【今回の歌】

光孝天皇(15番)『古今集』春・21

君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ

今年は本当に早くから暖かくて、桜も本当に早く咲きましたね。あちこちで開花日が観測史上最速だったようです。早く咲いたら早く散るというのが習いです。「こりゃあタイミングを逃したらいけない」なんて考える人も当然いるでしょうから、ひょっとしたら、もうお花見は終わったなんて会社もあるかもしれません。もう皆さんはお花見には行かれましたか?

さて、春咲く花は桜ばかりではありません。タンポポやシロツメクサ、レンゲなど春になるとさまざまな花が野山に咲き競い、草も燃えるような緑葉を茂らせます。それを見るのがまた楽しみでもありますよね。子供の頃は女の子たちが、シロツメクサで花の冠(クリスマスリースのようなものです)をよく作っていたのを覚えていますが自然が身近になくなった最近ではどうでしょうか。

今回は、春の野原で摘む野草の歌を取り上げてみましょう。


●現代語訳

あなたにさしあげるため、春の野原に出かけて若菜を摘んでいる私の着物の袖に、雪がしきりに降りかかってくる。


●ことば

【君がため】
「君」は、この場合は若菜を贈る相手を指します。

【若菜摘む】
「若菜」は決まった植物の名前ではなく、春に生えてきた食用や薬用になる草のことです。「春の七草」のセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ(カブ)、スズシロ(ダイコン)などが代表的です。昔から、新春に若菜を食べると邪気を払って病気が退散すると考えられており、1月7日に「七草粥」を食べるのはそこから来ています。初春の「若菜摘み」も慣例的な行事でした。

【わが衣手に】
「衣手(ころもで)」は袖の歌語です。

【雪は降りつつ】
「つつ」は動作の反復・継続を表す接続助詞で、「し続ける」という意味です。「つつ」は百人一首の撰者・藤原定家の好きな表現でもあり、定家の歌も「つつ」で終わっています。


●作者

光孝天皇(こうこうてんのう。830~887)

仁明(にんみょう)天皇の第3皇子で、即位前は時康(ときやす)親王でした。陽成(ようぜい)天皇の後、藤原基経(もとつね)に擁立されて即位しましたが、政治判断はすべて基経にまかせていました。関白のはじまりです。


●鑑賞

あなたのために、まだ寒さの残る春の野原に出かけて、食べると長生きできるという春の野草を摘みました。摘んでいると、服の袖にしんしんと雪が降りかかってきましたよ。

古今集の詞書には「仁和(にんな)の帝(みかど)、皇子(みこ)におはしましける時、人に若菜たまひける御歌」と書かれています。光孝天皇がまだ時康親王だった若い頃、男性か女性か誰かは分からないけれど、大切な人の長寿を願って春の野草を贈った時にそれに添えた歌、という意味です。

とても細やかな心遣いを描いた歌で、「春の野」「若菜」「衣手」「雪」と柔らかなイメージを含んだ言葉が並んでおり、とても優美な歌です。野原や若菜の緑と、雪の白の対比も綺麗ですしとても清らかな感じが全体から漂ってきます。汚れを知らない純粋培養されたような心がそこには見えます。光孝天皇は即位後、藤原基経に政治をまかせていたそうで、それもむべなるかな、でしょうか。腹黒さの必要な政治の世界は、この歌の作者向きではなかったようです。

若菜は、春の七草のように食べられたり薬にする野草の総称で新春にそれを食べると長生きする、と信じられてきました。正月7日の「七草粥」の行事もそこからきています。ただし、実際には春先に生えるセリやヨメナを指すことが多いようですので、3月末の今、スーパーに並ぶセリなどを買ってみて、お吸い物などにして食べても長寿に良いかもしれません。

さて、光孝天皇が若菜を摘んだ場所というのは、京都市の右京区嵯峨にあった「芹川」の周辺に広がっていた芹川野だったそうです。そこに御幸を行い、鷹狩りをして和歌を詠んだそうです。ただし、実際に春の若菜やツツジの名所というと、大和国添上郡(現在の奈良市)の春日野です。奈良公園がそれで、JR奈良駅からバスに乗って向かいましょう。春の奈良公園は、桜をはじめさまざまな草花の緑が萌えており、とてもリラックスできるはずです。長寿にはもってこいの景色でしょう。