【今回の歌】

俊恵法師(85番)『千載集』恋二・766

夜もすがらもの思ふ頃は明けやらで ねやのひまさへつれなかりけり

深い悩みがある人には、「明けない夜はないよ」なんてなぐさめ方をすることがあります。いつか悩みや悲しみは解消されるよというような気持ちで言うのですが、恋の悩みはつきないものです。まあ、他人の恋の悩みなんぞは放っておけ、なんて意見もありますが、恋の最中には夜も眠れぬほど想いなやむもの。そんな強い思慕を表した歌を今回は取り上げます。


●現代語訳

(いとしい人を想って)夜通しもの思いに沈むこの頃、夜がなかなか明けないので、(いつまでも明け方の光が射し込まない)寝室の隙間さえも、つれなく冷たいものに思えるのだよ。


●ことば

【夜もすがら】
副詞で「夜通し」とか「一晩中」という意味です。

【もの思ふ頃は】
「もの思ふ」は、恋歌によく出てきますが、つれない人を想って思い悩むという意味です。「頃は」には「この頃」とか「夜ごと夜ごと」という意味があるので、全体で「毎晩つれない人のことを想って」という意味になります。

【明けやらで】
「夜が明けきらないで」の意味になります。下二段動詞「明く」の連用形「明け」に、補助動詞で「すっかり~し終える」という意味の「やる」の未然形がつき、さらに打消しの接続助詞「で」が結びついたものです。

【ねやのひまさへ】
「ねや(閨)」は「寝室」のことで、「ひま」は「隙間」を意味します。「さへ」は「~でさえ」のことで、ここでは「つれない想い人だけでなく寝室の隙間さえもが」という意味となります。

【つれなかりけり】
「冷たい」とか「無情だ」とかいう意味で、現代語とそう変わりませんね。「つれなし」という形容詞の連用形に、詠嘆の助動詞「けり」がついた形です。


●作者

俊恵法師(しゅんえほうし。1113~没年不明)

源経信(つねのぶ)の孫、源俊頼(としより)の息子で、3代続けて百人一首に歌が選ばれています。奈良・東大寺の僧で、京都白川の自分の坊を「歌林苑(かりんえん)」と名付け、歌人たちのサロンとしました。「方丈記」の鴨長明などが俊恵法師の弟子として知られています。


●鑑賞

毎晩毎晩恋する人を想い続け、夜も眠れないくらい。早く辛い夜が明けないかなあ、と思っていてもなかなか朝の光は射してくれない。朝日が射してくる寝室の隙間でさえ、私の思いが通じずつれないのだなあ。

昔の恋愛の歌は「袖が濡れて乾く暇もない(涙が流れ続けて止まらない。おかげで涙を拭く着物の袖が乾かない)」など、ちょっとオーバーな表現が多くあります。それがまた魅力のひとつなのですが、俊恵法師の歌では思い悩むあまり、不眠症になってしまったようです。今や不眠症は国民病で、日本人の1割以上がそうだということです。眠れず昼も夜もぼんやりし続けるのは本当に辛いもの。ここでは恋の悩みが不眠の原因です。街や御殿で見かける美しいあの人だが、私の気持ちを知ってか知らずか、いっこうに優しくしてくれない。つれなく冷たいあの人、いったい私のこの想いはどうしたらいいのだろうか。閨に入ると沸き上がる想いは、現代でもそのまま共感できることでしょう。1000年たっても、人間の感じる気持ちは変わらないのだなあ、とつくづく感じてしまいますね。

俊恵法師は、奈良・東大寺の僧侶でした。東大寺はもちろん奈良見物の中心で、大仏と世界最大の木造建築、大仏殿で有名です。その歴史は神亀5(728)年にまでさかのぼり、聖武天皇の皇太子、基(もとい)王の死後、彼を弔うために建てられた金鐘山寺(きんしょうせんじ)がもとでした。大仏の建立は、天平15(743)年に聖武天皇が「盧舎那大仏造顕の詔」を発したことが発端。天平17(745)年に建設がはじまり、7年後の天平勝宝4(752)年に開眼がされました。その高さは約18mにもなります。奈良東大寺は修学旅行のコースにもよく選ばれていますが、大人になってから奈良を歩くと典雅な風情がより深く感じられまた違った趣があります。JR奈良線からバスが出ていますが、駅から歩いて古都の散策をしてみるのも良いでしょう。