洗心言

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平成二十一年 初夏の号
有職のかたち

有職のかたち【亀甲】
  有職のかたち【亀甲】

正六角が亀の甲羅を思わせる文様。亀が長寿であることから、めでたさを象徴する吉祥のかたちとして好まれました。



時を超える言の葉

日本の歴史を振り返ると、それぞれの時代に、それぞれの分野で偉業をなした先人たちの至言に出会うことができます。それらは、数百年、千年の時を経たいまも私たちの心に響き、熱く、深く染みわたります。
「時を超える言の葉」。今回は没後千年以上が過ぎたいまも、弘法大師の名で親しまれている空海の珠玉の言の葉をご紹介します。

山川は長くして萬世也 人は短くして百年也 空海


 空海の生涯は奈良時代の宝亀(ほうき)五年(七七四)に讃岐国(現在の香川県)で、名族佐伯氏の跡取りとしてはじまりました。幼い頃から秀才の誉れ高く、やがて官吏をめざして大学寮に入学。ところが仏法に魅かれた青年は大学寮を辞め、諸国をめぐりながら修行に打ち込むようになります。そして十九歳のとき、室戸岬にある洞穴での修業中に悟りを開きます。その間、向きあっていたのは空と海だけであったことから、「空海」と名乗るようになりました。
  その後、三十歳で唐にわたり仏教の奥義を学び、さらなる修行と研究にあけくれ、ついに真言密教を確立。そして、嵯峨天皇の庇護のもとで高野山を開創し、さらに東寺を賜わるなど、空海は仏教の中心的な指導者としての地位を築きます。

 それから空海は津々浦々まで自らおもむき、布教を精力的につづけ、それまで庶民とは無縁であった仏教を広めていきます。また、庶民教育のために綜藝種智院(しゅげいしゅちいん)を京に創設したり、故郷の人々のために農業用ため池の修築を指導するなど、社会事業にも力を尽くした末、六十二歳の生涯を終えます。
  冒頭の言の葉は、空海の詩文をまとめた『性霊集(しょうりょうしゅう)』のなかの一節。大意は「山や川のいのちは永遠だが、人のいのちは長く生きてもせいぜい百年。大自然の営みに比べれば、人間の存在などなんとも小さいものだ。しかし、ちっぽけだからと自らのいのちを決して無駄にすることなく、永遠の真理を求めようではないか」。

 出世への道を捨てて野に飛び出し、悟りを求めて山野をさまよい歩いた青年時代。そして、時の権力者の庇護を得ても目先の栄華にとらわれることなく、つねに在野の立場から人々の幸福を願いつづけた円熟期。この言の葉には、空海のそんな生き様が如実に表わされているかのようです。
  そして空海の生き方は、現代を生きる私たちに大きな気づきを与えてくれます。ほんとうの豊かさは、世間の価値観や私利私欲を超えたところからはじまる。そんなことを、千年の時空を超えて教えてくれているかのようです。



平安京 今昔めぐり

【平安京今昔めぐり 晴明神社】
かつて洛中と洛外との境目とされ、
死者の生き返りや鬼にまつわる不思議な伝説をいくつも残す一条戻橋。
その近く、現在では多数の車が休みなしに行き交う
大通りの堀川通り沿いに、
陰陽道で名高い晴明神社がひっそりとたたずみます。

【神秘的な陰陽師、安倍晴明をまつる古社】

 陰陽道(おんみょうどう)とは古代中国で生まれ、七世紀ごろに伝来した自然哲学思想の陰陽五行(いんようごぎょう)説をもとに、日本で独自に発展した方術のこと。万物は陰と陽からなり、木(もく)、火(か)、土(ど)、金(ごん)、水(すい)の五つの原素によって変化するという考えを基本に、天文学や暦学、易などを用いて自然界や人間界のさまざまな吉凶を占いました。この方術は古代の政治支配体制である律令(りつりょう)制の確立に利用され、陰陽寮(おんみょうりょう)という役所では、いわば「国家公務員」の陰陽師(おんみょうじ)が政(まつりごと)のために陰陽道をつかさどりました。
  平安時代に入ると朝廷内での権力闘争が激しくなり、さらに、争いに敗れた怨霊退治が求められたことなども重なり、陰陽師は天皇や公家から個人的な信望を寄せられるようになります。そのなかで、絶大な存在感を放ったのが安倍晴明(あべのせいめい)(九二一?〜一〇〇五)。晴明は星や雲の動きから宮廷での異変をいちはやく予知したといわれ、朱雀(すざく)から村上(むらかみ)、冷泉(れいぜい)、円融(えんゆう)、花山(かざん)、一条(いちじょう)まで六代の天皇に側近として仕えました。その活躍ぶりは死後まもなくに神秘化され、『今昔物語』や『宇治拾遺物語』、『大鏡(おおかがみ)』などに晴明にまつわる逸話がいくつも残されています。
  晴明神社は寛弘(かんこう)四年(一〇〇七)、晴明の功績を賛えるために一条天皇によって創建された古社。もともとは晴明の屋敷があったところで、当初の社域はたいへん広大なものでした。しかし、応仁の乱をはじめとする度々の戦火や豊臣秀吉が手掛けた天正(てんしょう)の地割(じわり)などにより神社の規模は縮小。社殿も荒廃しますが幕末、明治、昭和の三時代に整備が行なわれ、神社は復興します。そして現在、小説や映画を通して安倍晴明の大ブームが巻き起こり、晴明神社は京都有数の名所となりました。
  ところで、晴明と一条戻橋の縁はたいへん深く、晴明は式神という使いの魔物を橋の下に住まわせていたのだとか。現在の橋は平成になって付け替えられたもので、境内の一角に先代の橋の欄干が保存されています。

現在の本殿は昭和三年に再建されたもの。
提灯の神紋は晴明が考案したという桔梗印(五芒星)
現在の本殿は昭和三年に再建されたもの。提灯の神紋は晴明が考案したという桔梗印(五芒星)




百人一首 永久の恋歌

平安人の恋のかたちに心を寄せる「百人一首 永久の恋歌」。
今回は、赤染衛門の名歌をご紹介します。

やすらはで
 寝なましものを
  小夜更けて

   かたぶくまでの
    月を見しかな
     
             赤染衛門
赤染衛門
ためらわずに寝てしまえばよかったのに。あなた様が おいでになるとおっしゃったので、とうとう夜更けまで
お待ちして、西の空に月が傾くのを一人で見てしまったことです。

 かならず訪ねるといって一晩中寝ずに待たせておきながら、結局来てくれなかった男性への恨みが詠みあげられた第五十九番。実際に待ちぼうけを食らわされたのは作者の姉か妹で、赤染衛門(あかぞめえもん)は翌朝に、悲しみと後悔に暮れる女きょうだいに代わってこの歌を詠んだといわれています。
  一人の男性が、何人もの女性を同時に愛するのが当たり前だった平安時代。女性はただ男性を待つことしかできず、その不満を表わすにも、このように歌にするしか方法がありませんでした。しかし、相手への恨みをそのまま言葉にするとなにかと角が立つので、赤染衛門のようにやんわりと責めるのが常だったのでしょう。ともあれこの歌からは、理不尽な苦しみを強いられた平安女性の悲しみがしみじみと伝わってくるようです。

  赤染衛門は平安時代の中ごろを生きた女流歌人で、和泉式部と並び称されるほどの優れた歌才を誇りました。一風変わったその名は、右衛門尉(うえもんのじょう)という官職を務めた赤染時用(あかぞめのときもち)の娘であることにちなみますが、第四十番の作者の平兼盛(たいらのかねもり)が実の父親だったという説もあります。男性への恨みを詠んだこの一首でつとに名高い赤染衛門ですが、文章博士(もんじょうはかせ)だった夫の大江匡衡(おおえのまさひら)とはとても仲の良い夫婦だったそうです。
  歌が詠まれた背景を記した詞書によると、恨みの矛先が向けられた男性は中関白藤原道隆(なかのかんぱくふじわらのみちたか)。道隆は、第五十四番の儀同三司母(ぎどうさんしのはは)の歌でも「あなたの愛の誓いの言葉はいつまでもあてにできないから、いっそ幸せなうちに死んでしまいたい」と詠まれた人物。一説に、道隆は艶っぽい噂が絶えない美男子だったそうで、もしかすると、恨みを抱いていた女性は他にもたくさんいたのかもしれませんね。

 



小倉山荘 店主より

人の己を知らざるを患(うれ)えず、人を知らざるを患う
 
表題は『論語』の言葉で、「人が自分を認めてくれないからと不平をもらすより、人を認めることに力を傾けよ」という意味です。一生懸命やっているのに、その努力が認められないと、誰でも愚痴のひとつもこぼしたくなるものです。しかし、そうして得ることなどひとつもないことは、誰もがよく知っているはずです。
人が自分を認めてくれないと不平をもらすのは、結局は自分のことしか考えていないためであり、おごりに過ぎないといえるでしょう。それに気づかなければ、いつまでも愚痴をこぼすことになります。その悪循環を断ち切るには、視野を広げ、まわりの人に目を配ることが肝心です。すると自分の足りない部分が見えはじめ、当然のことのように思っていた不平が見当ちがいだったことに気づくはずです。そして謙虚な心が生まれ、人から学ぼうという気持ちが芽生えることでしょう。
自分を高めるためにも、良き人間関係を築くためにも、人を認める素直な心を大切にしたいものです。

報恩感謝 主人 山本雄吉