【今回の歌】

鎌倉右大臣(93番)『新勅撰集』羈旅・525

世の中は常にもがもな(なぎさ)漕ぐ 海人(あま)の小舟(をぶね)綱手(つなで)かなしも

コンビニエンスストアに年賀状が並ぶようになってきました。もうすぐ12月です。コンビニを季節の風情を表すのに使うなんて嘆かわしい時代だなんて思う人もいるでしょう。しかし、歌は世につれなどと言います。いつも時代とともにあるのも歌なのかもしれません。

サラリーマンでノーベル賞を受賞した田中さんがワイドショーをにぎわせています。まるでマスコットみたいに扱われている場面もあって、本人と家族にしてみれば世間的な役割を果たす責任と無遠慮な報道のはざまで翻弄されて疲れ気味のようです。

鎌倉時代にも、ひときわ優しい心と鮮烈な感性を持ちながら、わずか12歳で鎌倉幕府将軍となり、複雑な政治の世界に翻弄され悩み抜きながら名歌を作り、28歳の若さで暗殺された天才歌人がいました。源実朝。後世の作家が数多く取り上げているこの大歌人の歌を、今回はご紹介します。


●現代語訳

世の中の様子が、こんな風にいつまでも変わらずあってほしいものだ。波打ち際を漕いでゆく漁師の小舟が、舳先(へさき)にくくった綱で陸から引かれている、ごく普通の情景が切なくいとしい。


●ことば

【世の中は】
「世の中」は、「今自分が生きているこの世界」という意味です。

【常にもがもな】
「常に」は形容動詞「常なり」の連用形で「永遠に変わらない」という意味です。「もがも」は難しいことが叶ってほしいという、願望の終助詞、「な」は詠嘆の終助詞です。全体で「永遠に変わらないでいてほしいものだ」という意味です。

【渚(なぎさ)漕ぐ】
「渚(なぎさ)」は「波打ち際」のことです。

【海人(あま)の小舟(をぶね)の 綱手(つなで)】
「海人(あま)」は「漁師さん」のこと。「綱手(つなで)」は舟の先に立てた棒に結びつける麻の綱のことです。川をさかのぼったりするときには、陸からこの綱で引っ張って上がっていきました。

【かなしも】
心を揺さぶるような切なさを表す形容詞「かなし」の終止形に、詠嘆の終助詞「も」がついています。「心が動かされるなあ」というような意味になります。


●作者

鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん。1192~1219)

鎌倉幕府を開いた源頼朝の次男で北条政子の息子、源実朝(みなもとのさねとも)のことです。優しい人柄に繊細で鋭い感性を持ち、百人一首の撰者・定家の指導で和歌に親しみました。1203年12歳で3代鎌倉幕府将軍となりましたが、28歳になった1219年の正月、鶴岡八幡宮への参拝時に甥の公暁(くぎょう)に暗殺されました。「金槐和歌集」は実朝の作品集です。


●鑑賞

テレビドラマなどで、犬と遊んでいる子供を見て「こういう平和がいつまでも続けばいいな」と思っているお父さんのシーンなどがよくあります。実朝のこの一首は、そのような感じの歌でしょうか。のんびりと平和な日常が永遠に続けばいいのに、と願う一首です。12歳で日本の武士のトップにいやおうなく立たされ、しかも繊細で感受性豊かで優しすぎる性格ならば、泥臭い政治の世界のまっただ中にいる毎日は、さぞやストレスがたまるものだったでしょう。

実朝の歌は、
大海の磯もとどろに寄する波 割れて砕けて裂けて散るかも
などに代表されるように、万葉時代に戻ったような雄壮でのびのびとしたスケールの大きさと、現代でも通じるような鋭みのあるセンスが魅力です。明治の大俳人・正岡子規は、評論「歌よみに与ふる書」の中で柿本人麻呂以来、最高の歌人は源実朝だと言っています。また太宰治も「右大臣実朝」という小説があり、小林秀雄も評論「実朝」を書いています。若くして暗殺された天才として、非常に人気のある歌人です。今で言うなら、シンガーの尾崎豊の感じでしょうか。

実朝が暗殺された鎌倉の鶴岡八幡宮は、初詣の参拝客数が全国でベスト5に入る有名なお寺です。JRの鎌倉駅から、参道に沿って歩いて10分の場所にあります。康平6(1063)年に、奥州を平定した源頼義が、源氏の氏神として由比ケ浜に八幡宮を建て、源頼朝が鎌倉幕府を開いた時に、現在の場所に移されました。また、実朝のお墓は鎌倉駅の北にある寿福寺にあります。