百花に先駆けて咲き、可憐な彩りとふくいくとした薫りで、春を待ちわびる人の心を癒す梅。奈良時代、この国では「花」といえば梅を指し、風流を愛する人々は一本の梅を愛でながら、歌を詠む遊びに興じました。
時は移り平安時代。嵯峨天皇が平安京の神泉苑で「花宴の説」を催します。しかしその時、遊びの主役は、梅から桜へと変わっていました。唐風文化の影響を脱し、日本独自の国風文化が高まるなか、人々の眼は中国伝来の梅から、古くから日本に自生していた桜へと向けられていたのです。以来、「花」といえば桜を指すようになり、宮中では春を迎えると、桜を愛でる宴が楽しまれるようになりました。

 花見の起源にはもう一説があります。それは奈良時代よりも昔に行なわれていた、農耕神事をそのはじまりとする説です。古代の日本では、米の豊作は山の神が田の神、さらに稲の神となることで実現するものと考えられていました。そして桜の開花は、山の神が田の神になる前触れと信じられていました。そこで人々は、桜の下に酒やご馳走を供えて山の神をもてなし、自分たちも一緒にそれをいただき、宴を楽しむことで秋の実りを祈願したのです。ちなみに、「サ」は神を、「クラ」は神が鎮座する場所を意味し、そこから「サクラ」という言葉が生まれたという説があります。

 かつて日本人が崇めた神は祖霊といい、それは亡くなった後に山に上った先祖の霊のことです。祖霊は正月には歳神となって家に幸せをもたらし、冬のあいだは山の神となって子孫の暮らしをじっと見守ってくれる。そして、春にふたたび山を降りて田の神、稲の神となり、豊穣をもたらすことで自分たちの飢えを満たしてくれる存在だと、先人は信じていたのです。
今日に伝わる花見は、この祖霊信仰に基づく農耕文化と、風流を尊んだ貴族文化とが融けあい生まれたものとされています。どれだけ時代が変わっても、花見をこよなく愛する日本人。それは桜の内側に、自分たちを支えてくれる祖霊の魂を、そっと感じ取っているからなのかもしれません。
梅から、桜へ。季節は彩りを変えながら移ろい、暖かな春の訪れは、もうすぐです。



千二百年の言い伝え

人々の願いを叶え、福をもたらしてくださる七つの神仏、七福神。
それぞれ異なるご利益をもつ神仏を訪ね歩く
七福神めぐりは日本全国にありますが、その発祥は京都。
室町時代にはじまった「都七福神めぐり」が元祖とされています。


「福を求めて京の彼方此方めぐり歩き」


 商売の神様、「えべっさん」こと恵美寿を祀る京都ゑびす神社。祇園にほど近い社は、鎌倉時代の僧で建仁寺を創建した栄西(ようさい)禅師が建てたもので、日本三大ゑびすのひとつ。毎年一月八日から十二日にかけて十日ゑびす大祭(初ゑびす)が行なわれ、「商売繁盛、笹もってこい」のかけ声が威勢よく鳴り響くなか、境内は福を求める多くの人でにぎわいます。
開運招福の神、大黒天がいらっしゃるのは「松ヶ崎大黒天」で知られる妙円寺(みょうえんじ)。五山の送り火のひとつ、「法」の麓にたたずむ境内には打出の小槌と福袋を持ったなで大黒が鎮座。その名の通り、なでた部分を良くしてくださる大黒様は福々しいだけでなく、いつもぴかぴかに輝いています。
都七福神のなかで唯一の国宝が東寺の毘沙門天(びしゃもんてん)で、これは弘法大師が唐から持ち帰ったもの。かつて菅原道真もお参りしたという兜跋(とばつ)毘沙門天立像は、学業成就や安産などのご利益を授けてくださるそうです。都七福神中、ただひとりの女神である弁財天は、空也上人像で名高い東山の六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)の仏様。こちらは金財運などを良くしてくださるご利益で、人々の篤い信仰を集めているのだとか。
長い頭と白い髭でおなじみの福禄寿(ふくろくじゅ)を祀るのは、御所の表鬼門にあたる、比叡山麓に位置する赤山禅院(せきざんぜんいん)。長寿や商売繁盛、健康などのご利益で知られています。御所の南側、「革堂(こうどう)さん」の呼び名で親しまれている行願寺(ぎょうがんじ)には、福禄寿と同じく道教を起源とする長寿の福神、寿老人(じゅろうじん)が祀られています。
都七福神の残りひとり、太鼓腹の布袋尊(ほていそん)を祀るのは宇治の萬福寺(まんぷくじ)。中国で弥勒菩薩の化身とされる布袋さんは今、特に縁結びのご利益で人気なのだそうです。
お正月から春にかけての年初めは、なにかとお願いすることの多い季節です。まだまだ寒い時節ですが、この一年がより良い年になるようあたたかい格好で、都七福神を訪ね歩いてみませんか。

妙円寺の建立は江戸時代初期。
なで大黒とは別に、伝教大師最澄作と伝わる大黒天像が祀られている。
なで大黒


百人一首 永久の恋歌

平安人の恋のかたちに心を寄せる「百人一首 永久の恋歌」。
今回は、紀貫之の名歌をご紹介します。

 人はいさ
    心も知らず
       ふるさとは

    花ぞ昔の
       香ににほひける

              紀貫之
紀貫之
人はさあどうだろうか。あなたの心の内はわからない。
しかし、昔なじみのこの里の梅の花だけは、 昔のままの香りで咲き匂い、私を迎えてくれる。

 奈良の初瀬(はせ・はつせ)(長谷寺のあたり)に参ったときの、ある出来事がきっかけとなった紀貫之(きのつらゆき)の第三十五番。貫之にはかつて、初瀬詣でのたびに泊まる宿がありました。そこを久しぶりに訪れたところ、宿の主人が「御無沙汰しております。もっともあなたが来ないあいだも、宿は少しも変わることはございませんでしたが」とひとこと。その言葉を聞くや、貫之は庭に咲く梅の花の枝をひとつ折り、この歌を即座に詠んだといわれています。
宿の主人は男性だったのか、女性だったのか。気になるところですが、残念ながらよくわかっていません。もし女性だったら、その言葉にはかつて恋仲だった相手への皮肉がこめられていたのかもしれません。それに対する貫之の歌も、なんとも意味深です。もちろん男性だったら、解釈はまったくちがってきます。ともあれ、読む者の想像力をかきたてる一首であることに変わりはありません。

紀貫之は平安時代の初期を生きた人で、三十六歌仙のひとりに数えられた名歌人。貫之は醍醐天皇の勅撰和歌集『古今和歌集』の編纂にたずさわりますが、その序文である仮名序(かなじょ)の執筆において、のちの日本文化に大きな変化をもたらすあることを行ないます。公的な文書に、はじめて平仮名を用いたのです。
中国文化の影響を強く受けていた当時の日本では漢字が多く使われ、読み書きは漢学の素養がある一部の人にしかできないものでした。平仮名という、誰もが親しみやすい文字を進んで用いた貫之の取り組みは、多くの人に読み書きができる機会を与え、ひいては日本独自の国風文化を開花させる契機となったのです。
老年になり、貫之は土佐守(とさのかみ)に任ぜられます。そして五年の任期を終え、京に戻る旅程を女性の口調を借りて、平仮名で書き記しました。その作品、『土佐日記』が平安の女流文学発展の礎となったのは、よく知られた話しです。

 
小倉山荘 店主より

太陽のこころ
 

 あけましておめでとうございます。皆様におかれましては良いお年をお迎えのことと、心よりお慶び申し上げます。
冬至を過ぎ、力を再び取り戻した太陽の輝きに元気づけられる初春です。自らの熱と光で万物を育むものの象徴として、人は太陽のこころから多くのことを学んできました。
イソップ童話に、『北風と太陽』があります。どちらが旅人の上着を脱がせられるかを競い合った結果、暑さで上着を脱がせた太陽が勝つという話です。この話にこめられているのは、冷たく接すると相手は頑なになるが、その反対であれば、相手の心を溶かし、動かすことができるという教訓です。
私たちの行いや言葉は、心掛けひとつで人に喜びを与える「熱」となり、勇気を与える「光」となります。太陽の輝きに心を寄せ、そこからさらに多くのことを学び、もっと多くの絆を結んでいきたいものです。
最後になりましたが、平成二十四年が皆様におかれまして素晴らしい年となることを心よりお祈りいたしますとともに、本年も一層のご贔屓を賜りますよう何卒よろしくお願い申し上げます。



報恩感謝 主人 山本雄吉