【平安の物語】博学で有名な文章博士、笑われる。
むかし中納言紀長谷雄(きのはせお)という博学で知られた貴人は、
抜群の詩才によって詩壇の大権威として君臨していたほどの人でしたが、
陰陽道にはまったく無知な人でした。
あるとき、犬が毎日のように庭に入り込んできてオシッコをするので、
さる陰陽師に吉凶を占わせたところ──。
◇陰陽師「それは○月×日に家の中に鬼が出ることをあらわしております。
ただ、人に害をなしたり、祟ったりする類ではございません。
当日はじゅうぶんに謹慎してお過ごしください」
さて、鬼が出ると言われた当日。
長谷雄はすっかりそのことを忘れてしまい、学生たちを集めて
得意の詩作にふけったり、指導したりしていました。
すると突然──「ガルルルルルル……」
隣の部屋から世にも恐ろしげな声が響いてきました。
みな驚きあわて逃げまどううち、暗がりからのそっと姿を現したのは、
身の丈60センチ、真っ白な体に4本の足、顔は真っ黒でツノが1本。
◆長谷雄「お、鬼じゃ!陰陽師の占いをすっかり忘れておったわ!!」
長谷雄をはじめ、学生たちはみなわれ先にと逃げてしまいました。
ただ、学生の中に一人だけ、肝のすわった男がいました。
男は追ってくる鬼の顔面を思い切り蹴りあげると、
「キャン!」と鳴いた鬼の黒い顔がふき飛んでいってしまいました。
その姿を見れば、なんのことはない愛らしい白犬。
突起のある、黒い容器の中に顔を突っ込んで取れなくなってしまい、
あわてふためいて吠えていたのでした。
◆長谷雄「なんじゃ、ただの犬であったか。
あの陰陽師の申していたこと、まさに大当たりじゃ。
鬼は出たが、危害をこうむることはなかったわい」
あとで事の次第を知った長谷雄はこう言って笑いました。
しかし、世の人はこの話を伝え聞き、博士ともあろう者が
陰陽師の占いの結果すら覚えていなかったとはなんとも情けないことよ、
と口々に言い合って、笑わない者はなかったそうです。
脚色 江幡店長 出典『今昔物語集』
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