ちょっと差がつく百人一首講座/京都のおかき・あられ・おせんべい・和菓子処小倉山荘

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【2002年11月20日配信】[No.085]
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 【今回の歌】

  世の中は 常にもがもな 渚(なぎさ)漕ぐ
   海人(あま)の小舟(をぶね)の 綱手(つなで)かなしも

         鎌倉右大臣(93番) 『新勅撰集』羈旅・525

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  コンビニエンスストアに年賀状が並ぶようになってきました。
  もうすぐ12月です。
  コンビニを季節の風情を表すのに使うなんて嘆かわしい時代だ
 なんて思う人もいるでしょう。しかし、歌は世につれなどと言い
 ます。いつも時代とともにあるのも歌なのかもしれません。
  
  サラリーマンでノーベル賞を受賞した田中さんがワイドショー
 をにぎわせています。まるでマスコットみたいに扱われている場
 面もあって、本人と家族にしてみれば世間的な役割を果たす責任
 と無遠慮な報道のはざまで翻弄されて疲れ気味のようです。

  鎌倉時代にも、ひときわ優しい心と鮮烈な感性を持ちながら、
 わずか12歳で鎌倉幕府将軍となり、複雑な政治の世界に翻弄され
 悩み抜きながら名歌を作り、28歳の若さで暗殺された天才歌人が
 いました。
 源実朝。後世の作家が数多く取り上げているこの大歌人の歌を、
 今回はご紹介します。

■□■ 現代語訳 ■□■
  
  世の中の様子が、こんな風にいつまでも変わらずあってほしい
 ものだ。波打ち際を漕いでゆく漁師の小舟が、舳先(へさき)に
 くくった綱で陸から引かれている、ごく普通の情景が切なくいと
 しい。
 
■□■ ことば ■□■

 【世の中は】
 「世の中」は、「今自分が生きているこの世界」という意味です。
 【常にもがもな】
 「常に」は形容動詞「常なり」の連用形で「永遠に変わらない」
 という意味です。「もがも」は難しいことが叶ってほしいという、
 願望の終助詞、「な」は詠嘆の終助詞です。全体で「永遠に変わ
 らないでいてほしいものだ」という意味です。
 【渚(なぎさ)漕ぐ】
 「渚(なぎさ)」は「波打ち際」のことです。
 【海人(あま)の小舟(をぶね)の 綱手(つなで)】
 「海人(あま)」は「漁師さん」のこと。「綱手(つなで)」は
 舟の先に立てた棒に結びつける麻の綱のことです。川をさかのぼ
 ったりするときには、陸からこの綱で引っ張って上がっていきま
 した。
 【かなしも】
 心を揺さぶるような切なさを表す形容詞「かなし」の終止形に、
 詠嘆の終助詞「も」がついています。「心が動かされるなあ」と
 いうような意味になります。

■□■ 作者 ■□■

  鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん。1192〜1219)
 鎌倉幕府を開いた源頼朝の次男で北条政子の息子、源実朝(みな
 もとのさねとも)のことです。優しい人柄に繊細で鋭い感性を持
 ち、百人一首の撰者・定家の指導で和歌に親しみました。1203年
 12歳で3代鎌倉幕府将軍となりましたが、28歳になった1219年の
 正月、鶴岡八幡宮への参拝時に甥の公暁(くぎょう)に暗殺され
 ました。「金槐和歌集」は実朝の作品集です。
  
■□■ 鑑賞 ■□■

  テレビドラマなどで、犬と遊んでいる子供を見て「こういう平
 和がいつまでも続けばいいな」と思っているお父さんのシーンな
 どがよくあります。
  実朝のこの一首は、そのような感じの歌でしょうか。
  のんびりと平和な日常が永遠に続けばいいのに、と願う一首で
 す。12歳で日本の武士のトップにいやおうなく立たされ、しかも
 繊細で感受性豊かで優しすぎる性格ならば、泥臭い政治の世界の
 まっただ中にいる毎日は、さぞやストレスがたまるものだったで
 しょう。
             ◆◇◆
  実朝の歌は、
 大海の磯もとどろに寄する波 割れて砕けて裂けて散るかも
  などに代表されるように、万葉時代に戻ったような雄壮でのび
 のびとしたスケールの大きさと、現代でも通じるような鋭みのあ
 るセンスが魅力です。
  明治の大俳人・正岡子規は、評論「歌よみに与ふる書」の中で
 柿本人麻呂以来、最高の歌人は源実朝だと言っています。また太
 宰治も「右大臣実朝」という小説があり、小林秀雄も評論「実朝」
 を書いています。
  若くして暗殺された天才として、非常に人気のある歌人です。
  今で言うなら、シンガーの尾崎豊の感じでしょうか。
             ◆◇◆
  実朝が暗殺された鎌倉の鶴岡八幡宮は、初詣の参拝客数が全国
 でベスト5に入る有名なお寺です。JRの鎌倉駅から、参道に沿
 って歩いて10分の場所にあります。
  康平6(1063)年に、奥州を平定した源頼義が、源氏の氏神と
 して由比ケ浜に八幡宮を建て、源頼朝が鎌倉幕府を開いた時に、
 現在の場所に移されました。
  また、実朝のお墓は鎌倉駅の北にある寿福寺にあります。

 

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