【今回の歌】

藤原義孝(50番)『後拾遺集』恋二・669

君がため惜しからざりし命さへ ながくもがなと思ひけるかな

ゴールデンウィーク、皆さんは家族とどこかへ出かけられるでしょうか。中には恋人と海外へ行くとか、遠距離恋愛の相手に会いに行く、なんてうらやましい人もいることでしょう。想い人との逢瀬は本当に幸せなもの。今回の歌は、前回に続いて、熱愛した人とはじめて想いを遂げた後の歌です。


●現代語訳

あなたのためなら、捨てても惜しくはないと思っていた命でさえ、逢瀬を遂げた今となっては、(あなたと逢うために)できるだけ長くありたいと思うようになりました。


●ことば

【君がため】
「あなたのため」という意味ですが、ここでは「あなたと逢うために」、という気持ちを表しています。

【惜しからざりし】
捨てても「惜しいとは思わなかった」の意味です。「ざりし」の「し」は過去の助動詞「き」の連体形で。「思わなかった」と過去の自分を思い描いています。

【命さへ】
「さへ」は「までも」の意味で、添加の副助詞。「命までも」という意味になります。

【長くもがな】
「長くあってほしい」という意味で、「もがな」は願望の終助詞です。かつては恋のためなら命を捨ててもいいと思っていたこの身だけれども、願いがかなった今はできるだけ命長らえ、あなたと長く逢いつづけていたい、という意味を含んでいます。

【思ひけるかな】
逢瀬を遂げた時から変わってきた気持ちに、今はじめて気が付いたということを意味しています。


●作者

藤原義孝(ふじわらのよしたか。954~974)

謙徳公伊尹(けんとくこうこれただ)の三男で、18歳で正五位下・右少将になりました。「末の世にもさるべき人や出でおはしましがたからむ(今後もこのような人は現れないだろう)」と言われるほどの美男で人柄も良かったのですが、痘瘡(天然痘)にかかってわずか21歳の若さで死去しました。


●鑑賞

前回の歌同様、激しい恋の情を表現した歌です。詞書には「女のもとより帰りてつかはしける」とあります。恋しい女性のもとに逢瀬に出かけて一夜を過ごし、帰った後に一首したためて贈った歌で、こうした歌のことを「後朝(きぬぎぬ)の歌」といいます。

激しく恋した女性に想いが通じ、はじめて一夜を過ごした後。逢瀬がかなうまでは、この恋のためなら命を捨ててもいい、と思っていたけれど、一度相通ずればよりいっそう想いがつのり、今度はこの女性を愛するためになるべく長く生きていたいと願う。恋の願いが叶った後に、自分の心境が大きく変わり、生きることへの喜びが生まれたことに気が付く歌です。若い作者らしい初々しさも感じられますね。ただ、この歌の作者が類まれな美貌と人柄を持ちながら21歳の若さで夭折したことを考えると、はかない運命の哀しさも感じらてしまいます。撰者の定家は、もしかしたらこうした経緯も考えあわせてこの歌を選んだのかもしれません。

この歌とよく似た発想で作られた類想歌に紀友則の
命やは 何ぞは露の あだものを 逢ふにしかへば 惜しからなくに
という歌があります。「命がなんだ。命など露のようにはかないもので、逢瀬できることと交換できるなら、惜しくなんかない」という意味の歌ですが、この紀友則の歌には
音羽山 けさ越え来れば ほととぎす 梢遥かに 今ぞ鳴くなる
というものがあります。音羽山は現在の京都市山科区にある山で、清水寺の背後にあり、音羽の滝で知られています。訪れる時には、JR東海道線大津駅から京津線に乗り換え、大谷駅で下車。そこから東海自然歩道に沿って歩けば、1時間半ほどで山頂に到着します。山頂からは大津市や琵琶湖、京都市街を見渡せますので軽いハイキングのつもりで出かけられると良いでしょう。