【今回の歌】

大中臣能宣(49番)『詞花集』恋上・225

御垣守(みかきもり)衛士(ゑじ)の焚く火の夜は燃え 昼は消えつつものをこそ思へ

春間近とはいえ、まだまだ夜の長い冬の時期。夜に外を歩けば、家々の明かりが暖かそうですよね。

平安時代の人々は、夜をどのように感じていたのでしょうか。たとえ宮中といえど、明かりが十分でない時代。衛士たちの燃やす篝火が深い闇から浮かび上がれば、幻想的な気分に誘われるのかもしれません。今回は、夜を描いたビジュアルな一首です。


●現代語訳

宮中の御門を守る御垣守(みかきもり)である衛士(えじ)の燃やす篝火が、夜は燃えて昼は消えているように、私の心も夜は恋の炎に身を焦がし、昼は消えいるように物思いにふけり、と恋情に悩んでいます。


●ことば

【御垣守(みかきもり)】
宮中の諸門を警護する者のことです。

【衛士(ゑじ)の焚く火の】
「衛士(ゑじ)」は交替で諸国から招集される兵士のことで、ここでは御垣守を指しています。衛門府に属して、夜は篝火を焚いて門を守ります。「焚く火」とは、その篝火のこと。「御垣守 衛士の焚く火の」までが序詞になります。

【夜は燃え 昼は消えつつ】
「つつ」は反復・継続を表す接続助詞です。衛士の焚く篝火が、夜は燃えて昼は消える、ということを対句として表現しており、同時に「夜は恋心に身を焦がし、昼は意気消沈して物思いにふける」という自分の心を重ねて表現しています。

【ものをこそ思へ】
「ものを思ふ」は、「恋をしてもの思いにふける」という意味で「思へ」は「思ふ」の已然形、「こそ」は係助詞で、「こそ…思へ」は強調の係り結びです。


●作者

大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ。921~991)

神祇大副頼基(じんぎのたいふよりもと)の息子で、百人一首にも歌がある伊勢大輔(いせのたいふ)の祖父。950年代に清原元輔、源順、紀時文(ときぶみ)、坂上望城(もちき)とともに「梨壺の五人」として活躍しました。「梨壺の五人」とは、宮中の撰和歌所で万葉集の訓読や後撰集の撰定に当たった和歌の学者たち5人を指す言葉。内裏後宮五舎のひとつで庭に梨の木のある「梨壺(昭陽舎)」に和歌所があったのでこう呼ばれました。


●鑑賞

宮中の夜、諸国から集められて各門の番「御垣守」をしている衛士達が、篝火をあかあかと焚いている。篝火は夜には燃え上がり、昼には灰になり消える。ちょうど恋する私の心が、夜には情念で燃え上がり、昼には意気消沈して物思いにふけるかのようだなあ。

夜の闇を照らす篝火には独特の美しさがあるものです。平安時代というと、今のように街灯などはありませんから夜は深い漆黒の闇。そこにあかく浮かび上がる炎の動きには、人を催眠状態に誘うような独特の雰囲気があります。

この歌は、昼と夜、まるで別人だと思えるほど恋にこがれる男の姿を歌ったものです。しかしよく読んでみると、実は恋の心情は味付けのひとつで、この歌の真骨頂は「夜の闇に浮かぶ炎の美しさ」を描いたことにある、と言っていいでしょう。前回ご紹介した源重之の「風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ 砕けてものを 思うころかな」も同様に、海の岩に打ち当たる波飛沫を鮮烈に描いたものでしたが、こちらは夜と炎の美しいコントラストと静謐な情景を描いた、とてもビジュアルで哲学的な雰囲気もある一首です。

さて、日本にはいくつか炎の美しさを味わえる「火祭り」があります。まず、京都・鞍馬の由岐神社の火祭り。毎年10月22日の夜6時から行われるお祭りで、最大で長さ数メートルもある巨大な松明が、鞍馬神社の下社と上社の間を行き来します。訪れる場合は、京阪電車出町柳駅から叡山電車に乗り換え、終点鞍馬駅で下車してすぐです。また、福岡県久留米市の大善寺玉垂宮で毎年1月7日に行われる「鬼夜」は、368年より行われている非常に由緒ある火祭りで、半裸姿の男達が大松明をあやつります。訪れる場合は、JR久留米駅から、西鉄大牟田線大善寺駅で下車します。火の祭りには独特の魅力があり、一度見るとちょっと忘れがたいものがあります。時間を都合して見に行かれてはいかがでしょうか?