【今回の歌】

権中納言匡房(73番)『後拾遺集』春・120

高砂の(を)の上(へ)の桜咲きにけり 外山(とやま)の霞(かすみ)たたずもあらなむ

急に寒くなってきたこの頃ですが、暦の上では大寒(だいかん)。旧暦の二十四節季のひとつで、1年で一番寒い時期を表します。関西では、大阪は海沿いで比較的暖かいものの、盆地の底にある京都は冷え込みが厳しいことで有名。朝早く、かじかんだ手にふうっと息をはきかけながら、掃除をするおかあさんや、マフラーに埋もれるようにして学校へ通う子供たち。足踏みをして寒さをまぎらわせながらバス停でバスを待つコート姿の会社員など、冬の風景があちこちで見られます。

けれど今の時期は寒さは一番ですが、案外晴れの日が多いもの。冷気と一緒に、きりっとした朝の日の光を浴びて、すがすがしい気分になれるのも今の時期ならではでしょう。寒いからって閉じこもってばかりいないで、外に出て冬の気分を味わうのも一興です。さて今回は、空気が澄んだ早朝、遠くにはっきり見える山の美しさを詠んだ一首でしょうか。


●現代語訳

遠くにある高い山の、頂にある桜も美しく咲いたことだ。人里近くにある山の霞よ、どうか立たずにいてほしい。美しい桜がかすんでしまわないように。


●ことば

【高砂(たかさご)の】
「高砂」は、高く積もった砂だということから「高い山」の意味です。播磨国(現在の兵庫県南西部)にある高砂とは違います。

【尾(を)の上(へ)の桜】
「尾の上」は「峰(を)の上」ということで「峰の上」、つまり「山頂」「いただき」を意味しています。

【咲きにけり】
「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形で、「けり」は感動の助動詞です。「咲いているなあ!」という詩的な感動を表します。

【外山(とやま)の霞(かすみ)】
「外山(とやま)」は人里近い低い山のことです。「深山(みやま)」などに対する言葉です。「霞(かすみ)」は立春の頃にたつ霧のこと。春にたつのを「霞」、秋にたつのを「霧」と呼びます。

【たたずもあらなむ】
「なむ」は願望の終助詞で、「立たないでいてくれ」という願いを詠っています。遠くの高山の桜があまり美しいためです。


●作者

権中納言匡房(ごんちゅうなごんまさふさ。1041~1111)

本名・大江匡房(おおえまさふさ)で、大江匡衡(まさひら)と赤染衛門夫婦のひ孫です。平安時代を代表する学識者で、幼い頃から神童の呼び声高く、菅原道真と比較されました。16歳で文章生となり、後三条天皇らに仕え権中納言まで出世しました。和歌や漢詩の他、「狐媚記」「傀儡子記」「本朝神仙伝」などの奇書も多数残しています。


●鑑賞

後拾遺集の詞書によると、この歌は、内大臣・藤原師通の家で宴があった時に、「遙かに山桜を望む」という題を与えられて詠んだ歌だということです。作者の大江匡房は、学者一族として有名な大江家に生まれた平安時代を代表する博識な人です。しかし、この一首は技巧をあまりこらさず、シンプルに「遙か遠くの美しい桜を眺める」幸福を詠んでいます。

遠い高山の山頂に桜が咲いている。あんなに美しいんだから、里山から春の霞がたたないでほしいものだ。高砂(たかさご)とは、砂が高く積もることで、高山を意味します。遠くの高山と近くにある低い里山(外山)を比べているのはテクニックですが、内容はいたっておおらか。宴たけなわで、春の陽気にお酒でも入っていたんじゃないか、なんて想像したくなるほど、のびやかで格調の高い歌です。水墨画をイメージさせるような風景の広がりがある歌でもあります。作者は漢詩も非常に得意にしていたそうですので、素養がこうした一首に結びついたのかもしれません。

作者・匡房は、学者らしい生真面目な面もあったようで、女房たちに「芸などおできになりますまい。琴でも弾いてみなさい」とからかわれ、
逢坂の 関の彼方も まだ見ねば 東(あづま)のことは 知られざりけり
(まだ逢坂の関から東へ行ったこともないのに、東の琴の弾き方など知っているわけがないでしょう)
と機転をきかせて答えた逸話が残されています。確かにそう見ると、艶っぽい技巧とは無縁の歌とも思えますが、春風の暖かみが感じられるような、素直な歌でもあります。

大江匡房は16歳で文章生に選ばれた後、京都・宇治市の平等院建立にあたって、時の関白藤原頼通が「寺院の門が北向きだが、古今に例はあるのだろうか」と問われ、すらすらと答えたとのエピソードがあります。平等院は、1056年に建立され、国宝・鳳凰堂に平安時代最盛期の趣が残る世界遺産です。JR奈良線の宇治駅で下車してすぐですので、一度訪れてみてください。付近には源氏物語ミュージアムや、日本最古の神社・宇治上神社などもあり、見どころ豊富です。