ちょっと差がつく百人一首講座/京都のおかき・あられ・おせんべい・和菓子処小倉山荘

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【2001年6月10日配信】[No.027]
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 【今回の歌】

   わが袖は 潮干(しほひ)に見えぬ 沖の石の
    人こそ知らね 乾く間もなし

         二条院讃岐(92番) 『千載集』恋2・760

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  もうすぐ梅雨入り。雨の多い日が続くので、洗濯をしても衣類
 がなかなか乾かないので大変でしょう。
  というわけでこの歌を取り上げたわけではないのですが、百人
 一首には秋の歌が多く、梅雨時の歌はなかなかありません。そこ
 で恋のせつなさを乾く暇もない袖に託す、この歌に登場してもら
 った次第です。

■□■ 現代語訳 ■□■
  
  私の袖は、引き潮の時でさえ海中に隠れて見えない沖の石のよ
 うだ。他人は知らないだろうが、(涙に濡れて)乾く間もない。
 
■□■ ことば ■□■
 【潮干に見えぬ沖の石の】
  「潮干(しほひ)」は、海の水位が一番低くなる引き潮の状態
 のことを言います。「見え」は下二段動詞「見ゆ」の未然形、
 「ぬ」は打ち消しの助動詞「ず」の連体形です。
 また、「潮干に見えぬ沖の石の」は、次の「人こそ知らね乾く間
 もなし」の序詞です。
 【人こそ知らね】
 「他人は知らないけれども」という意味です。「人」は、取り方
 によっては、「恋人(相手)」とも「世間の人々」ともとれます。
 「こそ」は強意の係助詞で、「ね」は上の「こそ」の結びで打ち
 消しの助動詞「ず」の已然形です。「こそ〜已然形」で次に続い
 ていくと、逆接の意味になります。
 【乾く間もなし】
 最初の「わが袖は」を受ける言葉です。「も」は強意の係助詞で
 す。
 
■□■ 作者 ■□■
  二条院讃岐(にじょういんのさぬき。1141〜1217年)
 源三位頼政(げんさんみよりまさ)の娘。はじめ二条院に仕えた
 後、藤原重頼(しげより)と結婚しました。その後、後鳥羽天皇
 の中宮、宜秋門院任子(ぎしゅうもんいんにんし)にも仕えてい
 ますが、晩年は以仁王の挙兵事件の関係で出家しました。

■□■ 鑑賞 ■□■

  「濡れた袖」というのは古典ではよく使われる表現で、とめど
 なく流れ落ちる涙を袖で拭うので、「袖が濡れる」「袖が乾かな
 い」などというように、暗喩として使われます。
  私の衣の袖は、潮が引いた時にさえ海の中に沈んでいて見えな
 い沖の石のように、せつない恋の涙でずっと濡れていて、人は知
 らないでしょうけど、乾く暇もありません。
             ◆◇◆
  まあ、ちょっとオーバーな気もしますけど、沖の石にたとえて
 「人は知らない密かな恋心」を語る心情には心打たれるものがあ
 ります。
  この歌は、「石に寄する恋」という題で詠んだ「題詠」の歌で
 す。自分の心情を事物にたとえる手法で「寄物陳思(物に寄せて
 思ひを陳ぶる)」と言います。
  ところで、和泉式部に
 わが袖は 水の下なる石なれや 人に知られで かわく間もなし
  という歌があります。今回の歌は和泉式部の歌を基にした「本
 歌取り」なのですが、「水の下なる石」という表現を見えない遙
 かな沖の石にした発想が斬新で、そのため作者は「沖の石の讃岐」
 と呼ばれました。
             ◆◇◆
  さて、歌に出てくる「沖の石」は、有名な歌枕である「末の松
 山」の南方で、池の中にさまざまな奇石が並んでいるのを詠んだ
 ものだ、という言い伝えがあります。「末の松山」は、現在の宮
 城県多賀城市八幡にあり、JR仙石線多賀城駅から徒歩で10分くら
 いのところです。末松山寶國寺の正面の本堂の後ろに見える小さ
 な丘で、2本の松が植えられています。
  歌碑「沖の石」は末の松山の道の向かい側にある小さな池で、
 現在はコンクリートで固められていますが、昔はここまで海だっ
 たと言われています。
  多賀城は陸奥の国府として724年に創建され、平安時代の東北地
 方の政治・軍事基地でした。東北歴史博物館など見物も多いので
 史跡巡りにぜひ一度訪れてみましょう。

 

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