【今回の歌】

謙徳公(45番)『拾遺集』恋五・950

あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな

ついこの前、お正月を迎えたと思ったら、もう2月も間近です。暖かい都市部でも雪がちらほら舞っています。寒い時期がもう少し続きますが、体調を崩さずにがんばりましょう。

今回は、偶然ですが前回に引き続き男の失恋の歌。なぜこの寒い時期にさむーいテーマを、と思われるかもしれませんが、男心もなかなかナイーブなもの。でも、もうちょいシャキッとしなさい! と言いたくなりますね。


●現代語訳

私のことを哀れだと言ってくれそうな人は、他には誰も思い浮かばないまま、きっと私はむなしく死んでいくのに違いないのだなあ。


●ことば

【あはれとも】
「あはれ」は「かわいそう」「気の毒に」などの意味の感動詞。「とも」の「も」は強調の係助詞です。

【いふべき人は】
全体で「言ってくれそうな最愛の人は」という意味です。「べき」は当然の意味の助動詞「べし」の連体形で、「人」は「最愛の人」のことを意味します。

【思ほえで】
「思ほえ」は下二段活用動詞「思ほゆ」の未然形で「思い浮かぶ」の意味、「で」は打消の接続助詞で「思い浮かばず」という意味になります。

【身のいたづらに】
「いたづら」は「はかない」とか「無駄だ」という意味で、「身を無駄にする」→「死ぬ」ことを意味します。しかもむなしい死に方です。

【なりぬべきかな】
「ぬ」は完了の助動詞で、「べき」は推量の助動詞「べし」の連体形であり、「ぬべし」で強調の意味です。全体で「なってしまうのだろうなあ」という意味になります。


●作者

謙徳公(けんとくこう。924~972)

生前の名前を藤原伊尹(ふじわらのこれただ)といい、右大臣師輔(もろすけ)の長男です。娘が冷泉天皇の女御となり、花山天皇の母となったため、晩年は摂政・太政大臣にまで昇進しました。自邸が一条にあったので「一条摂政」と呼ばれます。和歌所の別当として、当時の和歌の名手を集めた梨壺の五人(清原元輔・紀時文・大中臣能宣・源順・坂上望城)を率いて、後撰集の選定に関わりました。才色兼備の貴公子だったようです。建徳公はおくり名です。


●鑑賞

あなたをずっと愛しく思っております。あなたに恋いこがれ続けても、そんな私のことを哀れだと言ってくれそうな女性は他に誰も見あたらないまま、むなしく無駄に死んでいくのでしょうか。

江角マキコや米倉涼子などを代表として、今は女性が強くてかっこいい時代です。男より颯爽としてさっぱりする、過去を振り返らない魅力に溢れていますが、じゃあ男はそんな女性に振り回されてさめざめと泣いているのでしょうか?「拾遺集」の詞書には「もの言ひはべりける女の、つれなくはべりて、さらに逢はずはべりけれ」とあり、言い寄った女性がだんだん冷たくなって逢ってもくれなくなったから詠んだんだそうです。言い寄った女性に嫌われたから、誰も私を可哀想だと言ってくれない、ああ、このままむなしく死んでしまうのだよ、と嘆いているようですね。失恋の痛手に嘆く優男の風情で、ひょっとしたら母性本能をくすぐられる男なのかもしれません。

実はこの歌の作者、謙徳公は才色兼備の相当な風流貴公子だったようです。この人が「ああ、このまま嘆き悲しんで私は死んでしまうのだろうか」なんて言ったら、周りの女性が「ああ、なんてことでしょう」とわっと騒ぎたてたことでしょう。母性本能をかき立てるどころか、美男特有のパフォーマンスだったのかもしれませんね。でも今の世の中、本当にちょっとしたことで世の中に絶望して犯罪に走るとか、閉じこもってしまうことも多いですね。確かにストレスの多い世の中ですが、男性も女性も一度くらいの失恋でくよくよせずに、独り身のイイ男イイ女はいっぱい世の中に余っているのですから。明るくいきましょう。

この歌には特に名所が詠み込まれていませんが、「拾遺集」には同じ作者の
暮ればとく 行きてかたらむ 逢ふことの とをちの里の 住みうかりしも
という歌が収められています。「とをち」は「十市」と書き、現在の奈良県橿原市十市町にあたります。橿原市北部にあり、壬申の乱のただ中を生きた大海人皇子と額田王の娘、十市皇女の生まれ故郷だとされています。最寄り駅は近鉄田原本線新の口駅下車。橿原市には橿原神宮、昆虫館をはじめ、江戸時代の町並みを残す今井町など、見所が本当に多くあります。古歌のファンなら、この万葉の里をぜひ訪れてみたいものですね。