【今回の歌】

祐子内親王家紀伊(72番)『金葉集』恋下・469

音に聞く高師(たかし)の浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ

前回に引き続き恋の歌です。平安時代の恋愛は、女の家へ男が通う形式でした。だからどうしても男尊女卑のイメージが強いのですが、どうしてどうして女も負けてはいません。この一首はプレイボーイからの誘いかけを、見事に切り返した粋な歌です。実はこの歌、男は29歳、詠んだ女性はなんと70歳。さてこの勝負の結末やいかに?


●現代語訳

噂に高い、高師(たかし)の浜にむなしく寄せ返す波にはかからないようにしておきましょう。袖が濡れては大変ですからね。(浮気者だと噂に高い、あなたの言葉なぞ、心にかけずにおきましょう。後で涙にくれて袖を濡らしてはいけませんから)


●ことば

【音に聞く】
「音」はここでは「評判」のことで、「噂に名高い」という意味です。

【高師(たかし)の浜】
和泉国(現在の大阪府南部の堺市浜寺から高石市あたりの一帯)の浜です。ここでは「高師」に「高し」を掛けた掛詞とし、「評判が高い」を意味させています。また「浜」は、「波」「ぬれ」の縁語です。

【あだ波】
いたずらに立つ波、むなしく寄せ返す波のことですが、ここでは浮気な人の誘い言葉のことを暗に言っています。

【かけじや】
「かけまい」の意味で、「波をかけまい」と「想いをかけまい」の二重の意味を込めています。「じ」は打消の意思の助動詞で、「や」は詠嘆の間投助詞です。

【袖のぬれもこそすれ】
「袖が濡れる」というのは、涙を流して袖が濡れるという意味があり、恋愛の歌でよく使われます。恋する想いが嵩じて涙を流すということですね。ここでは、波で袖が濡れるのと、涙で袖が濡れることを掛けています。「も・こそ」はそれぞれ係助詞で、複合すると後で起きることへの不安を意味します。


●作者

祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい。=一宮紀伊 いちのみやきい 11世紀後半)

平経方(たいらのつねかた)の娘で、藤原重経(しげつね)の妻(妹という説も)。母親は後朱雀天皇の第一皇女・祐子内親王に仕えた小弁(こべん)で、紀伊自らも祐子内親王家に仕えました。紀伊の名前は、藤原重経が紀伊守だったところからきています。


●鑑賞

「金葉集」の詞書では、この歌は1102年5月に催された「堀川院艶書合(けそうぶみあわせ)」で詠まれたそうです。「艶書合」というのは、貴族が恋の歌を女房に贈り、それを受けた女房たちが返歌をするという洒落た趣向の歌会です。

そこで70歳の紀伊に贈られたのが29歳の藤原俊忠の歌でした。
「人知れぬ 思いありその 浦風に 波のよるこそ 言はまほしけれ」
(私は人知れずあなたを思っています。荒磯(ありそ)の浦風に波が寄せるように、夜にあなたに話したいのですが)
「寄る」と「夜」、「(思い)ありその」と「荒磯(ありそ)」を掛けた技巧的な歌ですが、これに対して答えたのが、紀伊の歌でした。

29歳の若き俊忠が70歳の女房・紀伊に恋歌を贈るというのはちょっと皮肉な感じもします。周りも面白がったのかもしれませんが、そこでこんな素晴らしく粋な歌を返されて、俊忠や歌会の参加者はどう思ったでしょうか。70歳の老女の歌の才能に思わず息をのみ、感嘆したのではないでしょうか。29歳と70歳の男女の恋歌の交歓。取り合わせの妙もさることながら、そこでこのような薫り高い歌が詠まれたことを想像すると平安歌人たちの遊びの典雅さに、羨望さえ感じてしまいます。

この歌の舞台となった和泉国高師浜は、今の大阪府堺市浜寺から高石市におよぶ一帯です。現在では残念ながらこの辺りは埋め立てが進み、平安の風雅をしのぶ風情はありませんが、松の姿にこの歌を思い出して見るのもよいでしょう。