ちょっと差がつく百人一首講座/京都のおかき・あられ・おせんべい・和菓子処小倉山荘

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【2000年10月30日配信】[No.005]
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 【今回の歌】

   めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に
     雲がくれにし 夜半(よは)の月かな

 紫式部(57番) 『新古今集』雑上・1499

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  今回は、「源氏物語」で有名な紫式部の歌を取り上げました。
 友とのあわただしい再会を月に託して惜しんだ歌です。

■□■ 現代語訳 ■□■
  せっかく久しぶりに逢えたのに、それが貴女だと分かるかどう
 かのわずかな間にあわただしく帰ってしまわれた。まるで雲間に
 さっと隠れてしまう夜半の月のように。

■□■ ことば ■□■
  【めぐり逢ひて】
  月に託して、幼友達と巡り逢ったことを言っています。「月」
 と「めぐる」は「縁語」です。縁語は関係が深くよく一緒に使わ
 れる言葉のことです。
【見しやそれとも】
  見たのが「それ」かどうかも、意味。「それ」は表向きは月の
 ことですが、友達のことを指しています。
  【わかぬ間に】
  見分けがつかないうちに、という意味です。
  【雲隠れにし】
  月が雲に隠れてしまったことですが、友達が見えなくなってし
 まったことも含んでいます。
  【夜半の月かな】
  「夜半(よは)」は夜中・夜更けの意味。最後の「かな」は、
 詠嘆の終助詞ですが、「新古今集」や百人一首の古い写本では、
 「月影」になっています。
■□■ 作者 ■□■
  紫式部(むらさきしきぶ。970?〜1041?諸説あり)。
  文章生(当時の文学研究者)出身の藤原為時の娘。大弐三位の
  母。夫に先立たれた後、一条天皇の中宮彰子に出仕。その傍ら
  「源氏物語」五十四帖や「紫式部日記」を記した。
■□■ 鑑賞 ■□■
  「新古今集」には、幼友達と久しぶりに逢ったが、ほんのわず
 かの時間しかとれず、月と競うように帰ったので詠んだ、と本人
 が書いています。そうしたことから雲間にすぐ隠れてしまう月に
 なぞらえ、再会した幼友達とつもる話もできずに帰られてしまっ
 た寂しさを詠んだ歌です。
             ◆◇◆
  紫式部は、お父さんの藤原為時が越前(今の福井県)に赴任し
 たため、20代の半ばに地方で暮らしました。しかし、雪国での厳
 しい生活が辛かったのか、1年ほどで都に戻っています。
  今のように交通も発達しておらず、電話もテレビもない平安時
 代。都を離れて遠国の越前で暮らすのは、相当な淋しさがあった
 のでしょう。幼い頃、兄が読んでいた「史記」(中国の歴史書)
 をたちまち暗記し、兄の間違いまで指摘してしまったほどの才女
 ですから、その思いはひとしおだったに違いありません。この歌
 にはそうした背景があります。
             ◆◇◆
  歴史に残る越前の国は、今の福井県東北部。東を加賀の国と接
 しており、古くから開けた土地です。紫式部の父、藤原為時が赴
 任したのは、現在の武生市。
  越前富士とも呼ばれる霊峰・日野山や日野川などの景観で有名
 で、紫式部をしのび広さ3000坪の寝殿造りの庭園「紫式部公園」
 が設けられています。日本最大の女流作家の意外な地方生活時代
 に思いをはせ、一度訪れてみてはいかがでしょうか?

 

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