洗心言

最新号 初夏の号
2015年 新春の号仲春の号
2014年 新春の号仲春の号初夏の号盛夏の号初秋の号晩秋・初冬の号
2013年 新春の号仲春の号初夏の号盛夏の号初秋の号晩秋・初冬の号
2012年 新春の号仲春の号初夏の号盛夏の号初秋の号晩秋・初冬の号
2011年 新春の号仲春の号初夏の号盛夏の号初秋の号晩秋・初冬の号
2010年 新春の号仲春の号初夏の号盛夏の号初秋の号晩秋・初冬の号
2009年 初春の号仲春の号初夏の号盛夏の号初秋の号晩秋・初冬の号
2008年 初春の号仲春の号初夏の号盛夏の号初秋の号晩秋・初冬の号
2007年 初春の号仲春の号初夏の号盛夏の号初秋の号晩秋・初冬の号
2006年 新春の号仲春の号初夏の号盛夏の号初秋の号晩秋・初冬の号
2005年 新春の号仲春の号初夏の号盛夏の号初秋の号晩秋・初冬の号
2004年 新春の号仲春の号初夏の号盛夏の号初秋の号晩秋・初冬の号
2003年 新春の号仲春の号初夏の号盛夏の号初秋の号晩秋・初冬の号
2002年 創刊号初夏の号盛夏の号初秋の号晩秋・初冬の号


平成十七年 初秋の号
伝承の花

伝承の色【緋(あけ】   伝承の色【緋(あけ】

瑠璃は金や銀、瑪瑙(めのう)などと並び、仏教の七宝の一つとして珍重された天然鉱石。その色合いを染めで再現するには、たいへんな技を要しました。



こころを彩る千年のことば

一日、一日と空が高くなり、山野では黄金色のすすきが揺れるころとなりました。遥かいにしえより日本人は、すくっと立つすすきのたたずまいに、見た目の趣だけに終わらない、神秘的な畏敬を感じつづけてきました。珠玉の言葉を昔の歌に訪ね、折々の季節にあわせてご紹介する「こころを彩る 千年のことば」。今回は、「すすき」という言葉にこめられた先人の思いを訪ねます。

【万葉人にこよなく愛された歌ことば】

万葉人にこよなく愛された歌ことば
めづらしき 君が家なる 花すすき 穂に出づる秋の 過ぐらく惜しも
これは奈良時代に編まれた日本最古の歌集、『万葉集』に撰ばれた石川廣成(いしかわのひろなり)の一首。大意は、「久しぶりにお会いしたあなたの家では、すすきが美しい穂を出している。秋が過ぎていくことがなんとも惜しい」。『万葉集』にはこのように、すすきを題材に秋の情感を詠んだ歌が四十六首も収められており、日本人が古くからこの植物を愛でてきたことを如実にうかがわせます。
さて、現代の暮らしですすきといえば、多くの方が十五夜のお月見を思い浮かべられることと思います。里芋や豆のお供え物とともに、すすきを生けて眺める仲秋の名月は、なんともいえぬ風情を感じさせるものです。ところでこのお供えには、風流の演出に終わらない、重要な意味がこめられているのをご存知ですか。

【霊力を宿すと信じられた生命力の象徴】

奈良時代に中国から伝来したといわれる月見ですが、日本でも古くから豊饒を願う農耕儀礼として行われていたといわれています。月に豊饒を願ったのは、いにしえの日本では月の満ち欠けに従って農耕が行われていたためで、ゆえに月見ではさまざまな供物が捧げられました。なかでもすすきが供えられたのは、それが霊力を宿し、魔除けになると信じられていたから。現在も、豊作と無病息災を願い、十五夜で供えたすすきを田畑に立てたり、家の軒下に吊るす風習を受け継ぐ地域があります。すすきの名の語源は「どこでもスクスク育つ木」。そこには、すすきを生命力の象徴として崇め、手塩にかけた農作物が丈夫に育つことを願った、先人の思いをかいま見ることができます。

【香りを聞いて心をそっと落ち着ける】

さて、香を焚いてその香りを楽しむ動作のなかに、心の落ち着きを求める芸道として香道(こうどう)があります。華道や茶道と同じく、華やかな東山文化が栄えた室町時代に生まれた香道では、香りを「嗅ぐ」のではなく「聞く」と表わします。なるほど、耳をそっと澄ませばほのかに揺らぐ香りが聞こえ、心が穏やかに静まりそうで、なんとも趣深い表現です。仕事や勉強に追われ、なにかと慌ただしい毎日。心をそっと落ち着けるためにも、まずは香りを聞くゆとりを大切にしたいものです。



平安のしきたりに学ぶ

【平安のしきたりに学ぶ 薫物の巻】
秋のお彼岸を迎え、香が身近な季節となりました。仏前へのお供え物としての印象が強い香ですが、平安の宮中では香を楽しむ薫物が好まれ、自ら調合した香の優劣を競う遊びまで開かれたほどです。

【 仏教とともに日本に伝わった香】

日本で香が使われるようになったのは、六世紀の飛鳥時代。仏教伝来と時を同じくして沈香(じんこう)、白檀(びゃくだん)、丁子(ちょうじ)などの香木が中国からもたらされ、仏事などに用いられました。ところで『日本書紀』には、香の伝来は推古三年(五九五年)の四月のことと明記されています。淡路島に大きな沈香が流れ着き、島人がそれを薪がわりに焼いたところ芳香が遠くまで漂ったため、これは不思議と朝廷に献上したのが、香のはじまりと書かれています。

【季節の趣を香りで楽しんだ貴族たち】
 
平安時代を迎えると宮中では、仏事を離れて香を楽しむ慣わし、薫物(たきもの)がはじまります。薫物には衣に焚きしめる衣香(えこう)、室内に焚きしめる空薫物(そらだきもの)などがありました。なによりも風流にこだわった貴族たちは、出来合いの香では満足せず、自ら香を調合。春は梅花、夏は荷葉(かよう)(蓮の香り)、秋は侍従(じじゅう)(秋風の香り)や菊花、晩秋は落葉、冬は黒方(くろぼう)といったように、それぞれの季節をイメージした独自の香りを楽しんだといわれています。宮中ではまた、各人自慢の香を持ちよって香りの優劣を競う遊び、薫物合わせが行われ、その雅びやかな様子は『源氏物語』をはじめとする文学作品にもしばしば登場します。

【香りを聞いて心をそっと落ち着ける】

さて、香を焚いてその香りを楽しむ動作のなかに、心の落ち着きを求める芸道として香道(こうどう)があります。華道や茶道と同じく、華やかな東山文化が栄えた室町時代に生まれた香道では、香りを「嗅ぐ」のではなく「聞く」と表わします。なるほど、耳をそっと澄ませばほのかに揺らぐ香りが聞こえ、心が穏やかに静まりそうで、なんとも趣深い表現です。
仕事や勉強に追われ、なにかと慌ただしい毎日。心をそっと落ち着けるためにも、まずは香りを聞くゆとりを大切にしたいものです。
 




名歌故地探訪

『小倉百人一首』に撰された歌にゆかりの深い地をご紹介する「名歌故地探訪」。
今回は滋賀、逢坂を訪ねました。

これやこの
 行くも帰るも
   別れては

   しるもしらぬも
     逢坂の関
     
             蝉丸
蝉丸
東国へ旅する人も都へ帰ってくる人も、知っている人も知らない人も別れてはまた会うという、これが、あの逢坂の関なのだなあ。

 『小倉百人一首』にはさまざまな地名が詠まれていますが、逢坂(おうさか)は難波とともに最も多く登場する地。今回ご紹介する第十番の蝉丸の歌のほか、第二十五番の三条右大臣、第六十二番の清少納言の歌にも詠まれています。『万葉集』にも、逢坂を題材にして詠んだ歌を数多く見つけることができます。山城(現在の京都府南部)と近江(おうみ)(現在の滋賀県)の国境にたたずむ逢坂は、東国(とうごく)(北陸を除く近畿以東の諸国)から京都へ入り、また出ていくときには必ず通らなければならなかった峠。六四六年に置かれたという逢坂の関は、伊勢の鈴鹿、美濃の不破とともに「三関」と称された重要な関所でした。現在の逢坂は滋賀県大津市に位置し、国道一号線や東海道本線が通るなど、今日においても交通の要衝としての役割を果たしつづけています。付近には名神高速道路も走り、逢坂山には「蝉丸」と名付けられたトンネルが掘られています。

 この歌は、仏教の「会者定離(えしゃじょうり)」を巧みに詠んだことで名高い一首。出逢いがあれば必ず別れがある世の悲しみを、リズミカルな表現を通して、あえて明るく詠んでいるのが印象的です。作者の蝉丸は、九世紀後半ごろを生きたと伝わる人物。「せみまる」ではなく、「せみまろ」が本来の読み方です。ところで、百人一首を使った遊びの坊主めくりでは、蝉丸を引くとすべての持ち札を戻さなくてはなりませんが、これは蝉丸が僧侶ではないのに僧侶の格好をしているため。では、蝉丸は何者だったのか。『今昔物語』には宇多天皇の皇子に仕えたと記され、盲目で琵琶の名手だったという説もありますが、詳しいことはわかっておらず、その生涯はいまなお謎につつまれたままです。
 



小倉山荘 店主より

知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ 論語
 
  表題は、自己を磨き、豊かな人生を築くための極意を語る古代中国の言葉です。「善を見たらただちに学び取り、過ちがあればただちに改める」ことを意味します。
 人の善行に感銘を受け、自分もそんな人間になりたいと思うことが多々あります。しかし、ただ感心しているだけでは得るものは何もありません。人の行いを学び取ろうと、努力を積み重ねてはじめて、自分が理想とする人間像に近づくことができるのです。
 また、人は過ちを犯すと、それを悔やむあまり前に進めないときがあります。過ちを隠そうとして窮地に追いやられることもあります。過ちは誰にもあることです。大切なのは過ちを認め、それを改めようと努力することであり、そうすれば状況は自ずと好転し、人の力添えを得ることもでき、同じ過ちを二度と繰り返すこともありません。
 先行きが不透明な昨今、素晴らしい未来を拓くためにも、改めて心に刻みたい言葉です。   

報恩感謝 主人 山本雄吉