【今回の歌】

待賢門院堀河(80番)『千載集』恋三・802

長からむ心も知らず黒髪の 乱れて今朝はものをこそ思へ

冬まっただ中の2月。今年はやや暖冬のようですが、それでも寒さは身にしみますね。

さて、寒いながらも恋人同士手をこすりあったりしていると、2人の心もほっかほかになるというもの。しかし独りになると男性が浮気しないかちょっと心配、なんてことも…。そんな気がかりも恋を深めるきっかけかもしれませんが今回紹介する歌も、不安に揺れる微妙な女心を歌ったものです。


●現代語訳

(昨夜契りを結んだ)あなたは、末永く心変わりはしないとおっしゃっいましたが、どこまでが本心か心をはかりかねて、お別れした今朝はこの黒髪のように心乱れて、いろいろ物思いにふけってしまうのです。


●ことば

【長からむ心】
「末永く変わらない(相手の男の)心」の意味です。「む」は推量の助動詞。「長し」と後の「乱れて」は「黒髪」の縁語です。

【知らず】
「ず」は打消の助動詞の連用形で、「(相手の心を)はかりかねて」というような意味です。

【黒髪の乱れて】
「黒髪が寝乱れて」という意味ですが、下の「今朝はものをこそ思へ」にも続いて「心が乱れて」という2重の意味になります。

【今朝は】
そのまま「今朝は」という意味ですが、男女が共に寝た翌朝、すなわち「後朝(きぬぎぬ)」であることを表しています。

【ものをこそ思へ】
「こそ」は強意の係助詞で「思へ」は四段活用動詞「思ふ」の已然形。「こそ~思へ」で係結びになっています。


●作者

待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ。12世紀ごろ)

神祇伯(じんぎはく)・源顕仲(みなもとのあきなか)の娘で崇徳院の生母、待賢門院(鳥羽院の中宮・璋子(しょうし))に仕えて「堀河」と呼ばれました。息子の崇徳院は天皇在位後政略で退位させられますが、その時に待賢門院も追放され、堀河も一緒に出家しています。


●鑑賞

昨夜一晩を一緒に過ごし、契りを結んだあなた。翌朝帰っていってから、後朝(きぬぎぬ)の歌をいただいて「いつまでも末長くあなたのことが好きですよ」と言葉をもらったけれども、その言葉はどこまで本当なのでしょうか。お別れした後、あなたの心をはかりかねて、この私の寝乱れた黒髪のように、心乱れて思い悩むばかりですわ。

この歌は、百人一首にも歌がある崇徳院の命で作られた「久安(きゅうあん)百首」にあるものです。久安百首は、いくつかのテーマごとに歌を詠んで合計で百首にするというもの。この歌は、男が届けてきた後朝の歌に対する返歌という趣向で詠まれました。そもそも平安時代というのは男性が女性の家に行って一晩を明かすという慣習がありました。「後朝」というのは男と女が一晩を明かした翌朝で、男が帰った後で女の許へ「昨夜はとても幸せだった」と一首詠んで贈る、という雅な慣習があったのです。それに対して女性が返したのがこの一首というわけです。

この歌、女性が「あなたの誠意は本当でしょうか、心配です」という繊細な女性の心の表現がだいたいの意味ですが、「黒髪の乱れて」というところなどに、情事の後のエロティックな雰囲気が現れていますよね。心配です、なんていいながら男心の気を引く、平安女性の激情と愛のテクニックが現れている、といっていいでしょう。この歌はこの「黒髪」の表現の美しさで、百人一首の中でも際だっています。黒髪の乱れ、という女性の愛の表現は、後の世の与謝野晶子の歌「黒髪の 千すじの髪の みだれ髪 かつおもひみだれ おもひみだるる」などでとみに有名になっています。日本女性の美しさの象徴として、黒髪が扱われているといっていいでしょう。

さて、この歌には地名が詠み込まれていません。そこで、その歌集「みだれ髪」で有名になった与謝野晶子についてですが、大阪府堺市の生まれで、その歌人としての業績を讃えて堺市の堺市立文化館に、与謝野晶子館が設けられています。行かれる場合は、大阪のJR阪和線「堺市」駅で降りてすぐ、となります。「君死にたまうことなかれ」で日本女性の心を描いた歌人の足跡をたどってみられてはいかがでしょうか。