【今回の歌】

清少納言(62番)『後拾遺集』雑・940

夜をこめて鳥の空音(そらね)(はか)るとも よに逢坂(あふさか)関は許(ゆる)さじ

今月21日は冬至(とうじ)。1年で一番夜の長い日です。冬至は「一陽来復(いちようらいふく)」とも言います。冬至を過ぎると日がゆっくり長くなり、太陽が戻ってくるからですが気候のずれの関係で、日本で一番寒いのは2月。これから冬へ向かって季節がなだれこんでいきます。

ところで、冬至の行事というと「ゆず湯」。銭湯などではゆずが入った袋を入れたりしますし、ご自宅でも風呂に皮などを浮かべて良い香りを楽しんだりされることでしょう。なぜ冬至にゆず湯を立てるかというと、実は「冬至=湯治(とうじ)」という語呂合わせなんだそうです。湯治に語呂をかけて、これからの冬を無事に過ごせるように、ゆず湯でぽかぽかに暖まろう、という昔の人の知恵なんでしょう。

さて今回の一首は、日本を代表する名エッセイ「枕草子」を書いた清少納言です。ほとばしる才気は歌に現れ、語呂合わせがいっぱい出てきます。


●現代語訳

夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似をして人をだまそうとしても、函谷関(かんこくかん)ならともかく、この逢坂の関は決して許しませんよ。(だまそうとしても、決して逢いませんよ)


●ことば

【夜をこめて】
動詞の連用形「こめ」は、もともと「しまい込む」とか「包みこむ」などの意味です。「夜がまだ明けないうちに」という意味になります。

【鳥の空音(そらね)は】
「鳥」は「にわとり」で、「空音」は「鳴き真似」のことです。

【謀(はか)るとも】
「はかる」は「だます」という意味になります。「とも」は逆接の接続助詞で「~しても」という意味です。「鶏の鳴き真似の謀ごと」とは、中国の史記の中のエピソードを指しています。

【よに逢坂(あふさか)の関は許(ゆる)さじ】
「よに」は「決して」という意味です。「逢坂の関」は男女が夜に逢って過ごす「逢ふ」と意味を掛けた掛詞です。「逢坂の関を通るのは許さない」という表の意味と「あなたが逢いに来るのは許さない」という意味を掛けています。


●作者

清少納言(せいしょうなごん。966?~1027?)

百人一首36番の清原深養父(きよはらのふかやぶ)のひ孫で、42番の清原元輔(もとすけ)の娘です。学者の家に生まれ、子供の頃から天才ぶりを発揮し、橘則光(たちばなののりみつ)との離婚後、一条天皇の皇后定子(ていし)に仕えました。ご存じの通り、名エッセイ「枕草子」を書いた才女です。


●鑑賞

この歌には、清少納言の深い教養と頭の良さがよくわかるエピソードがあります。それをご紹介しましょう。

ある夜、清少納言のもとへやってきた大納言藤原行成(ゆきなり)は、しばらく話をしていましたが、「宮中に物忌みがあるから」と理由をつけて早々と帰ってしまいました。翌朝、「鶏の鳴き声にせかされてしまって」と言い訳の文をよこした行成に、清少納言は「うそおっしゃい。中国の函谷関(かんこくかん)の故事のような、鶏の空鳴きでしょう」と答えます。

「函谷関の故事」というのは、中国の史記にある孟嘗君(もうしょうくん)の話です。秦国に入って捕まった孟嘗君が逃げるとき、一番鶏が鳴くまで開かない函谷関の関所を、部下に鶏の鳴き真似をさせて開けさせたのでした。清少納言は「どうせあなたの言い訳でしょう」と言いたかったのです。それに対して行成は「関は関でも、あなたに逢いたい逢坂の関ですよ」と弁解します。そこで歌われたのがこの歌です。「鶏の鳴き真似でごまかそうとも、この逢坂の関は絶対開きませんよ(あなたには絶対逢ってあげませんよ)」という意味です。即座にこれだけの教養を盛り込んだ歌を返すとは、さすが清少納言。ずば抜けた知性を感じさせます。

逢坂関は、東海道で京都への東からの入り口とされ、古くから交通の要所でした。8世紀の終わりには関所が置かれています。逢坂の関の跡は、京都からほど近い滋賀県大津市にあり、京阪電車京津線大谷駅で下車して歩いて2分ほどのところです。また清少納言のこの歌には歌碑(歌を石に彫りつけたもの)があり、京都市東山区の泉湧寺(せんゆうじ)に置かれています。京都駅から市バスで泉湧寺バス停で降り、徒歩数分の距離にあります。