洗心言

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平成十六年 初秋の号
伝承の花

藤袴   伝承の花【藤袴】

仲秋から晩秋にかけて咲き、秋の七草にも数えられた藤袴。唐で香草として尊ばれ、日本には奈良時代に伝わり、香水蘭とも呼ばれました。



自然に響く 和のこころ

一日、一日と秋が深まり、銀杏の葉が美しく色づくころとなりました。大地にどっしりと根を下ろし、全身を黄金色に輝かせ、天高くそびえる巨木の姿は美しさを通り越し、どこか神々しささえ感じさせます。
四季折々の自然に向けられた、先人の心を訪ねる「自然に響く 和のこころ」。今回は一本の木にこめられた、日本人ならではの心情を訪ねます。

「木」に神を感じるこころ。

【『となりのトトロ』にも登場する神が宿る木】
「神木」という言葉があります。これは読んで字のごとく、神が宿るとされる木のこと。神社に行けば必ず、注連縄(しめなわ)が張り巡らされたり、神棚が置かれた木に出会うことができます。幾十、幾百もの齢(よわい)を積み重ねてきた木。先人たちはそんな老木を神聖な魂が息づく存在として畏れ、敬い、その生命を大切に受け継いできたのです。
神木と崇められる木には先に述べた銀杏をはじめ、一年を通して青々と生い茂る常緑樹の松や杉、榊(さかき)などが多く見られます。なかでも榊は木偏に神と表わされることからも分かるように、神木の代表的な存在とされ、玉ぐしなどの祭具にも使われているほどです。ちなみに、古きよき日本の暮らしと田園風景をみずみずしく描いたアニメーション映画、『となりのトトロ』には天にも届かんばかりの楠が鎮守の杜の神木として登場。トトロは、その木の精霊という役柄でした。

【人間は自然のなかでただ生かされている存在】

このように、一本の木にも神や精霊が宿るという考えを「アニミズム」といい、これは日本人の自然観の根源であるといわれています。いにしえの日本人は、木をはじめとする自然物からさまざまな恩恵を受け、ときに脅威にさらされることでそこには神や精霊が宿ると信じ、畏敬と崇拝の念を抱くようになりました。そして自分たち人間はただ、自然のなかで生かされている存在に過ぎないことを悟ったのです。
ゆえに、先人は木を切るときにも不必要な伐採は決して行わず、切った木も少しも無駄にすることなく大切に使いました。そうして人々は自然とともに生きる知恵を育み、暮らしに恵みをもたらす自然の生態系を崩すことなく、生活の歴史を積み重ねてきたのです。

【世界のすべての人に伝えたい日本人の自然観】

やわらかな光で夜の闇を照らすだけでなく、大自然の摂理をも支配する月の偉大さを、日々の暮らしのなかで感じとっていた先人たち。その繊細な感性は現代を生きる私たちに、自然と共生する尊さや素晴らしさを教えてくれるかのようです。そしてまた、暮らしに風流な趣を取りこもうとした遊び心もお手本にしたいもの。ならば今年の「十五夜」と「十三夜」には電気を消して、テレビを切り、先人たちがいにしえに仰ぎ見たのと同じ月を望み、自然への感謝の気持ちを捧げてみるのも一興です。それは実に、風流な秋の夜長の過ごし方といえないでしょうか。



平安宮 春夏秋冬

【 亥猪(げんちょ) 】

稲刈りが終わったころ、その年の豊作を祝う行事として
日本各地で楽しまれている亥の子祭。
その始まりははるか平安時代にまでさかのぼり、
陰暦十月の亥の日に行われることから亥猪と呼ばれていました。
亥猪


【無病息災と長寿を祈る宮中の行事】

亥猪は元来中国の風習で、陰暦十月(陽暦十一月ごろ)の亥(い)の日、亥の刻(午後九時〜十一時ごろ)に新穀の餅を食べて無病息災を祈るというもの。日本には平安時代の初期に伝来し、宮中行事として執り行われました。餅は大豆、小豆、大角豆(ささげ)、胡麻、栗、柿、糖の七種の粉でつくられ、内裏へ献上されたと伝わります。
京都御所は蛤御門(はまぐりごもん)の南西にたたずむ護王(ごおう)神社では、古式ゆかしき亥猪が受け継がれ、毎年十一月一日に餅づくりの神事が行われます。ちなみにこの神社は、狛犬ならぬ二匹の狛イノシシが鎮座することでも知られています。


紅葉 【豊作を祝い子の成長を祈る祭りへ】
鎌倉時代に入ると亥猪は武家や庶民にも広まり、その後次第に収穫を感謝し、豊作を祝う農耕儀礼へと変わっていきます。また、イノシシの子だくさんにあやかって、子どもたちの健やかな成長を祈る行事としても親しまれるようになりました。
いっぽう、陰暦十月の亥の日はそろそろ寒くなる時節であることから、江戸時代にはこたつや火鉢を出す「こたつ切り」の風習も行われるようになります。これには亥が陰陽五行説の水性の気にあたるため、火難を逃れるという意味もこめられていたようです。

【風流な心にならい炉開きを楽しむ】

同じ亥の日に行われる行事に、「炉開き」があります。三月以来仕舞っていた炉を開き、初夏の八十八夜に摘まれた新茶の口切りをする茶会のことで、茶人の正月とも呼ばれています。こたつ切りと同じく火難を逃れるという意味から江戸時代に始まり、こちらはこんにちまで受け継がれている風習です。今年の亥の日は十一月の十六日で木枯らしが吹き、日に日に寒さが増すころ。粋人の風流な心にならい、香り高いお茶を楽しみながら体を温めるのも、きっと趣深いことでしょう。




名歌故地探訪

 『小倉百人一首』に撰された歌にゆかりの深い地をご紹介する「名歌故地探訪」。
 今回は奈良、竜田川を訪ねました。

ちはやぶる
 神代も聞かず
  竜田川

   からくれないに
    水くくるとは
     
             在原業平
在原業平

竜田川の水面を紅の絞り染めのように彩る紅葉たち。
神代にもこんな美しさがあったとは聞いたことがないほど見事な美しさだ。

歌に詠まれた竜田川は奈良県と大阪府との境に連なる生駒(いこま)山地から流れ出で、やがて大和(やまと)川に注ぐ川。『万葉集』にも詠まれた川ですが、紅葉で名を馳せるのは平安時代に入ってからのことと伝わります。『小倉百人一首』にはもう一首、竜田川の紅葉を詠んだ平安の歌僧、能因法師(のういんほうし)の歌が撰されています。
 現在、竜田川沿いの道は一部が遊歩道として整備され、秋が深まると燃えるような紅葉の赤を気軽に愛でることができます。また、竜田川の流域には斑鳩(いかるが)と呼ばれる郷が広がり、そこには法隆寺や中宮寺(ちゅうぐうじ)、藤ノ木古墳といった古代を代表する歴史遺産が点在。柿が色づく田園風景のなかをのんびりと、お寺の鐘を聞きながら太古のロマンを求め歩くのも一興です。
 作者の在原業平(ありわらのなりひら)は小野小町や喜撰法師(きせんほうし)らとともに、「六歌仙」に数えられた歌の名手。阿保親王(あぼしんのう)の子で、数々の要職に就いた官人でした。一つ前の十六番目の歌を読んだ在原行平(ありわらのゆきひら)は、業平の異母兄にあたります。

 さて、業平は絶世の美男子で、数々の浮き名を流したことでも名高い人物。ある色男の一代をつづった日本最古の歌物語、『伊勢物語』の主人公ともいわれています。異母兄の行平もかなりの美男子だったといいますから、血は争えないといったところでしょうか。
 一説によると、業平は実際の景色ではなく屏風絵を見てこの歌を詠んだといい、その屏風の持ち主は二条の后(きさき)と呼ばれた藤原高子(ふじわらのたかいこ)。業平と高子はともに愛しあい、そのとき業平は三十代前半で高子は十代の半ば。年齢的にも身分的にも許されなかった恋だったようで、二人の切ない密通の様子は『伊勢物語』にも登場します。この悲恋は千年の時を超えたいまも人々の心を掴んではなさず、能や歌劇などの題目として伝え継がれています。



小倉山荘 店主より

宥座(ゆうざ)の器(き)
  表題の「宥座の器」とは、両端から紐で宙づりにされた金属製の水入れのことで、空のときは傾き、ほどほどに水を入れると器は水平を保ちます。しかし、さらに水を加えて八分目を越えると、器は一気にひっくり返り、水はこぼれてしまいます。
 この器は、古代中国の春秋時代に時の君主、桓公(かんこう)が考案したと伝わり、後に孔子が座右に置いた「勧戒(かんかい)の器」の基になったものともいわれています。
 「宥座の器」が示すのは、「満は損を招き、謙は益を受ける」という理です。欲を張り、分相応以上の振る舞いを行えば必ず失敗を招き、己の器を知り、いまあるもので満足すれば諸事が整うことを、眼に見えるかたちで諭します。
 社会のあらゆる事に均衡の整わぬ昨今、先人たちが器に託した「足るを知る」ことの大切さを、深く見つめ直したいものです。

報恩感謝 主人 山本雄吉