洗心言

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平成二十年 初秋の号
折々の花

折々の花【萩】
  折々の花【萩】

秋に草冠をいただく萩。万葉の時代から歌に詠まれ、山上憶良によってススキやナデシコらとともに秋の七草に数えられています。



時を超える言の葉

日本の歴史を振り返ると、それぞれの時代に、それぞれの分野で偉業をなした先人たちの至言に出会うことができます。それらは、数百年、千年の時を経たいまも私たちの心に響き、熱く、深く染みわたります。
「時を超える言の葉」。今回は江戸時代の前期を生きた俳人、松尾芭蕉の珠玉の言の葉をご紹介します。

松のことは松に習え 松尾芭蕉


「古池や蛙飛びこむ水の音」、「閑(しず)かさや岩にしみいる蝉の声」をはじめとした数多くの句を遺し、広く世界にその名を馳せる松尾芭蕉(まつおばしょう)。日常的なものを素材としながらも芸術性の高い俳句を詠んだことから、芭蕉は俳諧(はいかい)の歴史において最初の偉大な作家となり、後に俳聖(はいせい)と呼ばれるようになりました。自然をこよなく愛し、人生を旅と考えていた芭蕉は五十一歳の生涯の多くを旅の空の下で過ごし、『野ざらし紀行』や『奥の細道』といった優れた紀行文を残したことでも知られています。
  冒頭でご紹介したのは、芭蕉が俳句づくりの極意として弟子たちに伝えた言の葉。その後に、「竹のことは竹に習え」と続きます。

 芭蕉の教えは、およそつぎのような意味になります。松には松、竹には竹にしかないように、この世のすべてのものにはそれぞれに、そのものにしかない存在価値がある。しかし、それはとてもかすかな光のようなものだ。だから相手を自分の尺度でとらえて勝手に解釈しようとしても、けっして生命の微妙な輝きを見据えることはできない。
  大切なのは心を空しくして、いっさいの自我や私意を捨て去り、相手とひとつになろうと努めることである。そうしてはじめて、かすかな光が見えるようになる、と。

 この言の葉は、俳句づくりの極意だけでなく、混迷とした時代を生きる私たちにさまざまなことを気づかせてくれます。たとえば環境問題について。これまで人間は、自分たちの価値観をふりかざすばかりで自然の摂理を理解しようとせず、ただ、自然を征服することに力を費やしてきました。その結果、地球規模で深刻な環境破壊をひき起こしていることはいうまでもありません。今求められているのはまさに、生命の微妙な輝きを見据えようとする視点なのです。
  そして、私意を捨て去り、相手とひとつになろうとすることは、相手のすべてを受け入れることにほかなりません。見返りを求めることなく、相手の幸せを自分の幸せと受け入れ、喜ぶ。それは、究極の人間関係といえないでしょうか。




平安京 今昔めぐり

【平安京今昔めぐり 清涼寺】
今年千年記を迎え、ふたたび熱い注目を集めている『源氏物語』。
その主人公、光源氏のモデルとされる平安の貴公子、
源融にゆかりの深い名刹が、嵯峨野にたたずむ清涼寺。
嵯峨釈迦堂とも呼ばれる寺には、
エキゾチックな秘仏や融をモデルにした阿弥陀像が伝わります。

【三国伝来の釈迦如来立像で名高い嵯峨野の古刹】

 源融(みなもとのとおる)は、嵯峨天皇の第八皇子として生まれ、後に皇族から離れて源氏の姓を賜り、従一位左大臣(じゅいちいさだいじん)にまで登りつめた人物。たいへんな美男子で、鴨川に接した大邸宅で夜ごと華麗な歌会を催していたことなどから、光源氏の実在のモデルではないかといわれています。
  清涼寺(せいりょうじ)は、融が山荘として建てた棲霞観(せいかかん)を、融の一周忌(八九六年)に際して寺に改めたもの。はじめは融の姿を模して彫られたという阿弥陀三尊坐像を本尊として、棲霞寺(せいかじ)と呼ばれていました。しかし後に新しい堂が建てられ、さらに東大寺の僧であった 然(ちょうねん)が、十世紀の終わりごろに宋から持ち帰った釈迦如来立像を本尊とするに至って、清涼寺の寺号を名乗るようになったとされています。
  その釈迦如来立像は、釈迦が三十七歳のときの生き姿を刻んだ像がインドから古代の中国に伝わり、宋の時代に模刻されて日本に伝わった三国伝来の釈迦如来。大きさは高さ百六十センチメートルほどで、どこか異国的な表情や、網目状の頭髪や左右対称の衣文(えもん)のひだなど、他の仏像にはない特徴をたたえています。また、立像の胎内から五色の絹でつくられた五臓六腑(ごぞうろっぷ)や教典などの納入品が多数発見され、これらは立像とともに国宝に指定されています。像は現在本堂(釈迦堂)に安置され、毎月八日と春(四、五月)と秋(十、十一月)に特別公開されます。かたや、棲霞寺の本尊であった阿弥陀三尊坐像も国宝に指定され、こちらは春と秋に開帳されます。
  このほか、清涼寺の広大な境内には勇壮な構えの仁王門や多宝塔、四月と十月に嵯峨大念仏狂言が行われる狂言堂など、見所が豊富。秋が深まると、小堀遠州(こぼりえんしゅう)作と伝わる大方丈の庭には紅葉が燃え盛ります。

本尊の釈迦如来立像(国宝)を安置する本堂(釈迦堂)は
江戸時代の元禄十四年(一七〇一)に再建されたもの
本尊の釈迦如来立像(国宝)を安置する本堂(釈迦堂)は江戸時代の元禄十四年(一七〇一)に再建されたもの




百人一首 永久の恋歌

平安人の恋のかたちに心を寄せる「百人一首 永久の恋歌」。
今回は、平兼盛の名歌をご紹介します。

忍ぶれど
 色にいでにけり
  わが恋は

   ものや思ふと
    人の問ふまで
     
               平兼盛
平兼盛
誰にも知られまいと、心の中につつみ隠していた
私の恋心でしたが、「物思いをしておいでですか」と
人に問われるほど、ついに素振りに表われてしまったことだ。

 想う人に心を打ち明けることなく、じっと耐え忍ぶ恋ほど狂おしく、美しい。しかし、我が心はままならぬもの・・・。そんな現実との葛藤を、技巧を凝らして詠み上げた平兼盛(たいらのかねもり)の第四十番。この歌と第四十一番の壬生忠見(みぶのただみ)の一首「恋すてふわが名はまだき立ちにけり人しれずこそ思ひそめしか」とのあいだには、つぎのような逸話が残されています。
  天徳(てんとく)四年(九六〇)に村上天皇の内裏(だいり)で催された歌合(うたあわせ)で、兼盛と忠見は「恋」の歌を互いに詠みあい、その優劣を競うこととあいなりました。ところが両者とも素晴らしい歌を披露したため、判者が甲乙をつけられず、判定は村上天皇に委ねられることに。しかし、天皇もはっきりと判を下すことなく、ただ御簾(みす)のなかで「忍ぶれど」と小声で口ずさんでいたため、兼盛の勝ちとなったというのです。その瞬間、兼盛は喜びのあまり、衣冠束帯(いかんそくたい)姿のままで小躍りしながら歌合の席を後にしたといわれています。一方の忠見は落胆して病におちいり、ついには死んでしまったという誤伝が生まれました。

  平兼盛は、光孝天皇の子孫にあたる人物。はじめは兼盛王を名乗っていたものの後に皇族から離れ、平氏の姓を賜りました。三十六歌仙のひとりであり、平安時代中期を代表する優れた歌人でしたが、官僚としては出世に縁のない人生を過ごしました。
  平安人は早世の印象がありますが、兼盛は当時としてはかなりの長生きで、一説に八十歳を過ぎて天寿をまっとうしたのだとか。『小倉百人一首』ゆかりの歌人には藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)が九十一歳、清原元輔(きよはらのもとすけ)が八十三歳、藤原定家(ふじわらのていか)が八十歳と長寿の人が多かったそうで、その元気さには驚かされるばかりです。

 



小倉山荘 店主より

「この秋は、雨か嵐か知らねども、今日のつとめに田の草を取る」
 
 今、順風満帆であるとして、世の中、一寸先は闇。
  長い人生の間には思わぬ出来事が突然起こり、どうしたらいいか、どの道をとるべきか決断に迷ったり、心が沈んだりする場合が多々あります。生きている以上は避けがたいことですが、このような転機は何の前ぶれもなしに突然やってくるため、対応に苦しみます。
  大げさに言えば、そのときに「しまった」と考えるか、「しめた」と考えるかによって、人生の方向が決まります。どんなときでも「しめた」と思うと、道はどんどん開けていきます。所詮、人生は自分自身の考えと態度によって決まるのです。
  人生で起こる出来事には何か意味があり、それは私たちに、何かに「気づき」、何かを「学ぶ」ように促しているのだと考える。そして転機を好機とする前向きな発想で、今日やるべき事に最善を尽くす。
  人生の幸、不幸を決めるのは、その人の人生に起きた出来事ではなく、物事の受け止め方次第ではないでしょうか。

報恩感謝 主人 山本雄吉