洗心言

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平成二十二年 新春の号
有職のかたち

有職のかたち【雲鶴】
  有職のかたち【雲鶴】

湧きたつ雲はめでたいことの前兆であり、鶴も長寿であることから、縁起の良い文様の組み合わせとして尊ばれました。



時を超える言の葉

日本の歴史を振り返ると、それぞれの時代に、それぞれの分野で偉業をなした先人たちの至言に出会うことができます。それらは、数百年、千年の時を経たいまも私たちの心に響き、熱く、深く染みわたります。
「時を超える言の葉」。今回は、平安末期から鎌倉初期を生きた僧侶であり、浄土宗の開祖である法然の珠玉の言の葉をご紹介します。

一丈の堀を越えんと思わん人は、一丈五尺を越えんと励むべし
                                 法然上人


 九歳で父を亡くし、わずか十三歳で出家した法然(ほうねん)。青年になったころには、その胸は誰もが平等に救われる仏教を広めたいという思いに満ちあふれていました。というのも当時の仏教の教えは非常に難しく、その修行もたいへん厳しいものでした。また、極楽浄土への往生を望めば寺へ寄進しなければならず、つまり仏教は普通の人々には縁遠い存在だったのです。
 このような現実のなかで思索を深め、さらに人々とのふれあいを通して、法然はある考えに至ります。それは念仏を熱心に唱えさえすれば、どのような人でもかならず阿弥陀仏に救われるという「他力本願」の思想。それまでになかった画期的なこの考えは、庶民はもちろん皇族にまで広まり、後の仏教にも大きな影響を与えます。

 冒頭にご紹介した言の葉は、法然の伝記とされる『勅修御伝(ちょくしゅごでん)』におさめられたもの。大意は「一丈(約三メートル)の堀を飛び越えようと思えば、その一・五倍を飛べるように努力をしなければ、確実に飛び越えることはできない」。
これは極楽浄土への往生を求める人々に、念仏をさらに熱心に唱えるよう諭すためのメッセージであったといわれています。しかし、この言の葉は信仰の壁を越え、さらには千年の時空を超えて、現代を生きる私たちにさまざまな気づきを与えてくれます。

 目標を高く定める。それは身の丈にあわないことを望んだり、必要以上のものを得ようと欲張ったり、無理をすることではけっしてありません。大切なのは何をするにも前向きな心で取り組み、どんな小さなことにも大きな努力を惜しまず、つねに最善を尽くすということ。それは仕事にも、学びにも、人が生きていくうえでのあらゆることに通用する心の持ち方といえます。そのように努力を続けていけば、いつかは高い目標に達することができ、一生懸命にがんばった分、喜びもひとしお大きいことでしょう。そして、そのときにはきっと、一回りも二回りも成長した自分に出会えるはずです。
新しい年を迎えました。「一年の計は元旦にあり」というように、一年のはじまりは新たな計画を立てるのにまたとない機会です。法然の言の葉にならい、今年はあえて、目標をいつもより高く定めてみるのはいかがでしょうか。



平安京 今昔めぐり

【平安京今昔めぐり 随心院】

花の色は うつりにけりな いたづらに
       わが身世にふる ながめせしまに

『小倉百人一首』の第九番の作者であり、 美女の代名詞としていまに語り継がれる 小野小町ゆかりの古刹が、洛東・山科の随心院です。


【薄紅色のはねず梅の香りにつつまれる門跡寺院】

 随心院(ずいしんいん)はそもそも、牛皮山曼荼羅寺(ぎゅうひさんまんだらじ)という寺院の塔頭として生まれた古刹。牛皮山曼荼羅寺は平安時代中ごろの正歴(しょうりゃく)二年(九九一)に仁海(にんがい)という僧が創建し、その後増俊(ぞうしゅん)によって塔頭の随心院が建てられました。
 鎌倉時代に入ると随心院は後堀河天皇の命によって門跡となり、壮麗な七堂伽藍を誇る寺院に発展しますが、残念ながら応仁の乱(一四六七)の戦火で伽藍のほとんどが焼け落ちてしまいます。現在の本堂は慶長(けいちょう)四年(一五九九)に再建されたもので、書院や能の間などは江戸時代に、公家の寄進によって建てられました。
 随心院は小野小町ゆかりの寺として有名ですが、それはかつてこの地に小町の屋敷があったという伝説にちなむもの。境内には、小町が化粧のために使ったという化粧井戸や文塚などがのこされています。文塚は深草少将から送られた恋文が埋められたとされる遺跡。深草少将(ふかくさのしょうしょう)は、「百日間、私のもとへ通い続けたら結婚してもいい」という小町の言葉を信じ、毎日のように通いつづけた揚げ句、九十九夜目に雪に埋まって死んでしまった人物。もっとも少将自体が架空の人物とされているので、文塚の謂れも事実かどうかはわかりません。
 随心院を語るとき、もうひとつ忘れることのできないのが梅。境内には二百数十本の梅が植えられ、東風(こち)が心地よく吹く二月の終わりあたりから蕾が開きはじめ、三月の半ばごろに見ごろを迎えます。薄紅色の梅がもっとも多く、その色の古い名前にしたがい寺では薄紅色の梅を「はねず」と呼んでいます。
 この梅にちなみ、随心院では毎年三月の終わりごろにはねず踊りが催されます。はねず梅が咲き誇り、ふくいくとした香り漂う境内で、地元の小学生たちが小町と少将との恋物語を題材とした踊りを舞う姿は、春の京都の風物詩として親しまれています。

わらべ歌にあわせて二十人ほどの
子どもたちが可憐な舞いを見せるはねず踊り
わらべ歌にあわせて二十人ほどの子どもたちが可憐な舞いを見せるはねず踊り




百人一首 永久の恋歌

平安人の恋のかたちに心を寄せる「百人一首 永久の恋歌」。
今回は、藤原義孝の名歌をご紹介します。

君がため
 惜しからざりし
  命さへ

   長くもがなと
    思ひけるかな
     
             藤原義孝
藤原義孝
あなたに会うためなら、かつては命さえ惜しくは ないと思っていました。しかし、こうして 会うことができたいまでは、その命が惜しくなり このままいつまでも会いつづけたいと思うようになりました。

 後朝(きぬぎぬ)の歌と伝えられる、藤原義孝(ふじわらのよしたか)の第五十番。男性が女性のもとを訪れる「通い婚」が一般的であった平安時代には、一夜をともにした後朝(翌朝)に、男性が女性に歌を贈るのが決まりでした。その歌は女性にとってたいへん重要なもので、もし歌が来なければ、男性に捨てられたことを意味しました。一方、男性も愛する女性へ自らの恋心を印象的に伝えるために、あれやこれやと手を尽くして歌をしたためたといいます。
 しかしこの一首は、特別な技巧を用いることなく、みずみずしい心情が素直な言葉でつづられた名歌。恋をすることによって、命の尊さと生きる意味をあらためて知り、その喜びをふたりで分かち合おうとする。そんな真摯な思いが、三十一文字のひとつひとつから、いきいきと弾んでくるかのようです。

 藤原義孝は平安中期を生きた人物で、父は第四十五番の作者の謙徳公(けんとくこう)、母は醍醐天皇の皇子、代明(よあきら)親王の娘という名家の生まれでした。容姿端麗で歌才に優れた義孝は女性から絶大な人気を誇り、清少納言と紫式部も義孝の美男ぶりにたいそう魅かれていたといいます。ところが義孝に浮ついたところはなく、信仰心にもたいへん篤い人物であったそうです。
 端正を絵に描いたような好青年で、将来を期待されていた義孝。しかしその人生は突然閉ざされてしまいます。天延(てんえん)二年(九七四)に大流行した痘瘡(とうそう)のため、兄の拳賢(たかかた)と同じ日にこの世を去ってしまうのです。若干二十一歳のときでした。
 義孝が、その人のために長く生きたいと願った女性。それは一説に、義孝とのあいだに息子をもうけた源保光(みなもとのやすみつ)の娘ではないかといわれていますが、残念ながら定かではありません。

 



小倉山荘 店主より

雪月風花
 

 あけましておめでとうございます。皆様におかれましては、輝かしい新年をお迎えのことと心よりお慶び申し上げます。
 雪の冷たさに耐えて、じっと春を待つ植物。雪が降り続いた後の久しぶりに見る青空。冬の景色は本当に美しいと思います。春夏秋冬の彩りに満ちた日本の美しい風景は、日本人の心として風雅の趣をそえ独特の文化をつちかってきました。
 いま世界中で、地球の自然に大きな関心がよせられています。私たちに必要なことは、この自然を愛でる心や、人に対するあたたかくて深い、こまやかな思いやりの心かもしれません。
 二〇一〇年初春、雪月風花に趣を感じる日本の善き心を大切にして、未来の地球が人類の快適なすみかとなりますように。そんな願いをこめて、皆様の心と心を結ぶ銘菓づくりに取り組んでまいります。本年も一層のご贔屓を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。


報恩感謝 主人 山本雄吉