洗心言

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平成二十三年 仲春の号

四季彩の紋

四季彩の紋【牡丹】
  【牡丹】

その妖艶な姿かたちから、古代中国で「百花の王」と称された花。奈良時代ごろに日本に伝来し、『枕草子』にもその美しさが讚えられています。

春夏秋冬 楽然・楽趣

日本が世界に誇る伝統文化には、日本独特の自然観が息づいています。それは、ありのままの自然が織りなす趣きを楽しもうとした、この国ならではの美意識。
自然を畏れ敬うことで、素晴らしい文化を生み出した先人のこころをご紹介する「春夏秋冬 楽然・楽趣」。第一回は日本庭園についてのお話しです。

「天工の美を描いた空間芸術」


 明治から昭和を生きた科学者であり随筆家の寺田寅彦(てらだとらひこ)。彼は西洋と日本の自然観を比較して、つぎのような言葉を残しました。「西洋人は自然を勝手に手製の鋳型にはめて幾何学的な庭をつくるが、日本人はなるべく山水の自然を損なうことなく、その自然に抱かれ、同化した気持ちになることを楽しむ」。
  では、日本人は自然をどのように考えていたのでしょうか。日本人は自然に従うことを好み、さらに自然を無常なもの、すなわち絶えず移ろい、ときに儚いものと捉えていました。ゆえに自然のありのままの姿、四季や歳月により移り変わり、朽ちる様子までも庭に描こうとしたのです。幾何学的な西洋の庭が完全に人工的であるとすれば、日本の庭は人工物でありながらもどこか「天工的」といえるでしょう。

 たとえば平安貴族に好まれたという、寝殿造りの正殿に多く見られた「前栽(せんざい)」。これは野山で見つけたお気に入りの草花を掘り取ってきて、そのまま庭に植え込むというもの。草花を種や苗から育てるのではなく、野に咲くものをありのままの姿で庭に移すという行為。そこには人の手の加わっていない天工の美を愛で、それと同化したいという先人の想いが強く反映されていたのかもしれません。一説に、生け花は前栽を源流として生まれたものといわれています。
  また、石という無機物を用いて自然の趣きを巧みに描くのも、日本の庭の特長のひとつ。たとえば、なんら加工の施されていない石と砂利だけを組み合わせ、水や草花を使うことなく山水の風景が表わされた枯山水。見る者の想像力を無限にかきたてるそのたたずまいを、皆さまもよくご存知のことでしょう。

 花の咲く季節を迎えました。この春の休日は、寺社などにしつらえられた日本庭園を訪ね歩いてみてはいかがでしょうか。庭に咲く色とりどりの花を眺めながら、自然と一体になる喜びを堪能できるのは、この国の春ならではの贅沢。もちろん、自宅の庭で前栽を楽しむのも素敵ですし、生け花にこだわってみるのもおもしろそうです。また、最近では手軽に楽しめるミニ盆栽も人気だとか。自分にあったかたちで、自分らしく、自然の趣きを味わってみませんか。


古都ごりやく散歩

京都には、人々の祈りや願いを集める寺社仏閣がたくさん残され、
最近ではパワースポットとして新たに注目を浴びています。
新連載のこのコーナーでは、ご利益があるとして
むかしから評判の場所とその由来を、逸話をまじえてご紹介してまいります。


「おかめ」ゆかりの千本釈迦堂天神さんは晴れ」


 昔ながらの町家が軒を連ねる西陣かいわい。その中ほどにひっそりたたずむ千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)。その名は本尊の釈迦如来にちなんだ通称で、正式名は大報恩寺(だいほうおんじ)といいます。このお寺のご利益は夫婦円満や縁結びといわれ、境内にはおかめ像をしたがえた「おかめ塚」が鎮座。なんともユニークですが、その由来にはこんな悲しい言い伝えがあるそうです。
  それは鎌倉時代初期のこと。本堂の建立を、当時名大工とうたわれていた高次という男が任されました。意気揚々と仕事に取り組んでいた高次ですが、ある日、建物を支える四本の柱のうち一本だけを短く切ってしまいます。とんでもない大失敗をしでかして、途方にくれる高次。そんな夫を見かねて、女房のおかめは「他の柱も短くして全体の高さを合せたうえで、斗組(ますぐみ)(軒を支える仕組み)をほどこせばよいのでは」と助け船を出しました。おかげで無事に大仕事をやり遂げた高次。ところが喜びもつかの間、おかめは「失敗と女房の入れ知恵が世間様にばれては名大工の面目がたたぬ」と、誰にも秘密がもれないよう自ら命を断ってしまったのです。これを悲しんだ高次は上棟式におかめの面を飾り、亡き女房を偲びました。そして、その心はいまも「おかめ塚」として受け継がれ、福々しい笑顔をたたえて参拝客を迎えているのです。
  ちなみに、安貞(あんてい)元年(一二二七)に完成したという本堂は、京を焼け野原にした応仁の乱の戦火を免がれ、現在も創建当時の勇壮な姿を誇ります。現存する木造の建築物としては京都市内最古であり、国宝に指定されています。
  さて、千本釈迦堂は師走に行なわれる諸病封じのための行事「大根焚(だいこだ)き」で知られていますが、これからの季節楽しみなのが枝垂れ桜です。本堂前に大きく枝を広げる桜は「阿亀(おかめ)桜」と呼ばれ、それはもちろんおかめにちなんだ名前。華やかな咲きっぷりを愛でた後で、おかめ塚を参ってみるのも楽しそうです。

強い夫婦愛を今に伝えるおかめ像。寺では快慶作の木造十大弟子立像など、多数の宝物が公開されている。
人出はふだんの倍以上になるという
「おかめ」


百人一首 永久の恋歌

平安人の恋のかたちに心を寄せる「百人一首 永久の恋歌」。
今回は、周防内侍の名歌をご紹介します。

春の夜の
   夢ばかりなる
     手枕に

        かひなく立たむ
          名こそ惜しけれ

              周防内侍
周防内侍
短い春の夜の、夢を見るくらいのほんのわずかな時間、
たわむれの手枕を借りたばかりに
つまらない浮き名が立つのは残念でございます。

 第六十七番のこの歌が詠まれたのは、旧暦二月(新暦三月)ごろのある月夜。後冷泉(ごれいぜい)天皇の中宮のもとに女房たちが集まり、夜通し話に花を咲かせていたときのことでした。話し疲れてそろそろ眠くなったのか、周防内侍(すおうのないし)がふと横になろうとして「枕がほしい」とつぶやいたところ、御簾(みす)の向こう側にいた大納言忠家(だいなごんただいえ)がその下からそっと腕を差し入れ、こういいました。「どうぞ、こちらを枕に」。
  それは思いがけない成り行きでしたが、作者は少しも驚くことなくこの歌を即座に詠み、際どい誘いをさらりとかわしたのです。しかし、忠家もそう簡単には引き下がりませんでした。「前世からの深い縁があって差し出した手枕なのに、それをどうしてつまらない夢になさるのですか」と詠み返したのです。
  とはいえ、忠家も真剣に誘ったのではなく、作者もなかば冗談でやりかえしただけ。二人はゲーム感覚で艶やかな恋歌のやりとりを楽しんでいたわけで、それはなんとも粋な遊びです。

  周防内侍は平安時代後期を生きた女性。周防守平棟仲(すおうのかみたいらのむねなか)の娘で、本名は平仲子(たいらのちゅうし)といいましたが、父の官名から周防内侍と呼ばれていました。後冷泉、後三条、白河、堀河の四天皇に仕えた彼女は歌合にたびたび出向き、数多くの名歌を残しましたが、そのなかにはいわく付きの一首があります。
  恋ひわびて ながむる空の 浮雲や わが下もえの けぶりなるらむ(恋の辛さを忘れようと眺めた空に雲ひとひら。あれは恋に身を焦がす体から出た煙なのか)
  どことなく死を思い起こさせる下の句のせいで、歌合の主催者が亡くなったと噂されたのです。それだけでなく、周防内侍も歌を詠んだ直後に亡くなったとされたのですが、実際はその後も健在で、七十近くまで生きたそうです。

 
小倉山荘 店主より

後悔は美徳の春
 

 表題は、後悔を美徳、すなわち道にかなった行いと説いた中国の古いことわざです。
  後悔はけっして後ろめたいものでも、恥ずかしいことでもありません。失敗して後悔するということにはかならず、自らの過ちを反省し、改めようとする気持ちもついてくるからです。
  前向きに取り組んだ結果によって得た後悔は、自分を高めるためのまたとない機会となり、新たな道を探すための標にもなります。
  春を迎えました。新しい出発を目の前にして、心ときめかせている方もきっと多いことでしょう。
  どのような道に進むにせよ、表題のことわざを思い出し、何事にも前向きに取り組む気持ちで新たな第一歩を踏み出したいものです。


報恩感謝 主人 山本雄吉