【今回の歌】

恵慶法師(47番)『拾遺集』秋・140

八重葎(やへむぐら)しげれる宿のさびしきに 人こそ見えね秋は来にけり

今回は、これまでと趣を変え、秋の寂しさを語る歌をご紹介します。荒涼とした風景に感じる秋。百人一首にはこんな哀感のある歌も含まれています。


●現代語訳

つる草が何重にも重なって生い茂っている荒れ寂れた家。訪れる人は誰もいないが、それでも秋はやってくるのだなあ。


●ことば

【八重葎(やえむぐら)】
「葎(むぐら)」は、つる状の雑草の総称。「八重」は幾重にも重なることで、つる草が重なってはびこっている状態。「八重葎」は、家などが荒れ果てた姿を表すときに、象徴的に使われる言葉です。

【しげれる宿】
「宿」は和歌独特の言い回しで、家のことです。草ぼうぼうの荒れ果てた家のことを表しています。

【人こそ見えね】
「ね」は、打ち消しの助動詞「ず」の已然形。「こそ~ね」で逆接の文章を作ります。「人は見あたらないけれども」の意味。

【秋は来にけり】
「秋は来にけり」の「けり」は、今気づいた、という感動を示しています。


●作者

恵慶法師(えぎょうほうし。生没年不祥、10世紀頃の人)

播磨国(兵庫県)の講師(こうじ=国の僧侶らの監督)だったらしい。清原元輔、大仲臣能宣、平兼盛らの一流歌人と親交を結んでいた。


●鑑賞

詞書には「河原院にて、荒れたる宿に秋来るといふ心を、人々詠み侍りけるに」とあります。このように、歌人たちが集まって同じ題で詠み合った歌を「題詠歌」といいます。つる草がぼうぼうに生い茂るさびれた家。そこには誰も訪れる人はいない。それでも季節だけは移り変わっていくのだなあ、という内容の歌です。定家たちが編んだ「古今集」によって、はじめて「秋は寂寞の季節」というイメージが作られました。秋は紅葉を愛でる楽しいだけの季節ではないという、繊細な感覚ですね。そんな情趣を、如実に表したのがこの歌だといえるでしょう。

河原院は、京の東六条に源融(みなもとのとおる・9世紀の歌人で百人一首にも歌がある)が作った豪邸。奥羽の塩釜を模した大庭園で有名でした。しかし、恵慶の時代には荒れ果て、融の曾孫にあたる安法法師が住んで、廃園を好む歌人たちがよく訪れていたそうです。

河原院のあった場所は、京都の北東、鴨川のほとりの五条大橋の近辺でした。今は遺跡として、大橋のたもとに標識が立っています。すでに恵慶の時代に、廃園として滅びの美学の象徴としてあった河原院。千年以上の時を経た私たちの時代からは、その痕跡を見るだけですが、歌を詠んだ恵慶、さらに幽玄の心からこの歌を選んだ定家の心持ちが、かすかに伝わってくるような気が、しないでしょうか。