【今回の歌】

清原深養父(36番)『古今集』夏・166

夏の夜はまだ宵(よひ)ながら明けぬるを 雲のいづこに月宿(やど)るらむ

毎日暑い日が続きます。読者の皆さんはいかがお過ごしですか?公園の木陰ではセミの声がやかましく響き、真っ黒に焼けてシャツ1枚に半ズボンの小学生たちが半透明のバッグを振りながら、水泳をしに学校へ通っていきます。こうした情景を見ていると、つくづく夏だなあ、という気になりますよね。

夏といえば、学校は休みですから、学生の頃は夜に家族や友人らと花火をしたり天体観測をしたりしたものでした。中には望遠鏡を家から持ってきて惑星や、星雲星団を見ている子もいたような。夏の夜は黒々としていますが、とても短いもの。5時前にはうっすらと東の空も明るくなって、小鳥のさえずりが聞こえてきます。そんな夏の早朝も爽やかで大好きですけれど。今回は、あっという間に明けてしまう、夏の夜の歌です。


●現代語訳

夏の夜は(とても短いので)まだ宵の時分だなあと思っていたら、もう明けてしまった。月も(西の山かげに隠れる暇もなくて)いったい雲のどこのあたりに宿をとっているのだろうか。


●ことば

【夏の夜は】
助詞「は」は、他と区別する意味があるので「夏の夜というものは」というような区別した意味になります。

【まだ宵(よひ)ながら】
「宵(よひ)」は日没からしばらくの間で、夏なら午後7時から9時くらいの間です。「ながら」は「~のままの状態で」という意味で、「まだ宵のままでいるうちに」というような意味になります。

【明けぬるを】
「明けたのだが」という意味で、「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形です。接続助詞「を」は順接となり、「~ので」という意味で次の句につながります。

【雲のいづこに】
「いづこ」は、「どこに?」という意味になります。

【月宿(やど)るらむ】
助動詞「らむ」は、現在の状態の推量で、「今は見えないが今ごろ~しているだろう」と思っている意味になります。月は、十六夜(いざよい)の月より後のもので、夜が明けても沈まず空に残っています。そこで、「どの雲に隠れているのか」という推量を、月を人間になぞらえる擬人法で「どの雲に宿をとっているのだ」と表現しています。


●作者

清原深養父(きよはらのふかやぶ。生没年未詳、10世紀前後)

百人一首の42番に歌がある清原元輔(もとすけ)の祖父で、同じく62番に歌があり「枕草子」の作者でもある清少納言の曽祖父にあたります。豊前介房則の子と言われますが、いろいろな説があります。あまり昇進しなかった人で、官位は従五位下でした。晩年は洛北に補陀落寺を建て、そこに住んだと言われています。紀貫之や中納言兼輔と親交がありました。


●鑑賞

夏の夜は本当に短いものだ。まだ夜になったばかりの宵口だと思っていたら、もう明けてしまった。これだけ明けるのが早いと、月もとうてい西の山までたどりついて休むことはできないだろう。今、空のどのへんにいるのやら。雲のどこかに宿をとって、ぐっすり休んでいるんだろうか?

ここのところ恋の歌が続きましたので、こういう情景を歌ったさっぱりした歌だと、キツネにつままれたように感じるかもしれません。たった今、夜になったかと思ったらもう明けてしまった。なんと夏の夜の短いことだろう、という内容を、月が雲にお宿をとったと擬人法を使って描いた歌です。冷静に考えてみると、作者は夜になってから明けるまでずっと月を眺めていたのだろうか、なんて思うかもしれません。なんとまあ暢気なことでしょうか。

現実には夏の夜は明けるのが早いから月が西に沈む間もない、なんてことはありません。しかし夏の夜、中天に雲に隠れては現れる月をイメージしてみると、いかにも夏らしいさっぱりとした趣のある歌だと思えるでしょう。作者、清原深養父は、こうした技巧的でアイディアに富んでいながら、自然な趣のある歌を作る人だったようです。古今集に18首の歌が採用されている歌人で、琴の名手でもあったようです。

清原深養父は、晩年京都・大原のあたりに補陀落寺を建てて住んだということです。大原はデューク・エイセスの「京都 大原三千院 恋に疲れた女がひとり」という情緒のある歌「女ひとり」で有名です。大原は京都駅の北東、左京区にあり、千年も前から天台宗の修行の地として賑わっていました。趣のある寺院が多く、夏の観光にはもってこいです。代表的な史跡や観光スポットとしては、次のような場所があります。
(1)三千院
788年に最澄が開いた天台宗3門跡のひとつです。寺院は杉木立の中にあり、庭園の美しさで有名です。大原バス停から徒歩15分。
(2)勝林院
1023年に開かれた、仏教の合唱「声明」の道場です。院内にあるボタンを押せば、声明の録音を聞くことができます。
(3)宝泉院
勝林院の坊のひとつで、書院の廊下の天井が「血天井」として有名です。慶長5年、鳥居元忠らが豊臣軍に攻められ伏見城が落城したときの、廊下板を天井に使っています。
(4)実光院
やはり勝林院の坊で、植物園のような美しい庭園が見所です。声明に使われる楽器がたくさん展示されています。
(5)来迎院
良忍上人が平安時代に開いた声明道場で、重要文化財の薬師・釈迦・弥陀の三如来坐像が見所です。付近の自然も満喫できます。