洗心言

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平成十九年 仲春の号
伝承の花

伝統文様【蝶】   伝統文様【蝶】

奈良時代より使われ、平安貴族にも愛された蝶の文様。『源氏物語』の胡蝶の巻には、花園に舞う可憐なその姿が愛情こめて描かれています。



こころを彩る千年のことば

ぽかぽかと、うららかな陽射しに誘われるように、今年も桜咲く春がやってきました。「春日遅々」というように、春の一日はほかのどの季節よりもゆっくりと、おだやかに過ぎていくように感じられます。
珠玉の言葉を昔の歌に訪ね、折々の季節にあわせてご紹介する「こころを彩る 千年のことば」。今回は、「のどか」という言葉にこめられた先人の思いを訪ねます。

【ゆったりと、のびやかな気持ちを表わすのどか。】

桜をこよなく愛した平安の名歌人、紀友則
『小倉百人一首』のなかでも、特に有名な歌のひとつである紀友則(きのとものり)の第三十三番。
ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ
大意は「日の光がおだやかにさしている春の日に、どうして落ち着いた心もなく桜の花は散っているのだろうか」。
これはあくまでも想像ですが、友則は桜が大好きだったのでしょう。そして、あたたかな陽射しにつつまれて、ついに咲いた桜を心ゆくまで愛でたかったのでしょう。そんな友則の気持ちを知ってか知らぬか、先を争うようにはらはらと散る桜たち。この歌からは、そんな桜への愛憎入り交じった気持ちがどこかユーモラスに伝わるとともに、ゆったりとした調べには、爛漫の春を楽しむ心のゆとりが感じられます。

【のんびりとおだやかな、春の長閑な一日】

日足が伸びて暮れるのが遅くなるためか、春の一日はとても長く感じられるものです。実際の昼の時間は初夏から夏にかけていっそう長くなりますが、あたたかな陽射しのせいか、春のほうがゆったりとしているように思えます。
そのような春の日和のおだやかさを、先人は「のどか」という言葉で表しました。友則の歌に詠まれた「のどけき」はもちろん「のどか」と同じ意味。そしてこの言葉はまた、落ち着いてのんびりとした様子や気長に構える心という意味も持ち合わせ、数多くの平安の歌に詠まれています。ちなみに「のどか」を漢字で書くと「長閑」。この二文字からも、春の日をのんびりと静かに楽しもうとした先人の気持ちが、心にそっと伝わってくるようです。

【春の趣を満喫し、心と身体に元気を満たす】

仕事に、勉強に、何かと忙しい現代社会。そのなかで、無理に急ぐことなく、自分のペースを大切にするスローライフがいま、真に心豊かな暮らし方として注目を浴びています。しかし、それはなにも目新しいことではありません。いまから千年もむかしの平安時代に、人々は「のどか」に生きることを存分に楽しんでいたのです。
いよいよ春たけなわ。天気のいい休日には平安人の心にならい、のんびりゆったりと過ごしたいものです。そうして生命の新たな息吹が萌えいずる季節、春の趣(おもむき)を満喫すれば、心と身体いっぱいに元気が湧いてくることでしょう。



平安京 今昔めぐり

【神泉苑】
平安時代から千年のときを経たいまも京都には往時をしのばせる史跡が数多く残されています。 日本が世界に誇る歴史遺産をめぐる、新連載の「平安京今昔めぐり」。 第一回は平安遷都とともに誕生し、 皇族や貴族が遊宴を楽しんだという「神泉苑」をご紹介します。

【桓武天皇により創られた、空海ゆかりの苑池。】
京都市の中心を東西に走る御池(おいけ)通を二条城あたりまで来ると、その道沿いに突然のように現われる石の鳥居。一見、神社を思わせる構えが平安京最古の史跡、神泉苑(しんせんえん)の入口です。中に入ると、朱色の橋が架かる池が広がります。法成就(ほうじょうじゅ)池と呼ばれるこの池は、平安京が造営された延暦(えんりゃく)十三年(七九四)、桓武(かんむ)天皇の命により整備された池泉の名残り。当時、このあたりには森が広がり、ちょうど平安京の大内裏(だいだいり)が位置することからその一帯は庶民が立ち入れない禁苑となりました。桓武天皇もたびたびここを訪れ、池に舟を浮かべての花見や観月、狩猟などを楽しんだといい、その後の嵯峨天皇も詩歌や管弦の宴を満喫したと伝わります。
「神泉苑」の名は、つねに清らかな水が湧き出る池の泉にちなんでつけられ、御池通の名称もその池に由来します。
池の中ほどに鎮座するのは、雨乞いの神の善女龍王(ぜんにょりゅうおう)を祭った社殿。そこには天長(てんちょう)元年(八二四)に平安京を襲った大干ばつのとき、弘法大師、空海が善女龍王に祈りを捧げ、雨を降らせたという言い伝えが残されています。その後、神泉苑は雨乞いや怨霊鎮めの地となり、小野小町や静御前も祈願を行ったのだとか。
また、京都の夏を代表する祇園祭のはじまりは、貞観(じょうがん)十一年(八六九)に都で疫病が大流行した際、祇園社の神輿(みこし)と六十六の鉾が神泉苑で繰り広げた神事に由来するといわれています。
ところが歳月とともに、神泉苑はしだいに荒廃し、徳川家康が二条城を築いたときには領地の大半を失います。
そして今日、そのまわりを民家やビルにかこまれ、ひっそりとたたずむ神泉苑。毎年五月一日から四日まで、境内の狂言堂で奉納される神泉苑大念仏狂言は、京都の初夏の風物詩として人々に親しまれています。

神泉苑




百人一首 折々の歌

歌を通して季節をたどる、新連載の「百人一首 折々の歌」。
第一回の晩春は、伊勢大輔の名歌をご紹介します。

いにしへの
 奈良の都の
  八重桜

   けふ九重に
    にほひぬるかな 
     
               伊勢大輔
伊勢大輔
その昔の奈良の都に咲き誇った八重桜は、
今日、一重を まさんばかりに一段と美しく、京の宮中で美しく照り映えていることです。

日本の春を代表する花といえば、桜。しかし、ひとくちに桜といっても、咲く時期によってさまざまな種類があります。三月のはじまりとともに小さな花をつける寒桜(かんざくら)、彼岸のころに咲く江戸彼岸(えどひがん)、四月の花見でおなじみの染井吉野(そめいよしの)など、その名前をあげていくと枚挙にいとまがないほどです。
歌に詠まれた八重桜は、今日では「奈良の八重桜」という品種で知られ、四月の終りごろからと桜のなかでは最も遅く咲く桜。淡いピンクの花の大きさは三センチほどで、八重桜にしてはかなり小ぶりです。
ところが開花時期が訪れると一気に咲き、わずか三日ほどの短い間ながら、すべての枝を紅色に染めあげる美しさはまさに壮観です。また、この花は奈良県花や奈良市のマークに選ばれており、その名のとおり、奈良を代表する花として親しまれています。 

この歌は、平城京で名を馳せた八重桜が平安の宮中に奉納されるとき、伊勢大輔(いせのたいふ)が一条天皇の御前で即座に詠んだもの。「いにしえ」と「けふ(きょう)」、「八重」と「九重」の対比を絶妙に使い、奈良の八重桜の美しさと平安京の繁栄、そのどちらをも讃える気持ちが表わされています。
伊勢大輔は平安中期の女流歌人。中宮彰子(ちゅうぐうしょうし)(一条天皇の皇后)に女房として仕えていたことから八重桜を受け取る大役を仰せつかわりました。女房仲間の紫式部がその大役を果たすはずでしたが、新入りの伊勢大輔に花を持たせたといわれています。
ちなみに歌に詠まれた八重桜が植えられていたのは、かつての興福寺東円堂あたり、現在の奈良県庁横駐車場。毎年春が深まると、そこではいにしえを懐かしむように、奈良の八重桜が艶やかに匂い咲きます。

 



小倉山荘 店主より

微笑みの贈り物
 
月に何度か京都と東京を新幹線で往復します。おなじみの車内販売、真摯な接客と素敵な微笑みに感心させられることがあります。
「何か頼もうかな」と思った瞬間、彼らはとても素敵な微笑みを投げかけてきます。そのタイミングは、「以心伝心」といっても過言ではありません。アイコンタクトと心癒されるような声につい、いらないものまで買ってしまうこともあります。お客様の表情を読み取り、臨機応変に微笑みで接する姿勢こそが、最大の魅力かもしれません。
何か特別な出来事に出会ったわけではないのに、微笑みは人を「いい気分」にしてくれます。人間は周りの人の影響を極めて敏感に受けやすく、気分は伝染しやすいものです。だからこそ微笑みと気配りをいつまでも大切にしたいものです。

報恩感謝 主人 山本雄吉