洗心言

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平成二十年 晩秋・初冬の号
折々の花

折々の花【紅葉】
  折々の花【紅葉】

晩秋に、草木の葉が色づくもみじ。奈良時代には黄葉が好まれ、平安時代からは紅葉がもてはやされるようになりました。



時を超える言の葉

日本の歴史を振り返ると、それぞれの時代に、それぞれの分野で偉業をなした先人たちの至言に出会うことができます。それらは、数百年、千年の時を経たいまも私たちの心に響き、熱く、深く染みわたります。
「時を超える言の葉」。今回は悲劇の歌人として知られる、菅原道真の珠玉の言の葉をご紹介します。

心だに 誠の道に かないなば 祈らずとても 神や守らん  菅原道真


 日本各地に一万二千を越える天満宮に祀られ、こんにちも学問の神様として厚い信仰を集める菅原道真(すがわらのみちざね)は、平安時代を代表する文人。『小倉百人一首』の第二十四番の作者、菅家(かんけ)としてご存知の方も多いことでしょう。
  代々学者の家に生まれ、五歳で和歌を詠み、十一歳で漢詩を吟ずるなど、幼少よりその非凡な才能を花開かせた道真は、青年期にも着々と学を積み重ね、三十三歳で学者としての最高位である文章博士(もんじょうはかせ)となります。まさに、飛ぶ鳥を落とす勢いで頭角を現わした道真。その才能と高潔な人格は、時の最高権力者である宇多(うだ)天皇の信頼を得るに至り、道真は新たに政治家としての道を歩みはじめました。

 宇多天皇の補佐役として辣腕をふるい、醍醐天皇の時代には右大臣の座にまで登りつめた道真。そもそも宇多天皇が道真を重用した理由は、当時急激に勢力を伸ばしていた藤原一族の動きを、道真の才気によって封じ込めようとしたことにありました。その期待に応えるために、道真はどんどん改革を進めていきます。しかし、それは藤原一族はもとより他の有力貴族からの激しい反発を招き、道真への風当たりは日増しに強くなっていきました。
  そしてついに、左大臣藤原時平(ふじわらのときひら)の陰謀におちいり無実の罪を着せられた道真は、醍醐天皇によって九州の大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷されてしまいます。冒頭の言の葉は、そのときに道真が詠んだと伝わる歌。大意は「心を誠実にして生きていけば、祈らなくても神は守ってくれる」。

 人は生きていると、理不尽な目にあうことがあります。それは辛く、悔しいものです。道真もきっとそうだったでしょう。政治家になったことを後悔したかもしれません。しかし、自分の行なったことは、すべて信念に基づいたこと。だからこそ言い訳などせず、強い気持ちをもって自分に正直に生きれば、いつかきっと報われるときが来る。そう固く信じて、道真は潔く太宰府へと旅立ったのでしょう。
  残念ながら道真が生きているあいだに、その汚名が晴らされることはありませんでした。しかし、その高邁な精神は死してなお、凛とした輝きを放ちつづけています。




平安京 今昔めぐり

【平安京今昔めぐり 真如堂】
京都にちらばる数多くの紅葉の見どころのなかで
ここ数年、秘かな人気を集めているのが真如堂。
南禅寺や哲学の道にほど近い、小高い山にたたずむ古刹は、
ふだんはひっそりしているものの、
秋が深まると燃えるような彩りにつつまれます。

【女人の寺として名高い、知る人ぞ知る紅葉の名所】

 真如堂(しんにょどう)の正式名は、鈴聲山真正極楽寺(れいしょうざんしんしょうごくらくじ)、すなわち真の極楽を名乗る寺。一般に親しまれている真如堂は本堂の名称です。寺のはじまりは平安時代の永観(えいがん)年間(十世紀末)。戒算(かいさん)上人という僧が、東三條女院(藤原詮子(ふじわらのせんし)、円融(えんゆう)天皇の女御(にょうご))の離宮に、比叡山常行(じょうぎょう)堂の阿弥陀如来像を安置したことが、その起源とされています。
  ちなみに、この一木彫の如来像の通称は「うなづきの弥陀(みだ)」。それは作者の慈覚(じかく)大師円仁(えんにん)が「都に下って一切の衆生(しゅじょう)、ことに女性をお救いください」と願うと、如来がうなづいたという伝説によるもの。ゆえにこの寺は女性からの厚い信仰を集め、女人の寺として知られてきました。
  鎌倉時代以降は、寺は昼夜絶え間なく念仏を唱える不断念仏(ふだんねんぶつ)の道場として、法然上人や親鸞上人といった行者の信仰を集めて栄えます。しかし、京を焼け野原に変えた応仁の乱の戦火で堂塔は焼失。その後、寺は京を転々とし、本堂がもとの地に再建されるのは元禄六年(一六九三)のことでした。
  現在、広大な境内には本堂や三重塔、元三大師堂(がんざんだいしどう)などの堂宇がゆったりと並ぶほか、東山三十六峰を借景とする枯山水、涅槃(ねはん)の庭などの見どころが点在。本堂には慈覚大師円仁作の本尊、阿弥陀如来像が安置され、こちらは十一月五日から十五日まで行なわれる十日十夜別時念仏会(じゅうにちじゅうやべつじねんぶつえ)の最終日のみ、特別に開帳されます。寺宝も多く、平安時代末期に活躍した仏師、運慶(うんけい)の願経(がんぎょう)とされる法華経六巻は国宝に指定されています。
  秋を迎えると、まず見ごろを迎えるのは萩。境内のあちこちに紅い可憐な花が咲き競い、寺は次第に色づきはじめます。そして霜月十一月も中ごろを過ぎ、一日、一日と東山に冷たい空気がたちこめはじめると、待ちわびたように紅葉が燃えはじめ、境内は錦の海と化します。

現在の三重塔は文化十四年(一八一七)に再建されたもので、高さは三十メートルほど
現在の三重塔は文化十四年(一八一七)に再建されたもので、高さは三十メートルほど




百人一首 永久の恋歌

平安人の恋のかたちに心を寄せる「百人一首 永久の恋歌」。
今回は、元良親王の名歌をご紹介します。

わびぬれば
 今はたおなじ
  難波なる

   みをつくしても
    逢はむとぞ思ふ
     
               元良親王
元良親王
激しく思い悩んでいる今となっては、もう同じことです。
難波にある澪標ではありませんが、この身を尽くし ほろぼしてもあなた様にお逢いしようと思っています。

 渾身の心をこめて、熱烈な恋慕の情が詠みあげられた第二十番。歌が詠まれた背景を記した『後撰集(ごせんしゅう)』の詞書をひもとくと、この歌は京極(きょうごく)の御息所(みやすんどころ)との恋愛関係が世間に知られてしまったときに綴られた一首とあります。その京極の御息所とは、左大臣藤原時平(ふじわらのときひら)の娘、藤原褒子(ふじわらのほうし)のこと。たいへんな美貌を誇ったという褒子は時の法皇、宇多院(うだいん)にこよなく愛され、女御として迎えられ、三人の皇子をもうけていました。そんな寵姫(ちょうき)との逢瀬は、いくらやんごとなき元良親王(もとよししんのう)であれ、けっして許されることのない行い。しかし、いちど火のついた恋心は、どのようにしても消すことができないもの。
  この名歌を味わうと、関係が発覚することによって絶望の淵に追い込まれ、ひたすらもだえ苦しむ心。そして、もう逢えないのならいっそのこと死んでしまいたいという、破れかぶれな心が激しく伝わってきます。
  ところで、「身を尽くし」に掛けられた澪標(みおつくし)とは、舟の通り道を示すために入り江に立てられた杭のこと。「水脈」を知らせる「串」が、その語源といわれています。

  作者の元良親王は、第十三番の作者である陽成院(ようぜいいん)の第一皇子。体格がよく、とても立派な声の持ち主だったようで、吉田兼好(よしだけんこう)の『徒然草(つれづれぐさ)』には天皇に年賀の祝辞を述べる親王の声が、大極殿(だいごくでん)からはるか遠くまで響いたという逸話が記されています。美男子であった親王は恋多き皇子としてその名を馳せ、一説に『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルのひとりといわれています。さまざまな女性と浮き名を流した親王ですが、京極の御息所はそのなかでも特別な存在、まさに運命の女性だったのかもしれません。

 



小倉山荘 店主より

禍は足るを知らざるよりも大なるはなし
 
 老子は、最大の禍いは足ることを知らない心に起因していると述べています。「知足(ちそく)」、すなわち足るを知ることが必要と説いているのです。禍いは足るを知らないこと、つまり現実に満足できない心からはじまります。ですから、あるがままの現実に常に満足する心がけが大切です。
  しかし、人間の欲望には際限がありません。一つのことを手に入れると、次ぎから次ぎへと欲望は大きくなります。人はこのように自らの能力を高め進化し、企業も社会も発展してきたのですが、事業でも功名でも欲望に引きずられて突っ走れば、いずれは足を踏み外すことになります。
  人生には限りがあります。崇高な「志」をもって自分を尊敬し、自分が満足できるような行動をとる。そして、一歩一歩先人の教えに従うことで、我が身を慎むように心がけたいものです。

報恩感謝 主人 山本雄吉