【今回の歌】

入道前太政大臣(96番)『新勅撰集』雑・1054

花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものは我が身なりけり

あけましておめでとうございます。本年も弊庵「小倉山荘」のお菓子ならびに当メルマガをご愛顧賜りますよう、お願い申し上げます。

正月といえば初詣。みなさんもおそらく近所の寺社に参られたことでしょう。初詣は、いちおう3が日中に寺社へ参拝し、一年の幸せと健康を祈るとよいとされています。現在ではむしろ宗教行事というより、行ったついでに遊んだり買い物をするといったレジャー的なものになっていますね。それでも一年の計は元旦にあり、と言いますので、しっかり拝んでおきましょう。

初詣の参拝客数ベスト10の寺社を紹介しておきましょう。
(1)明治神宮(東京)(2)成田山新勝寺(千葉)(3)川崎大師(神奈川)(4)伏見稲荷大社(京都)(5)住吉大社(大阪)
(6)鶴岡八幡宮(神奈川)(7)大宰府天満宮(福岡)(8)大宮氷川神社(埼玉)(9)浅草寺(東京)(10)熱田神宮(愛知)
さて、新年最初の一首は、桜散る庭で自らの老いを感じるという美しくも味わい深い一首です。


●現代語訳

桜の花を誘って吹き散らす嵐の日の庭は、桜の花びらがまるで雪のように降っているが、実は老いさらばえて古(ふ)りゆくのは、私自身なのだなあ。


●ことば

【花さそふ】
「花」という言葉は普通「桜の花」を指します。嵐が桜を誘って散らす、という意味です。

【嵐の庭の雪ならで】
「嵐」は山から吹き下ろす激しい風のことです。「雪」は散る桜の花びらを雪に見立てたもの。「なら」は断定の助動詞で、「で」は打消の接続助詞です。全体で「嵐が吹く庭の雪ではなくて」という意味になります。

【ふりゆくものは】
「ふりゆく」は桜の花びらが「降りゆく」のと、作者自身が「古りゆく(老いてゆく)」のとの掛詞です。

【我が身なりけり】
「なり」は断定の助動詞「なり」の連用形で、「けり」は感動を表す助動詞です。今気がついた、と発見した気持ちを表します。


●作者

入道前太政大臣(にゅうどうさきのだいじょうだいじん。1171~1244)

藤原公経(きんつね)、西園寺公経(さいおんじきんつねとも呼ばれます。内大臣・藤原実宗(さねむね)の子供で、源頼朝の妹婿・一条能保(よしやす)の娘を妻にしました。定家の義弟です。後鳥羽院らが幕府転覆を企てた承久の乱の時、計画を知って幽閉されましたが、幕府に漏らして乱を失敗に終わらせました。


●鑑賞

桜の季節を先取りするような歌ですが、新春にふさわしい美しい情景の中、自らの老いをふと自覚する深さを兼ね備えています。
門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
と詠んだのは、一休禅師でした。華やかさの中に一抹の寂しさを見つけるのは、日本人の好むところかもしれません。

春の山から吹き下ろす突風。突風が桜と「踊ろうか」と誘って花びらがひらひらと舞い落ちる。まるで雪のように「ふっている」けれど、実は「古りている(年老いている)」のは私の姿なのだなあ、としみじみと述懐する歌です。桜の花が嵐で雪のように舞い散る場面が非常に美しく、それを老いとからませた対比が見事です。枯れた味わいは、幽玄を旨とする定家の好むところでしょう。花や嵐を人間に見立てる擬人法や、「降る」と「古る」を掛詞にするなど、さまざまな技巧も生きています。

この歌の作者、藤原公経は、後鳥羽院と順徳院親子が倒幕を企てた承久の乱の計画を知ったため幽閉されます。しかし幕府に情報を洩らして乱を失敗に終わらせ、その功績で太政大臣にまで昇りつめた人です。源実朝の暗殺などがあったり、作者の生きた時代は政治の中心が公家から武士へと変わる激動期でした。「私も老いたものだ」と詠んだこの歌には、どんな想いが秘められていたのでしょうか。

作者は61歳で出家し、現在の京都市北山に西園寺を建てて住みました。豪奢なこの寺は、後に足利義満が譲り受けて別荘としています。あの有名な金閣寺です。金閣寺へ行くには、JR京都駅から市電に乗り金閣寺前駅で下車します。冬の金閣寺も、また魅力的です。