洗心言

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平成十九年 晩秋・初冬の号
伝承の花

伝統文様【雲】
  伝統文様【銀杏】

楓とともに、美しく紅葉する銀杏。生命力がたいへん強く、神木として崇められる銀杏の文様は、徳川家康にも好まれていたといわれています。



こころを彩る千年のことば

秋の深まりとともに、たそがれどきの訪れがいっそう早くなりました。西の空から夕茜が消え、まわりが次第に闇につつまれると、人の心には、なんとも言えぬ人恋しさが募りくるものです。
珠玉の言葉を昔の歌に訪ね、折々の季節にあわせてご紹介する「こころを彩る 千年のことば」。今回は、「たそかれ」という言葉にこめられた先人の思いを訪ねます。

【大切な人の無事を祈る、たそかれ。】

江戸時代以降、「たそがれ」と言われるように
数年前に、『たそがれ清兵衛(せいべえ)』という映画が人気を博しました。幕末を生きた、ある平侍の人生模様を淡々と描いた映画は海外でも高い評価を受け、アカデミー賞の外国語映画賞候補に挙げられたほどです。主人公の「たそがれ」というあだ名は、子どもと老母の世話をするため、勤めが終わる夕方になるとすぐに家に帰ることから付けられたものでした。この「たそがれ」という言葉、古くは「たそかれ」といわれ、「たそがれ」となったのは江戸時代以降のことといわれています。
秋深み たそかれどきの 藤袴(ふじばかま) 匂ふは名のる 心地こそすれ
平安の名歌人、崇徳院(すとくいん)の一首。大意は「秋深い『夕暮れどき』、草原でひときわゆかしく匂う藤袴の芳しさは、『誰(た)そ彼(か)』との問いかけに名乗りをあげているようだ」。

夕暮れどきの誰何(すいか)の言葉が「たそかれ」の語源

お気付きのように、この歌にはたそかれの二つの意味が込められています。一つは「夕暮れどき」、もう一つは「誰そ彼(あれは誰だ)」という意味であり、この「誰そ彼」こそがたそかれの語源といわれているのです。日が暮れ、まわりが薄暗くなると人の顔が見分けにくくなります。そのとき、「誰そ彼」と言ったことから、たそかれは夕暮れどきを表わす言葉となったのです。現代のように電気などなかった時代、夕暮れは漆黒の闇の訪れにほかならず、それは大きな災いの起こりがちな刻として人々にたいへん恐れられていました。そんな大禍時(おおまがとき)、愛する人の訪れや大切な人の帰りの無事を祈り、一目でも早く会いたいと願う切なる気持ちが、たそかれという言葉を生み出したのかもしれません。

【いつまでもたそがれることなく、前向きに生きる】

たそかれ、現代風にいうとたそがれはまた、「盛りを過ぎた」という意味を持ち合わせています。よく使われるのが、人生のたそがれという言葉です。ほんの十数年前まで、六十歳を過ぎるとたそがれと言われたものですが、最近では六十代は第二の青春の始まりというように、年齢に対する考え方が大きく変わってきています。
「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう」。これはアメリカの詩人、サミュエル・ウルマンの詩の一節です。この言葉が勇気づけるように、年齢を重ねてもけっしてたそがれることなく、いつまでも熱き心を抱き、前向きな人生を送りたいものです。



平安京 今昔めぐり

【平安京今昔めぐり 大原野神社】
京都の西に位置する大原野。西山の麓(ふもと)に広がるこの地には、
四季の彩りに恵まれた歴史遺産が数多く残され、
これからの季節は紅葉の饗宴(きょうえん)を堪能することができます。
千二百年の歴史遺産をめぐる「平安京今昔めぐり」。
今回は、平安貴族、藤原氏ゆかりの「大原野神社」をご紹介します。

【『源氏物語』にも登場する、王朝の雅ただよう古社】

大原野(おおはらの)神社の起源は、平安京以前にまでさかのぼります。平安遷都の十年前の七八四年、桓武(かんむ)天皇は平城京から長岡京へと都をうつします。その際に、皇后の藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ)が氏神である奈良の春日大社への参詣を続けられるよう、大社の分霊を大原野に移し祀ったのが神社のはじまりです。大原野が選ばれたのは、桓武天皇が鷹狩りのためにしばしばこの地を訪れ、その美しい風景に魅了されたためといわれています。
八五〇年に、祖父である藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)の願いを継いだ文徳(もんとく)天皇が壮麗な社殿を造営し、社は大原野神社と名付けられました。以降、神社は平安京守護の社として崇められるとともに、藤原氏の隆盛にあわせて発展。一族に女子が生まれると、将来皇后や中宮になれるよう祈りを捧げ、願いが叶うと行列をなして参拝することが慣わしとなりました。その絢爛な様子は、一条天皇の中宮となった藤原彰子(ふじわらのしょうし)の女房を務めた紫式部により、『源氏物語』のなかで描かれています。
『小倉百人一首』にも歌が採られた平安の名歌人、在原業平(ありわらのなりひら)もこの神社と縁の深い人物の一人。清和(せいわ)天皇の女御(にょうご)となった藤原高子(ふじわらのたかいこ)のお供として参拝した際に、「大原や小塩(おしお)の山も今日こそは神代のことも思ひ出づらめ」という歌を残してます。
時代が変わり、戦国の世を迎えると神社は次第に力を失い、応仁の乱後には社殿も荒廃。しかし、江戸時代初期の慶安年間に後水尾(ごみずのを)天皇が新たに社殿を造営し、神社を見事に再興します。
現在、八万平方メートル以上の面積を誇る広大な社域には、奈良の猿沢池を模して文徳天皇が造ったという「鯉沢の池」や、大伴家持(おおとものやかもち)が歌に詠んだ清水の「瀬和井(せがい)」がたたずみ、緑や季節の花の彩りのなかで、いにしえの王朝の雅をひっそりと伝えています。そして秋が深まると、境内の随所で紅葉が鮮やかに色づき、千二百年の社は平安の情趣を愛でに訪れた人々で賑わいます。

【奈良、春日神社の分社らしく、拝殿前に鹿の狛犬が鎮座】
奈良、春日神社の分社らしく、拝殿前に鹿の狛犬が鎮座




百人一首 折々の歌

歌を通して季節をたどる「百人一首 折々の歌」。
今回は紅葉の趣きを詠んだ春道列樹の名歌をご紹介します。

山川に
 風のかけたる
  しがらみは

   流れもあへぬ
    紅葉なりけり
     
               春道列樹
春道列樹
山の谷川に風が自然にかけたしがらみは、
ほかでもない、流れようとして流れきれないでいる紅葉であることよ。

燃え盛るような紅葉の朱と水しぶきの清らかな白という、対照的な色彩の美しさがきわだつ春道列樹(はるみちのつらき)の第三十二番。「しがらみ」とは、漢字で書くと「柵」となり、これはつまり水の流れを止める堰のこと。この歌は、水面に散りたまった紅葉が堰となった様子を詠んだものですが、それを風のしわざと見立てたところに味があります。列樹は歌人としては無名でしたが、この画期的な擬人化表現により藤原定家をはじめとする多くの歌人や批評家に認められ、晴れて『小倉百人一首』に撰されました。
この歌が最初に収められた『古今集』の詞書(ことばがき)をひもとくと、「志賀の山越えにてよめる」とあります。「志賀の山越え」とは、比叡山と如意ヶ嶽(にょいがたけ)(大文字山)の間を通り、京から近江の国(現在の滋賀県)の北部へと抜ける山道のこと。天智天皇が大津京鎮護のために創建したと伝わる崇福寺(すうふくじ)への参道として栄え、歌枕としても平安時代から多くの歌に詠まれてきました。現在、寺の跡地は紅葉の隠れた名所に数えられ、晩秋を迎えると、あたりは平安人にこよなく愛された錦につつまれます。

先にも述べたように作者の春道列樹はあまり名のある歌人ではなく、『古今集』に三首、『後撰集(ごせんしゅう)』にわずか二首が残されているだけです。その生涯についてもあまり詳しくはわかっていません。一説によると、延喜(えんぎ)十年(九一〇)に文章生(もんじょうしょう)となり、その十年後に壱岐守(いきのかみ)に任じられますが、赴任前に亡くなってしまったのだそうです。
ところで文章生というと、現代の感覚でいえば文学専攻の大学生。列樹一世一代の名歌は、良き師のもとで一生懸命に学んで知識を深め、技を磨いた努力の賜物だったのかもしれません。

 



小倉山荘 店主より

「光陰矢の如し」に想う
 
十一月となり、カレンダーもあと二枚を残すのみになりました。つい先日まで「猛暑」「残暑」と言っていたのに、山野の紅葉になんとなく色づきを感じ、毛布一枚だけで寝ていると風邪をひきそうなくらい涼しくなりました。
今年もあと六十日足らずかと思うと、時間が流れる速度が早くなっているように思えてなりません。歳をとるにつれて刺激や感動、ときめきが減っているせいなのか、あるいは地球温暖化の影響やらで季節感が薄らいできたために、一年の過ぎるのが余計に早く感じられるのでしょうか。自分が小学生だった頃は、夏休みがとても長く思えたものです。
しかし、時間の過ぎるのが早いと嘆く前に、とにかく一日一日を無駄にせずに充実させることが大切です。
地球の自転速度はちょっとずつ遅くなっているというのに、世の中の速度は段々と早くなっているようです。

報恩感謝 主人 山本雄吉