【2001年8月30日配信】[No.035]
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【今回の歌】
百敷(ももしき)や 古き軒端(のきば)の しのぶにも
なほあまりある 昔なりけり
順徳院(100番) 『続後撰集』雑下・1205
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台風一過。今年の夏は暑かったですが、そのせいか秋の訪れも
ひと足早くなっているのかもしれません。
「秋のソナタ」という映画がありましたが、春が若やぎの季節
なのに対して、秋は落ち着いた年配のイメージ。過ぎ去った過去
を懐かしむ季節でもあります。
今回紹介する歌は、百人一首のちょうど100番目の歌。詠まれた
時代は保元平治の乱が終わり、鎌倉幕府が成立してしばらくした
頃のこと。すでに貴族の時代は終わり、懐古の秋を迎えていた頃
です。この歌を最後に置いた定家は、いったいどんな思いをこの
一首に託したのでしょうか。夏休みの終わりに、ちょっと考えて
みるのもいいかも。
■□■ 現代語訳 ■□■
宮中の古びた軒から下がっている忍ぶ草を見ていても、しのん
でもしのびつくせないほど思い慕われてくるのは、古きよき時代
のことだよ。
■□■ ことば ■□■
【百敷(ももしき)や】
「百敷(ももしき)」は「内裏」や「宮中」の意味で、「や」は
詠嘆の間投助詞です。
【古き軒端(のきば)の】
宮中の古びた建物の軒の端(屋根の端のこと)を意味しています。
【しのぶにも】
「しのぶ」は「(往時を)偲ぶ=昔の栄華を懐かしく思う」とい
う意味と、軒からぶら下がっている「忍ぶ草=ノキシノブ」の意
味を掛けた掛詞です。ノキシノブはシダの一種で、荒れ果てた家
などによく見られ、家が荒廃するさまを表すのによく使われます。
ここでは、皇室の権威の衰退も意味しています。
【なほあまりある】
「なほ」は「やはり」を意味する副詞。「あまりある」は「(偲
んでも)ありあまりほど」、つまり「しのんでもしのびきれない」
というような意味です。
【昔なりけり】
「けり」は気づきの助動詞の終止形です。「昔なのだなあ」とい
う意味ですが、この「昔」は皇室や貴族の栄えていた過去、醍醐
天皇や村上天皇の在位していた延喜(えんぎ)・天暦(てんりゃ
く)の時代を指すようです。
■□■ 作者 ■□■
順徳院(じゅんとくいん。1197〜1242)
後鳥羽天皇の第3皇子で、14歳で第84代の天皇に即位しました。
後に父の後鳥羽院と一緒に企てた鎌倉幕府打倒の謀議「承久の乱」
(承久3年・1221年)に破れ、佐渡へと流されました。
佐渡へ流された後は、21年間島に住み、46歳で死去しています。
父の後鳥羽院と同じく歌の名手で歌学書「八雲御抄(やくもみし
ょう)」を残しています。
■□■ 鑑賞 ■□■
永遠に続くと思われた貴族の栄華も今は昔。かつて栄えた内裏
の屋根にもノキシノブがぶら下がっているくらいだ。醍醐・村上
時代の栄華を偲んでも、偲びきれない思いがする遙かな遙かな昔
なのだよ。
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ご存じかと思いますが、百人一首は鎌倉時代までの貴族たちが
詠んだ歌を集めたものです。武家の詠んだ歌はなく、よってこの
百人一首そのものが貴族の栄華の時代と文化を集約したものとな
ているのです。
今回の歌はその100番目。撰者藤原定家が仕えた後鳥羽院の息子
順徳院の歌です。
順徳院の生きた時代は、新興勢力である武士が貴族の雇われ用
心棒の地位から政治の中心に就き、貴族を追いやって鎌倉幕府を
開いた後でした。栄華を誇っていた平安の王朝は既に衰退し、軒
からは雑草が垂れ下がるようなありさまでした。
かつての醍醐・村上天皇の時代(9世紀末から10世紀中盤)に
は貴族は全盛を迎え、「聖代」とまで呼ばれるほどでしたが、そ
の栄華を武家からもう一度取り戻そうと後鳥羽院・順徳院親子が
謀ったのが「承久の乱」(1221年)です。
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後鳥羽院は全国の武士に「鎌倉幕府討つべし」の命を発しまし
たが、集まったのは1万7千騎(西軍)。対する幕府側(東軍)
は19万騎を集めて京に攻め上ります。
東西の軍がぶつかったのは木曽川でしたが、多勢に無勢。西軍
は蹴散らされ、その後も敗戦に続く敗戦で勝負は簡単に決し、敗
北した後鳥羽院と順徳院は新潟県佐渡島へ流され、そこで一生を
送ることになります。
この歌は、順徳院が20歳の時に詠んだ歌ですが、まだ承久の乱
に至る前。貴族の没落をこの帝が深く悲しんでいたことが伺えま
す。貴族の没落は、長く続いた貴族の文化の終焉も意味しました。
貴族文化の象徴たる和歌の集成、百人一首の最後に定家がこの歌
をもってきたのはとても深い意味が感じられます。貴族文化とと
もに生きた定家もまた、同じ思いだったのでしょう。
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承久の乱にちなんだ史跡はあちこちにあります。後鳥羽院と順
徳院の墓所は、京都大原の三千院の裏手にあります。京都駅から
市バスで大原バス停で下車。東へ徒歩で約10分の距離です。秋は
紅葉が美しく、京都を実感する散策には最適のコースでしょう。
さらに、順徳院が流された佐渡が島(新潟県)は、古くから流
刑の地であり、順徳院や日蓮をはじめ多くの政治犯が流されたこ
ともあって能楽など雅な文化がはぐくまれ、見所の多い観光地と
なっています。佐渡の西側、真野には佐渡歴史伝説館があり、順
徳院や日蓮、世阿弥などの配流後の生活や人となりを知ることが
できるでしょう。佐渡へ渡るには、新潟市や直江津市からフェリ
ーが出ています。
思いきや 雲の上をば 余所に見て
真野の入り江にて 朽ち果てむとは
順徳院の辞世の歌を口ずさみながら、佐渡観光を体験するのも
趣深いことでしょう。
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