【今回の歌】

壬生忠岑(30番)『古今集』恋・625

有明のつれなく見えし別れより (あかつき)ばかり(う)きものはなし

ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしたか。5月も中旬に入ると暖かさも増し、もう半袖で十分過ごせる一日も増えてきていますね。今年は気候の移り変わりが例年より2カ月ほど早いなんて言われていますので、衣替えも少し早めに考えた方がいいのではないでしょうか。

しかし暖かいと、つい酒場で飲み過ぎてしまって朝近くになってから帰るなんてこともあるかもしれません。帰ると奥さんの怖い顔が待っている。そんな時にはこの歌を思い出して…、というのは少し違いますが、中年男の悲哀をぐっと感じさせる愁いのある朝帰りの歌をご紹介しましょう。


●現代語訳

有明の月は冷ややかでそっけなく見えた。相手の女にも冷たく帰りをせかされた。その時から私には、夜明け前の暁ほど憂鬱で辛く感じる時はないのだ。


●ことば

【有明(ありあけ)の】
十六夜以降、おおむね二十夜以降の、明け方まで空に残っている月のことです。

【つれなく見えし】
「つれなく」は形容詞「つれなし」の連用形で「冷淡だ」などの意味です。そのまま「つれない」で現代でも意味は通じます。「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、過去の女との別れを回想しています。また、月のつれなさと別れた女のつれなさを重ねています。

【別れより】
「より」は時間の起点を表す格助詞で、「その時から」という意味になり、現在までの時間の経過を表しています。

【暁(あかつき)ばかり】
「暁(あかつき)」は夜明け前のまだ暗いうちのことです。「ばかり」は後の「なし」と組み合わせて、「~ほど、~なものはない」という意味になります。

【憂(う)きものはなし】
「憂き」は形容詞「憂し」の連体形で「つらい」「憂鬱な」という意味です。「夜明け前ほど、憂鬱な時間はない」という意味になります。


●作者

壬生忠岑(みぶのただみね。生没年未詳)

9世紀後半から10世紀前半ごろの人で、「古今集」の撰者の一人。三十六歌仙の一人でもあります。百人一首41番の作者、壬生忠見(みぶのただみ)の父親です。右衛門府生(うえもんのふしょう)、御厨子所預(みずしどころのあずかり)などの役を経て、六位摂津権大目(せっつごんのだいさかん)にまで出世しました。


●鑑賞

夜明け前の有明の月が西の空に残っている。もうすぐ夜明けだ。有明の月は、本当に白々と冷たくそっけない。逢瀬にと女性の許へ行くと、とても冷たくあしらわれ、追い返すような態度をとられた。そんなことがあってから、私には、暁ほどつらく憂鬱な時間はないのだよ。

そこそこの年齢の男性読者の中には、ふうっとため息をつかれた方もおられるのではないでしょうか。しょぼくれた男の哀しさ、とでも言いましょうか。仕事でくたびれ果てて女性の家へ行ってみたら、もうあなたへの興味は薄れたのよ、他に優しい人ができたの、早いとこ帰ってといわんばかりの態度。未練がましい態度をとる自分が嫌になるし、袖にされて辛いことばかり。外へ出ると夜明けの月までそっぽを向いているようだった。

この歌は、今まで紹介してきた恋の歌とは一線を画すものがあります。相手が冷たくて泣き崩れる女性の歌でもなし、逢瀬を遂げた男が相手に夢中になっている歌でもない。「癒しの場を求めて得られなかった中年男の背中の歌」なんですね。現代の仕事に疲れた男にも少し通じる感覚で、「袖の濡れて乾く間もない」大泣きの歌より、じんわり心にくるものがある秀歌です。

こういう歌のような情景が小説になったら、それはハードボイルドなどと呼ばれます。ハードボイルドというと、日本では大藪春彦の小説で有名になったため、タフな男たちが銃で撃ち合ったり殴り合う小説だと思いがちです。でも、ハードボイルドの魅力は実は、この歌のような「しみじみとした実感」や「やるせなさ」にあることが多いのです。ハードボイルドの味は若い人には分からない、なんて言いますが、この歌にも一種そうしたところがあるのかもしれません。

なお、作者には次のような歌があります。

「陸奥に ありといふなる 名取川 なき名取りては 苦しかりけり」
(陸奥にあるという名取川だが、無実の中傷をされては苦しいものだ)

名取川は、宮城県の中央を流れ、「青葉城恋歌」で有名な広瀬川と合流して太平洋に注ぐ大きな川です。川を見るならJR東北本線・南仙台駅で下車すれば近いですが、観光ならやはり仙台市まで足を伸ばしましょう。伊達政宗公の居城・青葉城をはじめ、仙台博物館など見どころが満載ですし、5月18・19日の両日には、伊達・火縄銃鉄砲隊演武式やすずめ踊りなどで有名な「青葉祭り」が開かれます。ぜひ一度訪れてみて、人生の苦みを忘れてしまいましょう。