洗心言

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平成二十年 仲春の号
折々の花

折々の花【桜】
  折々の花【桜】

遥か平安のいにしえより、日本人にこよなく愛され続ける桜。花見の宴の風習は、九世紀前半に嵯峨天皇が催したのが最初といわれています。



時を超える言の葉

日本の歴史を振り返ると、それぞれの時代に、それぞれの分野で偉業をなした先人たちの至言に出会うことができます。それらは、千年、数百年の時を経たいまも、私たちの心に響き、熱く、深く染みわたります。
このたびより新しくはじまる「時を超える言の葉」。第一回は平安時代の末期を生きた漂泊の歌人、西行の言の葉をご紹介します。

世の中を 思へばなべて 散る花の
    わが身をさても いづちかもせむ
                            西行


今年もはや、桜の匂い咲く季節となりました。暖かな春の訪れを祝福するように、日本各地の山野を鮮やかな色で染めあげる無数の花。そのうるわしい姿は遥かいにしえの昔より、多くの日本人の心を魅了しつづけてきました。
平安時代末期の僧であり、『小倉百人一首』第八十六番の作者としても名高い歌人の西行(さいぎょう)法師も、桜の魅力に惹きつけられたひとり。冒頭にご紹介した一首は、その西行が死に臨んで遺したと伝わる辞世の句です。大意は「世の中を思うと、まるですべてのものは散る桜の花のようだ。ならば、その散る花のようにはかないわが身は、いったいどこへ行ってしまうのだろうか・・・」。

二十三歳のときに武士の身分と家族を捨てて出家し、各地を転々と歩きながら数多くの秀歌を残した西行。なかでも月と花をこよなく愛した彼の歌には、独特の無常観が漂うといわれています。
無常観とは仏教の考えかたで、この世のすべてのものは生まれては滅び、世の移り変わりは水の流れよりもはやく、永遠に不変のものなど一切ないということです。なるほど、いくら美しく咲き誇る花も、いつかは枯れ散る運命にあります。人の命もまた、同じように限りあるもの。このような自然の流れを変えることは、誰にもできません。
西行の辞世の句。そこに連なる言の葉からは、花の営みに世の無常を見抜き、それをありのままに受け入れようとした心の動きが伝わってくるようです。

しかし、無常を感じるということは、世を悲観することではありません。いくら一生懸命に生きても、なるようにしかならないと諦めることではけっしてありません。
この世に不変のものはなく、すべては必ず滅びるという事実。それは言い換えると、いまというときは二度とないということです。だからこそ、どんなときにも前向きに、いまというときを大切に生きる。無常を感じるということは、このような戒めを心にしっかり留めるということと言えないでしょうか。




平安京 今昔めぐり

【平安京今昔めぐり 法輪寺】
嵐山の桜が盛りを迎える春たけなわの四月十三日、
花の彩りに負けじと艶やかに着飾った晴れ着姿の少女たちで賑わう法輪寺。
こんにち、十三詣りの寺として知られる古刹は
平安時代以前からの歴史を受け継ぎ、
『枕草子』や『平家物語』などにもその名を見つけることができます。

【虚空蔵菩薩の智慧と功徳をいまに受け継ぐ】

十三詣りは数え年で十三になった男女が福徳や知恵をさずかるために、旧暦の三月十三日(現在の四月十三日)、親子で法輪寺(ほうりんじ)の虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)にお参りをする神事で、江戸時代の安永(あんえい)二年(一七七三)にはじまったとされています。
その虚空蔵菩薩を本尊とする法輪寺は、嵐山の中腹に位置する真言宗のお寺。寺の歴史は奈良時代の和銅(わどう)六年(七一三)、元明(げんめい)天皇の勅願を受けた行基(ぎょうき)が五穀豊穣や産業の興隆を祈願して葛井寺(かづのいでら)を建立したことにさかのぼります。葛井の名は、かつて朝鮮半島からこのあたりに移住した古代豪族、秦(はた)氏の祖神である「葛野井宮(かづのいぐう)」にちなむもの。秦氏一族は大陸の進んだ農耕技術や治水技術、製糸、染織などの工芸技術をもたらすことで京都の開拓に貢献し、平安京遷都にも大きな影響を及ぼしました。
平安時代に入った九世紀のはじめには、空海の教えを受けた道昌(どうしょう)が本尊となる虚空蔵菩薩を安置。まもなく寺は、法輪寺と呼ばれるようになりました。その後、室町時代の応仁の乱や幕末の蛤御門(はまぐりごもん)の変などで寺は何度か焼け落ち、現在の本堂は明治時代に再建されたもの。境内にはまた、電気や電波を守護する電電宮(でんでんぐう)というユニークなお宮があります。
さて、話しは戻って十三詣りについて。その起源は子どもから少年、少女期へと移り変わるときに、虚空蔵菩薩が蔵する無限の智慧(ちえ)や功徳(くどく)とともに、技芸に優れた秦氏ゆかりの葛野井宮のご利益を得ようとしたことにあるといわれています。参詣に訪れた子どもは知恵をさずかるために、自分のいちばん好きな文字を一字書き、本堂で祈祷を受けるのが慣わしです。しかし、参拝を終えて門前の渡月橋(とげつきょう)を渡るとき、後ろを振り返るとせっかく身についた知恵が舞い戻ってしまうという言い伝えがあるので、注意しなければなりません。

十三詣りで知られる法輪寺はまた、 諸芸上達を願う針供養(二月八日と十二月八日)でも名高い
十三詣りで知られる法輪寺はまた、諸芸上達を願う針供養(二月八日と十二月八日)でも名高い




百人一首 永久の恋歌

平安人の恋のかたちに心を寄せる「百人一首 永久の恋歌」。
第一回は、和泉式部の名歌をご紹介します。

あらざらむ
 この世のほかの
  思ひ出に

   いまひとたびの
    逢ふこともがな
     
               和泉式部
和泉式部
わたしはやがてこの病いで命を失うでしょう。
せめてあの世への思い出として、 死ぬ前にもう一度あなたにお逢いしたいものです。

和泉式部(いずみしきぶ)は、その一生を恋に生きたといわれる女性。その数奇かつ華麗な恋愛遍歴のはじまりは、青年貴族の橘道貞(たちばなのみちさだ)との結婚でした。ふたりは娘(第六十番の作者の小式部内侍(こしきぶのないし))に恵まれ、人もうらやむような幸せな家庭を築きますが、式部は冷泉(れいぜい)天皇の皇子で五歳も年下の為尊親王(ためたかしんのう)と激しい恋に落ち、道貞との結婚生活はあえなく破綻します。
父親から勘当されてまでも手に入れた新しい暮らしもしかし、為尊親王の病死により突然の終止符が打たれます。すると今度は、弟である敦道親王(あつみちしんのう)とのあいだに熱い恋心がわき起こるのです。
ところが、彼女はまたしても、伴侶に若くして先立たれるという非運に見舞われてしまいます。愛する人との思いもよらぬ別れに、深い悲しみにくれる式部。そんな彼女が傷ついた心を癒すかのように、敦道親王との恋の軌跡をありのままにつづったのが、女流日記文学の名作と名高い『和泉式部日記』です。

式部の恋の旅路は、それで終わったわけではありませんでした。一条天皇の中宮彰子(ちゅうぐうしょうし)に仕えはじめた式部は多くの男性に言い寄られるなか、藤原保昌(ふじわらのやすまさ)を新たな伴侶に選びます。以後、娘を幼くして亡くす不幸に遭いながらも、式部は保昌と長きにわたり、平穏な日常を過ごしたといわれています。
そして迎えた晩年、病床に伏していた式部は、愛する男性への切なる想いを三十一文字に託します。それが冒頭にご紹介した第五十六番。歌に詠まれた男性はいったい誰だったのか、一説に最初の夫の道貞といわれていますが、詳しいことはわかっていません。千年の時を経たいまも熱さを失わない珠玉の一首。その秘密は、一生を恋に生きた作者の魂にあるのかもしれません。

 



小倉山荘 店主より

「森の分かれ道では人の通らぬ道を選ぼう。すべてが変わる」
 
 分野がちがっても、偉業を成し遂げた人にはそれぞれ共通点があります。それは決して人と同じことをしないということです。皆が右を向いたら、あえて左を見る。するとそこには、誰も知らない世界が広がっているはずです。人が十回しかしなければ、二十回やってみる。そうすれば、誰も見たことがない新しい未来が開けるはずです。
  表題はアメリカの詩人、ロバート・フロストの言葉です。大いなる変革を目指したケネディ大統領は、フロストの詩を座右の銘にしたといいます。
  春、新しい出発の季節です。歩みの途中で分かれ道に立てば、ぜひ人の通らぬ道に次の一歩を踏み出す勇気をもちたいものです。最初はたとえ小さな一歩でも、その歩みは、かならず大きな未来へとつながるはずです。

報恩感謝 主人 山本雄吉