洗心言

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平成十九年 初春の号
伝承の花

伝統文様【澤潟(おもだか)】   伝統文様【松竹梅】

厳寒を耐えて彩りをなす松竹梅は、古来中国で高潔や純潔の象徴として尊ばれ、日本では奈良時代より慶事に用いられるようになりました。



こころを彩る千年のことば

新しい年が明けました。今年の小寒は一月六日で、この日から二十日の大寒を経て、二月三日の節分までが一年で最も寒さが厳しい寒の内です。ところが翌日はもう立春。東の方向からは次第に、寒さを解きほぐすように暖かな風が吹きはじめます。
珠玉の言葉を昔の歌に訪ね、折々の季節にあわせてご紹介する「こころを彩る 千年のことば」。今回は、「東風」という言葉にこめられた先人の思いを訪ねます。

【再びめぐり来た春に踊る心を語る東風。】

非運の主を追って一夜のうちに太宰府へ飛んだ梅
東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな
これは菅原道真が太宰府へと旅立つ日の朝、自邸の庭に咲く梅に別れの気持ちをこめて詠んだという一首。大意は「東風が吹く時期になれば、香りを送り寄こしなさい、梅の花よ。主人がいないからと、春を忘れることなく」。
時の右大臣であった道真の太宰府行きは、政敵であった藤原時平(ふじわらのときひら)らの謀略によるもので、この歌には志し半ばにして都を離れなければならなかった失意と諦めの念、さらには梅をこよなく愛した道真の誠実な人柄がにじみ出ています。
梅の花が主を慕い、一夜のうちに太宰府へ飛んだという「飛梅伝説」は、この歌をもとにつくられた話しといわれています。

【季節のめぐりを風で知り、春の訪れを肌で感じる】

その梅を運んだという東風は、立春が近づくころに吹く暖かな強い風のこと。そのころになると、西高東低の冬型の気圧配置を追いやるように移動性高気圧が勢力を強めてきます。すると東北の方向から西に向かって、梅の花を揺らすように東風が吹きはじめるのです。
今日のように科学が発達していなかったいにしえ、人々は季節のめぐりを風向きの変わりで知り、待ちわびた季節の到来を肌で感じていたことを、この言葉は教えてくれます。
ちなみに梅が花開くころに吹く東風は梅東風ともいい、このほかにも東風には吹く時期にあわせてさまざまな名が付けられています。ヒバリが天高く飛ぶころは雲雀東風、サワラが旬を迎えるころは鰆東風、そしてさくらが咲き匂うころには桜東風というように。それらの言葉は春の季語として、今もなお多くの人に愛されています。

【暖かな春の訪れを確かなものとする「春一番」】

ところで、春といえば思い出す風に春一番がありますが、こちらは気象予報をするうえで、立春から春分の日までの間、それも平均気温を上回る日に吹く風速八メートル以上の南寄りの風というように、細かな条件が決められています。東風が春の兆しを感じさせる風としたら、春一番は春の訪れを確かなものとする風といえるでしょうか。
ともあれ、東風が吹くまでもうしばらくの辛抱です。寒さが少しやわらいだら、馥郁(ふくいく)と薫る梅を愛でに、お出かけされてみてはいかがでしょうか。



平安のまつり

【追儺式鬼法楽】
二月に入り節分を迎えると、 京都の寺社ではさまざまな珍しい行事が行われます。
そのなかでも特にユニークなのが 「鬼おどり」で知られる廬山寺の追儺式鬼法楽。
その起源は、平安時代の故事と伝わります。

【赤、青、黒の三匹の鬼を退治して邪気払い】
京都御苑と鴨川の間にたたずむ廬山寺(ろざんじ)は、平安時代からの歴史を受け継ぐ古刹。もともとは北部の船岡山にあった境内が、十六世紀の中ごろに、かつての紫式部邸であった現地に移転しました。
毎年、節分の二月三日に行われる追儺式鬼法楽(ついなしきおにほうらく)は、寺の開祖である元三大師良源(がんざんだいしりょうげん)が宮中で、鬼たちを護摩の法力で退散させたという故事によるもの。追儺とは本来、節分の豆まきのもととなった中国伝来の厄払いの儀式で、宮中では平安時代初期より、毎年旧暦の節分(十二月三十日)に行われていました。
さて、廬山寺の追儺式鬼法楽は「鬼おどり」ともいわれるように、鬼が踊りを披露するというたいへんユニークな節分祭。赤、青、黒の三匹の鬼が姿を現わし、相撲の四股を踏むように踊りはじめると、境内に詰め掛けた多くの人の間からどよめきが起こります。なかには、鬼の形相に怯えて泣き出す子どもの姿も。ちなみに、鬼の色は人間をむしばむ三つの毒を現わし、赤は貪欲を、青は怒りを、黒は愚痴を象徴しています。
三匹の鬼たちが舞台の上でひとしきり舞い、手に持った松明や大斧を振り回しながら本堂に向かうと護摩供(ごまぎょう)が行われ、平安装束に身を包んだ追儺師が邪気払いの法弓(ほうきゅう)を放ちます。すると鬼たちは、先ほどまでの傍若無人な振る舞いはどこへやら、くるくると回りながらあえなく退散。この後、「福は内、鬼は外」の掛け声にあわせて福豆の蓬莱豆(ほうらいまめ)と福餅が振る舞われると、境内はふたたび参拝客の歓声につつまれます。この福豆は大豆の外側を砂糖でくるんだ紅白の豆で、紅白ひと粒ずつ食べると寿命が延びるご利益があるのだとか。
祭が終わると、邪気が払われた鬼による無病息災の加持祈祷が行われ、毎年長い行列ができるほどの人気を呼んでいます。

赤、青、黒の三匹の鬼を退治して邪気払い




名歌故地探訪

『小倉百人一首』に撰された歌にゆかりの深い地をご紹介する「名歌故地探訪」。
今回は京都、相楽を訪ねました。

みかの原
 わきて流るる
  いづみ川

   いつみきとてか
    恋しかるらむ 
     
               中納言兼輔
中納言兼輔
みかの原にわき出でて流れる泉川の「いつ見」ではないが、
あの人をいつ見たというだけでこんなにも恋しいのだろうか。

天平十二年(七四〇)、聖武天皇は突然平城京からの遷都を決意し、新たに恭仁京(くにきょう)を築きはじめます。この都が置かれた地が、歌に詠まれた甕(みか)の原。現在の京都府南部、奈良県との境にほど近い相楽郡加茂町(そうらくぐんかもちょう)あたりを指し、甕の原の名は甕を埋めたところから水が湧き出たとの伝説に由来します。
その湧き水から流れ出たとされる泉川は、いまの木津川。三重県の伊賀を源流とし、京都府南部をゆっくりと流れ、やがて宇治川、桂川と合流して淀川になります。
聖武天皇は、恭仁京の造営途中で難波宮(なにわのみや)への遷都を宣言。恭仁京はわずか四年で歴史の表舞台から消え去ります。しばらくの間、恭仁京は「幻の都」とされていましたが、現在では大極殿(だいごくでん)や内裏(だいり)、朝堂院(ちょうどういん)などの跡が発掘され、王宮も東西約五六〇メートル、南北約七五〇メートルの規模を誇ったことが明らかにされています

作者の中納言兼輔(ちゅうなごんかねすけ)は三十六歌仙のひとりに数えられた和歌の名手で、紫式部の曾祖父にあたる人物。屋敷が鴨川堤にあったことから、堤中納言(つつみちゅうなごん)と呼ばれていました。屋敷は後に紫式部に受け継がれ、彼女が一生を過ごした邸宅跡には現在、廬山寺が鎮座しています。
この歌は、一度も会ったことのない女性への恋心を、川水の清らかさに重ねて詠い上げた一首。平安時代の姫君たちは御簾(みす)の奥にじっとたたずみ、屋敷の外へ出ることもほとんどなく、それゆえ貴族の男性たちはまだ見ぬ女性への憧れを強く募らせていたとか。
兼輔も、曾孫が生み出した主人公、光源氏に負けず劣らずの情熱的なロマンチストだったのかもしれません。

 



小倉山荘 店主より

唯足知吉(タダタルヲシッテキチトナス)
 
あけましておめでとうございます。皆様におかれましては、輝かしい新年をお迎えのことと心よりお慶び申し上げます。
表題は、小倉山荘「竹生の郷」の庭の片隅にある石造りのつくばいに刻んだ言葉です。京都、竜安寺のつくばいに刻まれた「吾唯足知(ワレタダタルヲシル)」にならい、「知足のものは貧しいといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」という禅の精神の大切さを託しました。
地球の未来を考えるとき、この精神は私たちにひとつの気づきを与えてくれます。世界の人口が二〇一三年に七十億人を突破、二〇五〇年には九十二億人に達すると予測されています。そうなると地球規模で食糧問題、環境問題、エネルギー問題などがますます深刻化し、社会の健全な発展が危ぶまれます。
私たちの祖先は、けっして物質的偏重の価値観をもっていたわけではありません。いまの時代に大切なこと、それは物欲におぼれることなく、心豊かに暮らす知恵を身につけ、知足の道理を忘れないことであると心に刻み、新たな一年を過ごして参る所存です。
最後になりましたが、平成十九年が皆様において素晴らしい年になることを心よりお祈りいたしますとともに、本年も一層のご贔屓を賜りますよう何卒よろしくお願い申し上げます。 

報恩感謝 主人 山本雄吉