【今回の歌】

藤原実方朝臣(51番)『後拾遺集』恋一・612

かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを

本格的に暑い夏がやってきました。すでに梅雨明け前から夜寝苦しい熱帯夜が何度も報告されるほど。日中は長く外に出ていると熱中症にかかりそうになります。

ところで、夏といえば「情熱」によくなぞらえられます。想いを寄せる女性に、初めて自らの「燃えるような情熱」を打ち明ける時の心のうちはいかばかりなのでしょうか。今回は夏にふさわしい、熱い歌をお届けします。


●現代語訳

せめて、こんなに私がお慕いしているとだけでもあなたに言いたいのですが、言えません。伊吹山のさしも草ではないけれど、それほどまでとはご存知ないでしょう。燃えるこの想いを。


●ことば

【かくとだに】
「かく」は「このように」の意味の副詞です。「だに」は打消しの副助詞で、「~すら」とか「~さえ」を意味します。「かく」は、ここでは「あなたをお慕いしている」ことを示しますので、「このように(あなたをお慕いしていると)さえも」という意味を示します。

【えやは伊吹の】
「え」は副詞「得(う)」の連体形で、反語の係助詞「やは」を従えて不可能の意味を表します。「えやは~いふ」で「言うことができない」となりますが、「いふ」を「伊吹(いぶき)」と掛ける掛詞になっています。「伊吹山」は、美濃国(現在の岐阜県)と近江国(現在の滋賀県)の国境にある山です。

【さしも草】
ヨモギのことで、お灸に使うもぐさの原料になります。伊吹山の名物です。「伊吹のさしも草」は下の「さしも」に掛かる序詞です。

【さしもしらじな】
「さ」は指示の副詞で、「し」と「も」は強意の助詞。「な」は詠嘆の間投助詞で、全体として「これほどまでとはご存知ないでしょう」という意味です。

【燃ゆる思ひを】
そのまま「燃えるようなこの想いを」という意味です。「ひ」は「火」に掛けた掛詞、「さしも草」と「燃ゆる」と「火」は縁語です。また、「思ひを」は前の「知らじな」にかかる倒置法になっています。


●作者

藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん。?~998年)

貞信公・忠平のひ孫で、花山天皇・一条天皇に仕えて従四位上・左中将に出世しました。宮廷では花形で、清少納言との恋などで有名です。しかし、清涼殿の殿上で藤原行成といさかいを起こし、狼藉の罪で陸奥守に左遷、任地で逝去しました。いさかいの原因は、実方の自信作「桜がり 雨は降り来ぬ 同じくば 濡るとも花の かげに宿らむ」を行成がなじったため、怒って冠をはたき落としたためという伝説があります。


●鑑賞

この歌は、実方が思いを寄せる相手にはじめて心を打ち明けた歌です。詞書には「女にはじめてつかはしける」とありますので、ラブレターとして使われたわけです。実方は時の宮廷サロンを賑わせたモテ男。このダンディに、「燃ゆる思ひを」なんて言われた相手は、どれほど嬉しかったでしょうか。

しかしこの歌、最初に「かくとだに えはや伊吹の さしも草」と読んでみると、現代の我々にはまるで暗号のようで、何を言ってるのかよく分かりません。内容を分けてみると、
「かく・と・だに」→「こんなに思ってる・と・さえ」
「え・やは・伊吹の」→「でき・ません・言うことは」(「言ふ」と「伊吹(いぶき)」を掛けている)
「さしも・知らじな」→「これほどとは・ご存知ないでしょう」
「燃ゆる思ひを」→「この燃える思いを」
というようになるでしょうか。倒置法や序詞、掛詞が入り混じった技巧の多い歌ですので、分解して見ていくと、割とストレートな恋愛の歌だということが分かってくるでしょう。

この歌の舞台となった「伊吹山」は美濃国と近江国、現在の岐阜県と滋賀県の境にある山で、標高は1377m。雄大な山容で、琵琶湖畔から眺めるとそのボリュームに圧倒されます。高山植物の宝庫で、約1200種もの草花がここで見られ、イブキトラノオ、イブキトリカブトなどこの山で発見された植物も数多くあります。山すそにはパラグライダー場やスキー場などもあり、レジャーにも適しています。山頂までドライブウェイが通じていますので、車で一気に登り、お花畑を楽しむのも良いでしょう。電車の場合は、JR東海道本線・近江長岡駅からバス伊吹登山口行、上野バス停で下車します。