【今回の歌】

参議等(39番)『後撰集』恋・578

浅茅生(あさぢふ)小野(をの)の篠原(しのはら)しのぶれど あまりてなどか人の恋(こひ)しき

梅雨も明け、暑い夏がやってきました。夏といえば海に山に、というのは一昔前の話で、今ではアスファルトだらけで熱帯並みの暑気を放つ外を避けて、冷房の効いた部屋の中でお籠もりしてデスクワーク、というのがトレンドかもしれません。しかし短い夏休みくらいは、ぱーっと羽根を伸ばしてどこかへ行きたーい! というのが正直な気持ち。テロの影響で冷え切っていた海外旅行も夏には人気復活しそうですし、さてみなさんはどこへ行く?

ところで、夏の魅力のひとつは、早朝の爽やかさでしょう。朝、目が覚めると庭や通りの並木の木の葉が風に吹かれて、さらさらっと音を立てたり、小鳥がさえずるのを聴くと、何ともいえない涼を感じます。さて、今回は少しそんな涼も感じさせる歌を見てみましょう。


●現代語訳

まばらに茅(ちがや)が生える、篠竹の茂る野原の「しの」ではないけれども、人に隠して忍んでいても、想いがあふれてこぼれそうになる。どうしてあの人のことが恋しいのだろう。


●ことば

【浅茅生(あさぢふ)の】
「浅茅(あさぢ)」は、まばらに生えている茅(ちがや)のことで、「生(ふ)」は「生えている場所」のことです。

【小野の】
「小」は接頭語で、言葉の調子を整えるために入れます。「小野」は「野原」のことです。

【篠原】
細くて背の低い竹「篠竹」の生えている原っぱのことです。ここまでが序詞で「忍ぶれど…」に掛かります。

【忍ぶれど】
「忍(しの)ぶれ」は、上二段活用動詞「忍ぶ」の已然形で「しのぶ」とか「がまんする」という意味です。「ど」は逆接の接続助詞です。

【あまりてなどか】
「忍ぶ心をがまんできないで」という意味です。「などか」は疑問の意の副詞「など」にやはり疑問の係助詞「か」がついて「どうしてなのか」という意味になります。

【人の恋しき】
「の」は「人」が主語であることを表す格助詞で、「恋しき」は形容詞「恋し」の連体形です。「などか」の「か」を受けた係り結びになっています。


●作者

参議等(さんぎひとし。880~951)

源等(みなもとのひとし)。嵯峨(さが)天皇のひ孫で、中納言源希(みなもとののぞむ)の子です。近江権少掾(おうみのごんのしょうじょう)から左中弁、右大弁などを歴任し、947年に参議になりました。


●鑑賞

カヤ(ちがや)がところどころにまばらに生えている、篠竹が茂る野原。風が吹くと、竹の葉がこすれてさらさらと音を立てる。篠竹の「しの」ではないけれど、ひとり忍んでがまんしてきたけれど、想いがあふれてしまいそう。どうしてあの人のことがこんなにも恋しいのだろう。

「後撰集」の詞書(ことばがき=歌の簡単な説明)には、「人につかはしける」と書いてあります。特定の人に詠みかけた歌のようです。また、古今集には
浅茅生の 小野の篠原 しのぶとも 人知るらめや 言ふ人なしに
(心の中に思いをしのばせていても、あの人は知ってくれるだろうか? いや、だめだろう。伝えてくれる人がいなければ)
という歌があり、そこから本歌取りしたのがこの歌のようです。

この歌は恋の歌で、がまんし続けていてもあふれそうな恋の心を表現しています。しかしこの歌のポイントは、何といってもあふれそうな恋心を「浅茅生の 小野の篠原」と組み合わせた、イメージの豊かさにあるでしょう。野原一面に生えている篠竹、さらにところどころに茅(ちがや)が生えている情景。風が吹くと、衣擦れのようにさらさらと一面波打つように篠竹がゆれて音をたてそうです。そういう美しいイメージをバックに、秘めた恋のことが歌われています。恋はやはりロマンチックさがないと興味も半減しそうですが、こういう美しさを秘めた恋に読み込めば、相手の女性も陶酔してしまうのではないでしょうか。序詞は、一見ただの言葉遊びのようにも思えますが、こういう美しい情景を読み込むことで、後の句に彩りを添える効果もあります。平安時代の典雅さにちょっと酔いしれそうですね。

さて、このメールマガジンでは、歌にまつわる名所や旧跡を紹介していますが、今回はちょっと趣向を変えてみましょう。東京都世田谷区用賀、東急田園都市線用賀駅から砧公園にいたる通りは、1986年に完成し、「用賀プロムナード」と呼ばれています。この道は瓦を敷きつめ、並木や石像などのモニュメントがいっぱいある楽しい小道ですが、地面を見るとなんと百人一首が道の両端に彫り込まれているのです。通りの先の砧公園は、緑の芝生と森のある美しい公園です。タイルが美しい世田谷美術館が公園内にあり、世田谷ゆかりの芸術家やアンリ・ルソーなどの絵画が数多く収められています。天気のいい日曜日、一度お子様連れで遊びに行かれてはいかがでしょうか。